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全モブヒロインに幸あれ! —脇役を愛する勇者の異世界譚—  作者: 臂りき
第4章 学院の光と、その隅にいる者たち
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第16話 血の役目と、塔の上の風

 ルゼリアは、魔族の中でも高位の血筋に生まれた。


 それは誇りであると同時に、呪いでもあった。


 古く、濃い血。

 魔力の質が違う。

 人族のそれとは明らかに異なる、体の深部から脈打つように湧き上がる流れ。

 その美しさと危うさを、幼い頃から一族は当然のものとして扱ってきた。


 高貴であるということは、誰かに守られるということではない。


 魔族の社会ではむしろ逆だ。

 濃い血は、利用価値が高い。

 つまり、権力に目をつけられやすいということでもある。


 ルゼリアの一族は、東の魔王の軍勢の内でも、過激な思想を持つ一派に目をつけられた。


 東の魔王ヴァルジアは、人族を征服し、取り込み、魔族側の秩序に組み込んで有効活用することを目指している。

 侵略はする。

 征服もする。

 だが、滅ぼし尽くすわけではない。

 それが、東の魔王の表向きの方針だった。


 だが、軍の中には違う思想を持つ一派がいた。


 人族を活かす価値などない。

 征服より、滅亡を。

 利用より、粛清を。


 そういう手合いは、どこの世界にもいる。

 秩序の名を借りて、破壊だけを愛する者たち。

 しかも厄介なことに、その一派はヴァルジアの名を掲げながら、実際には独断で動くことが多かった。


 ルゼリアの一族は、そういう者たちに捕まった。


 直接、鎖で繋がれたわけではない。

 もっと悪質だった。


 役目を与えられる。

 人族社会に溶け込めと命じられる。

 情報を流せ。

 貴族の屋敷に入れ。

 書庫を覗け。

 魔法学会の流れを探れ。

 王都の重鎮の動きを掴め。


 そして、もし一人が失敗すれば。


 屋敷に残された誰かが傷つけられる。


 血族は散らされ、役目を持たされ、互いに人質となった。

 誰かが逃げれば、別の誰かが壊される。

 誰かが命令を拒めば、残された者の指が折られる。

 喉が潰される。

 顔が焼かれる。


 だから従うしかなかった。


 ルゼリアの一族は、長く、人族社会の中で汚れ役を担わされてきた。


 人族の情報を流す。

 重要な家系の動き。

 王都の仕組み。

 学院や研究機関の流れ。

 時には、人族社会でも重い地位にある貴族や重鎮を、事故に見せかけて消す手引きまでさせられた。


 毒。

 誤った道案内。

 書類のすり替え。

 寝所への侵入。

 表には決して出ない汚い手段ばかりだった。


 ルゼリア自身は今回が初めてだった。


 学院に入り込む。

 学院が催す大規模な行事に乗じて、軍の暗殺部隊を誘導する。

 王都各研究機関、王族、魔法学の権威、各地の名家や貴族が集まる初日。

 その場に、秘密裏に『穴』を開ける。


 それが彼女に与えられた役目だった。


 本来なら、禁書庫へ入るはずだった。


 学院の内部情報。

 警備の流れ。

 要人の導線。

 学院と貴族、研究機関との繋がり。

 そうしたものを抜き出すために。


 だが、失敗した。


 いや、失敗と断じるには少し違う。

 扉の前で止まった。

 そして、アルトに見つかった。


 あまりにも最悪な相手に。


 あの時点で、ルゼリアは情報を得られていない。

 得られないまま時間だけが過ぎた。

 当然、過激派の幹部はそれを『失敗』と見なした。


 そして、一族へと痛みが返った。


 ルゼリアの胸の奥に、鋭い疼きが走る。

 あれは自分のものではない。

 血族の誰かの痛みだ。

 遠くにいる誰かが傷つけられた時、血に刻まれた呪いのような術が、その苦痛の断片をこちらへ返す。


 何度も経験した。

 それでも慣れない。


 胃の奥がひっくり返るような、冷たく、暗い痛み。


 もう失敗は許されない。


 行事の初日。

 研究発表会。

 各機関や王族、権威たちの集う場。

 そこに合わせて、侵攻は秘密裏に進められる。


 業者として紛れ込んだ者たち。

 荷を運ぶふりをしながら、配置につく暗殺部隊。

 すべては段取り通りだ。


 ルゼリアも動くしかない。

 だが、その胸の内には、別の言葉が残っていた。


 何に大義を見出し、いかに死ぬか。


 あの気持ち悪い少年が、禁書庫の前で言った一言。


 血ではなく。

 役目ではなく。

 最後にどこに立つかは、自分で決めるしかない、と。


 そんなことを誰かに言われるとは思っていなかった。

 まして人族の、それも学院の同級生に。


 ルゼリアはその言葉を振り払えない。


 それが不愉快なのか。

 ありがたいのか。

 怖いのか。

 自分でもまだ分からない。


 ただ、そのせいで、従うしかなかったはずの役目に、わずかな濁りが混じった。


 そして、その濁りを見透かすように。


 業者の列の中にいた女幹部が、一瞬だけこちらを見た気がした。


 ただの錯覚かもしれない。

 だが、ルゼリアは知っている。


 あの女は、そういう目をする。

 獲物が逃げるかもしれない時に向ける、静かな目だ。


 ルゼリアは何でもない顔で立っていた。

 学院生として。

 祭りの準備に少し気を取られた、生徒の一人として。


 だが、指先は冷えていた。


 もう失敗は許されない。


 それでも。


 何に大義を見出し、いかに死ぬか。


 その問いだけが、どうしても消えてくれなかった。


      *


 ――そして、その頃。


 アルトはまた、塔の上にいた。


 学院を一望できる高さ。

 風が抜ける。

 日もよく当たる。

 観察には便利だし、本人としてもこの風と光の具合を少し気に入っている。


 他人が寄り付けない場所を気に入っている、という感覚がすでにだいぶズレている。

 だが、アルトにとって高い場所は、座禅の場とは異なる種類の思考が整理しやすい。


 下を見れば、学院祭準備のざわめきがある。


 生徒たちの浮き足立った足取り。

 教師たちの気ぜわしさ。

 搬入される機材。

 名家の従者や侍女の動き。

 学院側の結界の補強。

 その全部が、今日はいつもより少しだけ速い。


 アルトはそれらを、相変わらずかなり気持ち悪い精度で見ていた。


 ミレナは、やはり裏方の中でも綺麗に流れを整えている。

 その友人たちの、主役に見えないようにちゃんと支えている感じも良い。

 宮廷魔法師への推薦を口にしたあの女教師は、表情を崩さないのに、書類を送る手が少しだけ早い。

 名家の侍女たちの中にも、疲れを隠すのが妙に上手い者がいて、その手首の角度までアルトは内心で評価している。


 ライフワークである。


 本人はいたって真面目だった。


 だが、その一方で、探知結界も広げている。


 学院の薄い探知魔法。

 その外側に、さらに自分だけのごく薄い探知。

 空間の歪み。

 魔力の流れ。

 人の流れに紛れた異物。


 そしてやはり、いる。


 業者風の一団。

 搬入の列に自然に混じっている。

 だが、薄い。

 薄すぎる。

 気配の整え方が、人間の仕事慣れとは別の方向で洗練されている。


 その中の一人――女性。


 見た目だけなら、機材搬入を仕切る少し気の強そうな女性だ。

 服も地味で、顔立ちも雑踏に馴染む程度に抑えられている。

 だが、その内側は違う。


 硬い。

 しかも、周囲を支配することに慣れている気配がある。


 アルトは目を細めた。


 何者か、までは分からない。

 だが、異物だ。

 その認識はほぼ確信に近い。


 さらに視線を巡らせると、ルゼリアの気配が引っかかった。


 彼女は平静を装っている。

 だが完全には静かではない。

 いつもより、わずかに張っている。


 その二つが、いまはまだ線になっていない。

 だが、同じ場面の中にいる。


 学院祭準備。

 業者。

 異物。

 ルゼリア。

 薄い緊張。


 アルトの中で、思考が静かに組み上がる。


 すぐに動くべきか。

 もっと見るべきか。

 泳がせるならどこまでか。


 風が吹く。

 高い場所の、乾いた風だ。

 アルトはそれを頬で受けながら、学院を見下ろす。


 祭りの前というだけで、人はこんなに気が浮く。

 だからこそ、その足下に不穏が忍び込みやすい。


 フィレイアならこういう時、何と言うだろう。

 たぶん、面倒そうに溜息をついてから、『あなたはまた、そういう厄介なものを拾うのね』とでも言うに違いない。


 そう思いながらも、アルトの視線は逸れない。


 学院祭の浮ついた空気の中で。

 ルゼリアの揺れと、業者に紛れた異物の流れが、少しずつ噛み合い始めている。


 まだ事件ではない。

 だが、事件の前の静けさは、もう十分にあった。


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