第18話 見えない手と、初めての実戦
演習場は、異変を受け止めるには都合がよかった。
広い。
視界が開ける。
魔法実技を想定して、最低限の結界補助もある。
そして何より、学院の人間にとって常に『何かが起きた時、まず目を向ける場所』でもあった。
だから、女幹部ゼルフィザがそこに誘導されたのは偶然ではない。
アルトがそうした。
ごく自然に。
ごく静かに。
そして、だいぶ計画的に。
隠蔽魔法をまとったまま、彼はゼルフィザの攻撃の角度をずらす。
通路で放たれた攻撃魔法は、普通なら壁を崩し、周囲を巻き込む軌道だった。
だがアルトは、見えない位置から空間と結界を噛ませ、ほんの少しずつ流れを変えていく。
その結果、攻撃は『まるで最初から演習場を狙っていたかのように』伸びていった。
そして、ゼルフィザはその不自然さに気づいていた。
気づいていてなお、追う価値があると判断した。
あの通路で一瞬だけ感じた『何か』。
魔力の大きさではない。
むしろ魔力そのものは抑えられていた。
だが、高位魔族の勘が知っている。
あれは、ただの上級魔法師ではない。
見えない。
掴めない。
それでも、確実に何かが『いる』。
ゼルフィザは薄く笑った。
業者風の変装はすでに半ば意味を失っている。
布の下から覗く黒紫の髪ーー光で深い紫を返す長髪。
暗い紅紫の瞳。
その細身の体から滲む圧は、普通の魔族兵とはまるで違った。
高貴な血。
呪いと支配を当然として扱う者の気配。
演習場の空気が、彼女が立っただけで冷える。
強者だ。
それは、集まり始めた教師や生徒たちにも本能的に分かった。
説明されなくても分かる。
あれは、やばい類の敵だと。
その演習場の一角へ、リュシアンはほとんど呼び出される形で踏み込んでいた。
心臓がうるさい。
呼吸が浅い。
喉が乾く。
足の裏が、少しだけ浮つく。
初実戦だった。
模擬戦ではない。
講義でもない。
実際に殺意を持った相手と向かい合うのは、これが初めてだ。
しかも、相手は見るからに格が違う。
美しい。
だが、その美しさは花のようなものではない。
血と支配で磨かれた刃のような美だ。
目を合わせるだけで、胃の奥が冷える。
リュシアンの指が、わずかに震えた。
(落ち着け)
念話が飛ぶ。
アルトの声だ。
(……っ)
(意識を呼吸に)
(う、うん)
(吸って)
(……)
(吐いて)
短い。
だが、それだけで少しだけ世界が戻る。
いる。
見えないが、アルトがいる。
その事実だけで、リュシアンの恐怖は完全ではなくなった。
ゼルフィザはその様子を見て、鼻で笑った。
「……なるほど」
低い声。
「お前が前に出るのね」
リュシアンは返せない。
まだ、そこまで余裕がない。
だがその一瞬の沈黙を、アルトは許さなかった。
(返すんだ)
(……え)
(沈黙するな)
リュシアンは反射的に息を吸う。
「……ここは、通さない」
自分で言っておいて、少し遅れて震えた。
何を言っているのだろう、と思う。
だが、言葉にした瞬間、少しだけ足場ができる。
(いい)
アルトの声。
(前を任せる)
(……)
(あとはこっちで組む)
その瞬間、ゼルフィザの手が上がった。
攻撃魔法。
詠唱は短い。
だが高位魔族の術だけあって、質が違う。
火でも風でもない、もっと粘性のある圧の塊が、真っ直ぐリュシアンを呑みに来る。
リュシアンは反射的に、教わった通りに呼吸を落とした。
詠唱を先に置かない。
外へ流す前に、一度、内側を満たす。
回路を狭めない。
足りている状態を作ってから、言葉を乗せる。
その基礎が、もう身体に染み付いている。
「――開け」
短い詠唱。
防御結界が展開される。
アルト流の、イメージを基盤とした簡易詠唱。
以前のリュシアンなら、ここで押し負けていただろう。
詠唱に意識を奪われ、結界の厚みを保てず、恐怖で術式が歪んだはずだ。
だが、今回は違う。
結界は薄い。
まだ薄い。
それでも、きちんと成立した。
さらに次の瞬間、その結界に見えない補強が重なる。
アルトだ。
リュシアンにしか分からない位置から、アルトの結界魔法が二重、三重と噛み合う。
見た目にはリュシアンの結界が、ありえない精度で敵の攻撃を受け流したようにしか見えない。
観衆がざわめく。
「今の……」
「アルヴェール家のあの子が?」
「嘘でしょう……」
ざわめきの中心には、確かにリュシアンがいた。
ゼルフィザの目が少しだけ細くなる。
おかしい。
今の防御は、あの少年一人の魔法としては完成度が高すぎる。
だが、外から重ねた痕跡がない。
ないようにしか見えない。
「面白いわ」
ゼルフィザは静かに言う。
「誰に育てられたのかしら」
その問いに、リュシアンは答えられない。
答えたくても、戦いの圧が強すぎる。
(横)
アルトの念話。
ほぼ同時に、ゼルフィザの左手が揺れる。
リュシアンは反射で横に飛んだ。
さっきまで自分がいた場所を、細く尖った黒い杭が貫く。
地面に突き立ち、魔力をじくじくと侵食していく呪詛系の攻撃。
ぞっとする。
今のをまともに受けたら終わっていた。
(末端を目で追うな)
アルトの声。
(軌道を読む)
(……)
(手じゃない)
(え)
(肩と腰だ)
リュシアンは、言われるままに視線の置き方を変える。
すると、見えた。
ゼルフィザの術は速い。
だが、ゼロから生えてくるわけではない。
重心の動き。
肩の開き。
指先へ行く前の『前兆』が、たしかにある。
その認識が生まれた瞬間、リュシアンの世界が少し変わる。
怖い相手。
圧倒的な相手。
それでも、『何も見えない怪物』ではなくなる。
(攻めろ)
アルトの声。
(今?)
(今だ)
(ーーでも)
(今だ)
アルトに言われると、行けてしまうのがリュシアンの良さだった。
彼は踏み込む。
高位階魔法の詠唱を短く走らせる。
撃つ。
それと同時に、身体強化を薄く乗せる。
以前の彼なら、この同時進行で必ず詰まっていた。
どちらかが疎かになり、魔力回路が迷っていた。
だが今は違う。
アルトが叩き込んだ土台。
詠唱と回路の接続。
位階を段差ではなく連続とみなす理解。
それが理解できれば、理論上無限に魔法を重ねることができると彼は言う。
それらが、初実戦の圧の中でちゃんと働いていた。
光弾が走る。
ゼルフィザはそれを片手で払うように散らす。
だがその瞬間、リュシアンはもう距離を詰めていた。
短剣。
魔法だけではない。
近接戦闘の重要性も、アルトは当然のように教えている。
短剣の一撃が、ゼルフィザの袖口をかすめる。
避けられる。
だが、その『避けるべき一撃』として成立したこと自体が、かなり異常だった。
また観衆がざわつく。
「いまの動き……」
「魔法だけじゃない」
「アルヴェールが?」
教師たちですら、目を見開いていた。
ここにいる誰もが知っているリュシアンは、『綺麗だが少し頼りない名門の末子』だったはずだ。
少なくとも、ここまでの精度で高位階魔法を組み、さらに近接まで噛ませる存在ではなかった。
だがいま、演習場の中心にいるのはまぎれもなくリュシアンだ。
しかも、その成長の速度が異常だ。
戦いの最中ですら、教えを吸っている。
ゼルフィザはそれを感じ取り、不快そうに口元を歪めた。
「気味が悪いわね」
低く言う。
「お前ではないものが、混じっている」
正しい。
リュシアン一人ではない。
この場には、明らかにもう一人いる。
見えない。
だが、確実に。
ゼルフィザはそこで、女幹部らしい本気を見せ始めた。
全属性耐性と異常な自己治癒を前提に、正面から押し潰す。
呪詛系の魔法。
圧殺に近い重力操作。
黒い槍。
見えない拘束。
演習場の空気そのものが歪む。
強い。
ゼルフィザは、間違いなく強者だった。
兄ヴァルジアが武人として正面の強さを誇るなら、妹は『戦場そのものを不快な方向へ変える』強さを持っている。
対峙するだけで、相手の足場を腐らせる種類の強さだ。
リュシアンの額に汗が浮く。
恐怖はある。
戸惑いもまだ消えない。
だが、その中で彼はちゃんと戦っていた。
(右後ろ)
アルトの短い助言。
リュシアンが回避。
(そのまま短詠唱)
やる。
(浅い)
言われる。
(もう一段深く)
やる。
その繰り返しが、信じられない密度で積み重なっていく。
アルトの援護は、あまり露骨にはしない。
魔法そのものに隠蔽をかけ、出所を消す。
攻撃魔法。
身体強化。
防御結界。
回復。
時には、ほんの数歩分の亜空間転移で、リュシアンの位置をずらす。
それらは、リュシアンにしか分からない。
見ている側からすれば、『アルヴェール家の末子が、とんでもない速度で高位戦闘を成立させている』ようにしか見えなかった。
学院中が、その異常な成果を目撃していた。
主人公代役計画。
アルトが内々で進めていたその計画が、ついに学院全体の目の前で、形を持って現れた瞬間だった。
レオノーラは、戦況を見つめながら、喉の奥で息を止めていた。
シャルロッテは、まだ万全でない身体のまま、それでも目だけは食い入るように動きを追っている。
セラフィナは、悔しさすら忘れて見入っていた。
ミレナは、怖いのに目を逸らせない。
リディアは祈るように手を組み、ルゼリアは、遅れて駆けつけた位置から、ゼルフィザの存在に血が冷えるのを感じていた。
女幹部。
過激派。
命令されていたはずの相手。
ルゼリアの身体は、一瞬、委縮しかける。
だが同時に、微かに感じる。
アルトの気配を。
見えない。
消えている。
それでも、あの時禁書庫の前で、自分の在り方に触れてきた気配だけは分かる。
演習場の中心では、リュシアンがなおも戦っていた。
戸惑いは消えない。
怖い。
相手は強い。
自分一人なら、たぶんとっくに終わっている。
だが、怖いままでもやれる。
アルトがいる。
教えがある。
土台がある。
自分は、逃げていない。
その事実が、リュシアンの背筋を支えていた。
そしてアルトは、その戦いを見ながら、冷静に理解していた。
押してはいる。
だが、決定打に欠ける。
ゼルフィザは全属性への耐性が高く、自己治癒も異常だ。
このままでは削り切れない。
いずれ綻びが出る。
なら、答えを探さなければならない。
その答えが、思いがけない方向から差し込まれることを、この時のアルトはまだ知らなかった。
演習場には、学院中の視線が集まっている。
歓声ではない。
まだ息を呑む音の方が多い。
だがそれでも、誰もが見ていた。
リュシアン・アルヴェールは、もう『頼りない名門の末子』ではない。
そこにいるのは、明らかに主役の側へ足を踏み入れ始めた者だ。
その異常な成長の背景が、目に見えない何かに支えられているとしても。
いや、支えられているからこそなおさら。
学院全体が、『主人公代役計画の異常な成果』を、いままさに目撃していた。
お読みいただきありがとうございます。
よろしければ、ブックマーク、感想、評価をお願いします。
皆さんから反応をいただけると、書き続けるモチベーションが維持されます。
どうか、ご協力ください。




