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全モブヒロインに幸あれ! —脇役を愛する勇者の異世界譚—  作者: 臂りき
第4章 学院の光と、その隅にいる者たち
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第15話 祭りの前と、異物の気配

 静かな熱は、いつまでも静かなままではいない。


 学院という閉じた場で、視線と感情と立ち位置が少しずつずれていけば、いずれどこかで形になる。

 誤解。

 対立。

 事件。

 あるいは、その一歩手前の、嫌に乾いた不穏。


 学院祭の準備が始まった頃には、そうした『形になる前の熱』が、もう学院全体に薄く満ちていた。


 学院祭――と、アルトは勝手に呼んでいた。


 正式な名称はもっと仰々しい。

 他校の関係者、王都の各機関、周辺貴族、学院生徒の家族や従者、さらには魔法学会のお歴々に至るまでを招き、生徒主体の出し物や魔法演習の公開、研究成果の披露、交流会などをまとめて行う一大行事である。


 祭りというには格式がある。

 だが、浮き立ち方はどう見ても祭りだった。


 普段より少し華やかな布が運ばれる。

 廊下を行き交う足が速い。

 誰がどの役を担うかで小さな揉め事が起き、しかしその揉め事すらどこか楽しげだ。

 主役候補たちは当然目立つ役へ押し出され、支える側の者たちは裏方の配置を自然に引き受け、教師たちも普段より幾分気ぜわしい。


 学院全体が、少し浮いていた。


 そしてアルトは、そんな浮き立つ気配を、もはや半ばライフワークと化した気持ち悪い観察の対象としてきっちり味わっていた。


 モブヒロインたちだけでは足りない。

 最近では、宮廷魔法師への推薦を持ちかけてきたあの女教師が、祭りの進行表を手にした時だけわずかに眉間へ皺を寄せる様子や、名家の令嬢に付き従う侍女たちが、表向きは静かに、しかし準備の裏で誰より早く動線を整えている様子まで、だいぶ真面目に観察している。


 ミレナやその友人たちのような『自然に支える者』たちはもちろん、ルゼリアのささやかな交友関係――数少ないが確かに存在する、言葉少ななやり取りの温度差まで、アルトの視界は容赦なく拾う。


 本人としては、いたって真面目だった。


 場が動けば、人の本質も少し動く。

 ならば観察するのは当然である。

 そこに何のやましさがあるのか、と本気で思っている。


 もちろん、第三者の目から見ればだいぶ気持ち悪い。


 その日もアルトは、学院の塔の上にいた。


 上、と言っても生易しいものではない。

 本校舎の屋上よりさらに上、二十階はある塔の天辺に近い。

 学院全体を見下ろせる高さ。

 石造りの手すりの向こうには、王都の街並みと、学院の中庭、演習場、渡り廊下、仮設の展示台、搬入される道具類まで一望できる。


 風が強い。

 高所の風だ。

 だがアルトは気にしない。

 いや、むしろこういう風を少し好ましく思う節すらある。

 視界が開け、人の動きが立体的に見えるからだ。


 見下ろせば、学院祭準備の空気があちこちにある。


 レオノーラは、すでに中心的な役割を担っているらしい。

 遠目にも、彼女の周りだけ人の流れが滑らかだ。

 シャルロッテは展示用の魔法理論の整理に不満を抱えつつ、しかし顔を上げる時だけ完璧に澄ました顔をしている。

 リディアは聖教会関係の出し物に絡む子どもたちや女性たちへ、柔らかな目線を向けていた。

 ミレナは裏方側で、やはり誰にも気づかれない範囲で全体の詰まりを解消している。

 セラフィナは、明らかに張り切りすぎて空回りしかけている者たちを、声の大きさだけで半ば押し切ってまとめていた。


 そして、ルゼリアもいた。


 相変わらず、少し引いたところに。

 だが、完全に切れてはいない位置に。

 祭りの気配に馴染みきらず、それでも確実にそこに立っている。


 良い。


 アルトはそう思う。

 こういう『賑わいの中心には入らないが、周辺に完全に消えるわけでもない立ち方』は、かなり良い。


 風の中でそんなことを思いながら、彼は一方で別の感覚も広げていた。


 学院中に張り巡らされた、薄い探知魔法。

 それ自体は学院の防備として自然なものだ。

 生徒や教員の流れを完全に監視するような下品なものではないが、異物や大きな魔力変動を拾う程度の微細な結界が、校舎や塔や演習場の周囲に淡くかかっている。


 そしてアルトは、その『さらに外側』に、自分だけのごく薄い探知結界を展開していた。


 学院の結界を乱さない程度に。

 触れれば消えるほど薄く。

 しかし、自分にだけ分かるように。


 それはもう、学院生のやることではない。

 だがアルトの中では、当然の危機管理だった。


 祭りは人を呼ぶ。

 人が増えれば、気配も増える。

 その分だけ、妙なものが紛れやすい。


 そして実際、その探知に引っかかるものがあった。


 妙な気配。


 学院の結界に対しては、ごく自然に馴染んでいる。

 いや、馴染みすぎていると言ってもいい。

 搬入業者に見える。

 祭りのための機材を運ぶ者たちの一部として、きわめて正しい位置を取っている。


 だが、アルトの結界だけは、その気配の『質』に違和感を拾った。


 人を装っている。

 気配の消し方がうますぎる。

 しかも、隠すことに慣れている。


 業者風の服。

 荷の扱い。

 周囲に紛れる足運び。

 見た目は完璧だ。


 だが、その奥にいる何かは、学院の生徒でも、王都の商人でも、普通の裏方でもない。


 アルトは目を細めた。


 東の魔王の一派に属する、ある魔族の女性幹部。

 その正体までは、さすがにまだ分からない。

 アルトに分かるのは、『何か妙なものが入り込んでいる』という感触だけだ。


 だがそれで十分、警戒する理由にはなる。


 どうするか。


 すぐに追うか。

 学院側へ知らせるか。

 それとも、もう少し泳がせるか。


 アルトの中で、思考がいくつかの枝へ分かれる。


 その時だった。


「アルト」


 声がした。


 振り返ると、そこにいたのはリュシアンだった。


 彼は塔の上に来る途中で、かなり急いだのだろう。

 息がほんの少しだけ上がっている。

 だが、それを見せまいとして、むしろ余計に肩に力が入っていた。


「……こんなところにいたんだ」

「いた」

 アルトは素直に答える。

「探したよ」

「そっか」

 リュシアンは手すりの向こうを一瞬見て、それから少しだけ眉を寄せた。

「ここ、風も強いし」

「平気だけど」

「でも」

 一拍。

「教室、戻らない?」

 その言い方は、命令ではない。

 お願いに近い。

 だが、彼なりにだいぶはっきりしている。


 アルトはそこで、ほんのわずかに思考を止めた。


 妙な気配。

 泳がせるかどうか。

 追うかどうか。

 だが今この瞬間、リュシアンはかなり真面目に自分を探してここまで来たらしい。


 なら、とりあえず戻るか。


 そう判断するあたり、アルトの中でもリュシアンの優先度はやはり高い。


「分かった」

 あっさり言う。

「戻ろう」

 リュシアンが、ほんの少しだけ安堵したように見えた。


 二人は塔を下り始める。


 石階段。

 響く足音。

 風の音が少しずつ遠ざかる。


 アルトは表向き素直に従いながら、頭の中では別のことを考えていた。


 どうすべきか。


 あの妙な気配は、たぶん今すぐ危険を起こす類ではない。

 だが、祭りの前から入り込む理由がある以上、何か目的がある。

 しかも、学院の薄い探知を抜ける程度には手練れだ。


 追うべきか。

 観察を続けるか。

 ルゼリアとの関連はあるのか。

 いや、現時点ではまだ飛躍した思考だ。

 だが、あの扉の前でのルゼリアの反応を思えば、無関係とも言い切れない。


 変態的思考と危機管理が、いつものように混ざり合う。


 教室に戻る頃には、アルトの顔はもう普段通りに静かだった。

 だが内側では、細い警戒が続いている。


 そして、その戻ってきたアルトを、密かに見ている視線があった。


 ルゼリアだ。


 彼女は教室の隅で、表向きは何でもない顔をしていた。

 だが、アルトが戻ってきた瞬間、その視線がほんの少しだけ長く留まる。


 塔へ上ったことも。

 戻ってきたことも。

 その間に何を見ていたのかも、彼女には分からない。


 それでも、何かが少し動いたことだけは、彼女の感覚が拾っていた。


 アルトも、その視線に気づく。


 視線が交わる。

 一瞬だけ。


 それだけで、何かがまだ形になっていないまま、次に繋がる気配が生まれた。


 事件になる。


 と、アルトは思ったわけではない。

 未来視を使ったわけでもない。

 そこまで明確ではない。

 だが、あの妙な気配と、ルゼリアの視線と、学院祭前の浮いた空気が、どこかで結びつく予感だけは、さすがに感じた。


 静かな熱は、そろそろ形になる。


 その一歩手前で、教室の中はいつも通りを装っていた。


 話し声。

 課題のやり取り。

 祭りの準備の相談。

 そして、その裏で細く張る緊張。


 アルトは席に戻りながら、心の中でフィレイアへ報告した。


 どうやら、また少し面倒なことが起きそうです。


 たぶん彼女は、それを聞いたら、面倒そうに目を伏せるふりをして、結局は少しだけ楽しそうにこちらを見るのだろう。


 そんなことを思いながら、アルトは教室の空気に溶け込む。


 祭りの前の浮ついた空気の中へ。

 まだ誰も、はっきりした名を持たない不穏と共に。


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