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すべてのモブヒロインたちに幸あれ! —脇役を愛する勇者の異世界譚—  作者: 臂りき
第4章 学院の光と、その隅にいる者たち
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第8話 休日の訓練と、甘い氷菓

 休日まで一緒にいるというのは、案外大きい。


 授業の延長ではない。

 義務でもない。

 誰かに言われたからでもない。

 それでも時間を割き、同じ場所で過ごし、同じことを考え、同じものを見る。


 それはたぶん、学院に集う若者たちにとって、ごく自然に親密さを育てる時間なのだろう。


 だから、周囲がざわつくのも当然だった。


 勇者家系のアルト・ヴァレインと、名門の末っ子リュシアン・アルヴェール。

 放課後だけでも少し距離が近いと思われていた二人が、休日にまで一緒にいる。


 しかも、ただのお茶や散策ではない。

 部屋へ入り浸り、魔法談議に沈み、時には学院の外まで並んで歩く。


 それを『健康的な学院生活』の一言で済ませるには、少しだけ密度が高すぎた。


 とくに、シャルロッテの胸の内はだいぶ穏やかではなかった。


 魔法について深く語り合うべき相手。

 理論の先を行くなら、自分がそこへ立つべきだ。

 そういう思いは、彼女にとってほとんど当然の自負だった。

 なのにアルトは、そんな彼女を振り返りもせず、休日にまでリュシアンに魔法を叩き込んでいる。


 意味が分からない。

 いや、意味はあるのかもしれない。

 だが、その意味が自分ではなくリュシアンへ向いていることが、面白くない。


 レオノーラもまた、違う角度からその『濃さ』に気づいていた。

 ミレナも、ルゼリアも、セラフィナも、それぞれの場所から、あの二人は最近やけに一緒にいる、と思っている。


 そして当のリュシアンは、その視線を薄く感じ取りながら、終始ふわふわとした高揚感に包まれていた。


 休日。


 誰かと過ごす休日。


 それ自体が、彼にはあまり経験のない種類の時間だった。


 家にいた頃の休日は、『次の学びや訓練がない日』ではあっても、『誰かが自分のために時間を使ってくれる日』ではなかった。

 兄姉は忙しい。

 家の者も、彼を可愛がりはしても、そこまで深くつきあうわけではない。


 だから、アルトがごく当然のように「今日も来い」と言うことが、リュシアンにはいまだに少し信じられない。


 しかも、その時間の中心にあるのが『自分をもっと上へ押し上げようとする意志』なのだから、なおさらだ。


 その休日も、アルトの部屋から始まった。


 朝から。

 容赦がない。


 いや、アルト本人にその自覚は薄い。

 彼の中では、休日にまとまった時間が取れるなら、その分だけ土台へ手を入れるのが合理的というだけの話だ。


「今日は位階の話をする」

 開口一番、それだった。


 リュシアンは机の前に座り、まだ少しだけ眠気の残る頭で瞬いた。


「位階?」

「うん」

 アルトは紙を一枚広げる。

「この世界だと、魔法ってだいたい位階で考えるだろ」

「……そうだね」

「初級、中級、上級、さらにその上、みたいに」

「うん」

「でも、あれ」

 アルトはさらりと言った。

「本当は全部つながってる」


 リュシアンはそこで、眠気を完全に忘れた。


 アルトの言葉には、こういうところがある。

 さらりと言う。

 だが、その内容はとんでもない。


「つながってる……?」

「位階って、皆そこに段差があるみたいに考えるだろ」

 アルトは紙に線を引く。

「見えない層があるみたいに」

「……うん」

「でも実際は、全部地続きだ」

「……」

「下位魔法と高位階魔法で、根本の構造が別物になってるわけじゃない」

「そんな……」

「違うのは、器と回路と構造把握の精度」

 アルトは、線を階段ではなく、なだらかな地面のように描き直す。

「どれだけ流せるか」

「……」

「どれだけ支えられるか」

「……」

「どれだけ崩さず理解できるか」


 リュシアンはそれを見つめた。


 学院でも、家でも、位階とは『上へ登るもの』として教わってきた。

 隔たりがあり、壁があり、ある段階の者には次の位階はまだ遠い。

 そういうイメージだ。


 だがアルトは違うことを言う。


 全部つながっている。

 遠いのではなく、深いだけだと。


「方法次第では」

 アルトは続ける。

「どんな魔法師でも、高位階魔法に触れられる」

「……本当に?」

「もちろん難しい」

 アルトはそこで、少しだけ目を細めた。

「すごく」

「……」

「魔法がない世界から来た人間でも、それくらいは分かる」

「……え?」

「いや」

 アルトは軽く首を振る。

「何でもない」


 何でもなくはない。

 だが、リュシアンはそこへ踏み込まなかった。

 代わりに、アルトが『難しさ』そのものへ敬意を払っていることに気づく。


 魔法は特別なものだ。

 理解しようとするだけでも大変だ。

 そのことを、アルトはちゃんと分かっている。


 だからこそ、『君ならできる』という言葉が、ただの空疎な励ましではなく聞こえるのだ。


「ぼくには……」

 リュシアンが小さく言う。

「そんなところまで、届く気がしない」

「届く」

 アルトは即答した。

「君なら」

「……どうしてそこまで言えるの」

「素地があるから」

「……」

「努力もする」

「……」

「しかも、ちゃんと吸う」

 アルトは少しだけ口元を緩めた。

「かなり優秀だよ、君」


 リュシアンは、そこで強く否定しかけた。


 そんなことはない、と。

 自分は兄姉ほどではない。

 教室の主役候補たちみたいに強くも賢くもない。

 言い慣れた否定が、喉元まで上がる。


 だが、それを言えなかった。


 アルトの目が、偽りなく真っ直ぐだったからだ。

 慰めでも、励ましでもなく、本当にそう見ている目。


 それを前にすると、軽々しく自分を卑下することの方が、むしろ恥ずかしく思えた。


 リュシアンは口を閉ざし、その代わり、ほんの少しだけ頬へ熱が集まるのを感じた。


 アルトは気づいていない。

 いや、気づいていても、それを別の意味で処理しているのかもしれない。

 彼の目はいま、完全に『育てる側』の熱を帯びている。


 その熱が、リュシアンには苦しくて、嬉しかった。


 講義は続く。


 位階を連続として捉えること。

 術式を『届かない上位のもの』として恐れるのではなく、いま自分が扱える構造の延長として見ること。

 詠唱は階段を登る呪文ではなく、連続した流れに輪郭を与えるための足場だということ。


 アルトの説明は、相変わらず恐ろしく分かりやすかった。


 一つの教えが下るたび、リュシアンの中で解釈が枝分かれしていく。

 十を拾う。

 いや、もっとだ。

 彼は教わったことを、そのまま覚えるのではなく、自分の中で何度も組み替えて理解する。


 その吸収効率の良さが、アルトをかなり興奮させた。


「君、本当にいいな」

 ぽろり、と漏れる。

「……え?」

「いや」

 アルトは咳払いした。

「理解の伸び方が」

「……」

「見てて面白い」

「……それ」

 リュシアンは耳まで少し赤くなった。

「褒めてるのかな」

「褒めてる」

 アルトは真顔だ。

「かなり」


 その『かなり』が、妙に深く響く。


 そして、講義が進んだところで、アルトはさらにまずいものを見せた。


「たとえば」

 彼は机の上にあった小さな金属のペン先を摘まむ。

「いまの理屈で、空間をずらすとする」

「空間……?」

「うん」

「そんなの、高位階どころじゃ――」


 言い終える前に、アルトの指先で、金属のペン先がふっと消えた。


 リュシアンの目が、見開かれる。


「……え」


 次の瞬間、ペン先はアルトの反対の手に現れた。


 何でもない顔で。


 いや、本人の中ではたぶん本当に『初歩中の初歩』なのだろう。

 だが、この世界の常識で言えば、それは明らかに最高位の領域に近い。


 空間操作。

 転移に似た挙動。

 伝説扱いされつつある魔法の、あまりにも軽い片鱗。


「これはまだ走りだけど」

 アルトは平然と言う。

「構造は単純だ」

「どこが!?」

 リュシアンの声が裏返った。

「いや、ほら」

「ほら、じゃないよ!?」


 アルトは本気で不思議そうだった。


 そこが恐ろしい。

 これを見せてなお、自分を平凡だと言ってやまないのだから。


「僕なんて」

 アルトはさらりと言う。

「平凡な方だし」

「……」

 リュシアンは一瞬、本気で反論しかけた。

 だが、アルトの目があまりにも偽りなかったので、言葉が飲み込まれる。


 この人は、本気でそう思っている。

 自分を特別視していない。

 だからなおさら、怖くて、すごい。


      *


 休憩を兼ねて、二人は午後から王都の街へ出た。


 ずっと部屋で魔法談義を続けていると、さすがに頭が熱を持つ。

 それに、アルトにはもう一つ見せたい場所があったらしい。


 並んで歩く二人の姿は、端から見るとだいぶ危うかった。


 アルトは整った少年で、リュシアンはもはや美少女じみた美少年だ。

 制服姿で王都の通りを歩けば、どう見ても目を引く。

 しかも距離感が近い。

 片方は熱心に話し、片方は真剣に聞いている。

 交際風景と誤解されても、まあ仕方がない。


 当人たちはそこへ無頓着だったが。


 アルトが案内したのは、小さな店だった。


 王都の表通りから少し外れた場所。

 看板は控えめ。

 だが、人の出入りはある。

 若い女性や子どもたちが働いていて、店の奥には教会の紋章がさりげなく置かれている。


「ここ?」

 リュシアンが首を傾げる。

「うん」

 アルトは頷いた。

「氷菓子の店」

「氷菓子……?」


 この世界にも、甘く冷たいものが皆無というわけではない。

 砂糖と乳を固めた氷菓に近いものは、他国に存在する。

 だが、この店のものは少し違った。


 濃厚で、滑らかで、舌触りが異様に細かい。

 乳の甘さと、果実の香りと、冷たさの質が違う。


 ジェラート。


 もちろんこの異世界では、そう呼ばれていない。

 だが平助の中では、だいたいその分類だった。


 そしてこの店もまた、アルトが幼い頃に少しだけ手を入れたものだった。


 悪徳貴族の領地から救い出された魔族の女性。

 人族の中へどうにか馴染み、王都の知識の女神を祀るやや地味な聖教会へ身を寄せた彼女に、アルトは濃厚で滑らかな氷菓子の製法を教えた。

 ついでに、教会が管理する農地と酪農の一部をどう活かし、そこで得た乳や作物へ付加価値をどう乗せるか、身寄りのない女性や子どもたちをどう『救われるだけの側』ではなく『自立へ向かう側』へ置くか、その仕組みも提案した。


 その提案書は結局また別の誰か――婿候補の男あたりの手柄になっている。

 だが、アルトはまったく気にしていない。


 むしろ、自らを陰へ置きそうになっていた女性や子どもたちが、前向きに働き、少しずつ輪郭を得ていく様子を、だいぶ気持ち悪く観察していた。


 モブヒロイン的な成長、と言ってもいい。


 もちろん、その中から主役格が出ても構わない。

 むしろその方が、周囲の影も濃くなるので悪くない、とアルトは不穏なことを少しだけ思っている。


 そんな店へ、今日はリュシアンを連れてきた。


「食べてみて」

 アルトが言う。

「……うん」


 運ばれてきた乳のジェラートを、リュシアンは恐る恐る一口すくった。


 次の瞬間、目が丸くなる。


「……なにこれ」

 声が、完全に素だ。

「冷たいのに、やわらかい」

「うん」

「甘いのに重くない」

「うん」

「え、なにこれ」

「氷菓」

「説明になってないよ!」


 その反応が、アルトには少し不意打ちだった。


 無邪気だ。


 講義中はあれだけ集中し、真剣で、知識を吸う速度も異様なのに、甘いものを前にした瞬間、年相応の少年らしい顔になる。


 匙の持ち方。

 少し早くなる食べる速度。

 冷たさに一瞬だけ肩をすくめる仕草。

 その全部が、ひどく無防備で、妙に可愛げがあった。


 いけない。


 アルトは一瞬だけ、思考の焦点がずれかける。


 良いな、と思ったのだ。

 いや、素材として。

 たぶん。

 きっと。


 だが、そう思った時点で少し危ういことは分かっている。


「……アルト?」

 リュシアンが不思議そうにこちらを見る。

「どうしたの?」

「いや」

 アルトは咳払いした。

「思ったより、気に入ったんだなと」

「そりゃ気に入るよ!」

 珍しく声が明るい。

「こんなの初めてだし」

 それから、少しだけ照れたように視線を落とす。

「……君って、本当に何でも知ってるんだね」


 その言葉に、アルトは少しだけ首を振った。


「何でもじゃない」

「でも」

「平凡だ」

「……」

 リュシアンは、さすがにもう何も言わなかった。

 言っても通じないのだろう、と理解し始めている。


 代わりに、匙を持ったまま小さく笑う。


 その笑みが、講義を受けている時よりもっと柔らかくて、アルトはまた少しだけ不意を打たれた。


 よくない。


 かなりよくない。


 育成対象として面白い。

 吸収が速い。

 素材がいい。

 主役候補として申し分ない。

 そういう理屈の上に乗っていたはずの計画に、こういう無防備な仕草が混ざると、少しだけ話がややこしくなる。


 もっとも、アルト本人はそこまでまだ自覚していない。

 自覚していないまま、ジェラートの店の窓から見える街と、前向きに働く女性や子どもたちの様子を眺めつつ、また魔法の話へ戻っていく。


「努力次第で」

 アルトが言う。

「大体のことは届く」

「……」

「位階も、回路も、器も」

「でも、さっきのあれは」

「亜空間の走り?」

「走りって言わないでよ……」

 リュシアンが本気で困った顔をする。

「あれ、伝説の類じゃないの?」

「構造は単純だ」

「単純じゃない……」

「いや、ちゃんとつながってる」

「……そういうところ」

 リュシアンが小さく息を吐く。

「君、本当におかしいよ」


 その言い方が、ずいぶん柔らかかった。


 おかしい。

 でも嫌ではない。

 むしろ、そういうおかしさごと信じたい。

 そういう温度が、少しずつ混じり始めている。


 アルトはその柔らかさを、まだ半分くらいしか理解していない。


 ただ、休日訓練はうまくいっている。

 リュシアンはよく吸う。

 手応えは大きい。

 主役育成計画は、かなり順調だ。


 そういう意味で満足していた。


 そして、そんな満足のすぐ横で、リュシアンの中では恋心の芽が、静かに、しかしはっきりと根を下ろし始めていた。


 誰かと過ごす休日。

 自分のために向けられる熱。

 理解してもらえる感覚。

 教わるたびに、自分の中の迷いがほどけていく心地よさ。

 その全部が、彼の胸の奥を少しずつやわらかく揺らしていく。


 それがどこへ向かう感情なのか、まだ彼自身にもはっきりとは分からない。

 だが、もう『ただの戸惑い』だけではなかった。


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