第7話 自習という名の、近すぎる時間
放課後の学院寮の一室で、学友同士が親交を深める。
それ自体は、至って健康的な学院生活である。
授業を終え、今日つまずいたことを確認し合い、部屋で集まって少し勉強し、話をして、また明日に備える。
王都の名門学院であろうと、それはそれでごく自然な若者の時間だ。
問題は、その組み合わせだった。
アルト・ヴァレイン。
勇者家系の嫡流。
入学初日から視線を集める、あまりにも『主役然』とした少年。
そしてリュシアン・アルヴェール。
名門の末っ子。
顔は良い。
むしろ良すぎる。
だが能力面では、少なくとも現時点では『頼りない方』に分類されやすい少年。
そこに加えて、アルトがリュシアンへ向ける視線がいけなかった。
アルト本人にそのつもりはない。
少なくとも表向きは、ない。
見込みがある。
素材がいい。
どこをどう整えれば、どの段階で跳ねるか。
そうした『育成対象への熱』が、どうしても目に出てしまうだけであって、本人としては別に特別に親密な空気を出しているつもりはない。
つもりはないのだが、周囲から見れば、かなりそう見える。
しかも、アルトがこれまで目を向けてきた相手がまた悪かった。
ミレナ。
ルゼリア。
セラフィナ。
そして今度はリュシアン。
いずれも、『なぜそこ?』と周囲が思うところへ視線を落とす男が、ついには放課後、自室へ連れていく。
ざわつかない方がおかしい。
とくに、シャルロッテは内心かなり穏やかではなかった。
魔法に関して、彼女は強い自負を持っている。
それは事実でもある。
この教室の中で、現時点の魔法理論や制御技術において、自分がかなり上の方にいると知っている。
周囲もそう見ている。
だからこそ、もしアルトが魔法について語り合い、親交を深める相手を選ぶなら、まず自分だろうと、ほとんど当然のように思っていた。
いや、思っていたというより、そういう流れに慣れていたのだ。
他の生徒たちも、だいたいそうしている。
魔法が得意な者同士で話す。
理論の通じる者へ寄る。
それが普通だ。
なのにアルトは、そんなシャルロッテのことなど視界の隅にもかけず、リュシアンと魔法談議に入った。
熱心に。
しかも、ごく自然に。
その光景が、彼女の胸の奥に、明確な嫉妬に似た何かを這わせた。
まだ名前はつかない。
つけたくもない。
だが、見ていて面白くない。
それだけははっきりしている。
レオノーラもまた、別の意味で引っかかっていた。
彼女は魔法そのものではなく、『距離感』に反応している。
リュシアンが誘われる。
アルトがそれを当然みたいに言う。
そしてリュシアンも、戸惑いながらついていく。
その一連の流れが、妙に完成されているのだ。
最初からそうなることが決まっていたみたいに。
リディアは、露骨な感情ではなかったが、やはり目を留めていた。
あのリュシアンが、あんなふうに選ばれるのは少し意外だ、と。
ミレナも静かにざわついている。
セラフィナに至っては、『何であいつ、あんな自然に連れてかれてんのよ』くらいには思っていた。
そして当のリュシアンは、その全部の視線を薄く感じ取って、少し萎縮していた。
行くのか、ぼくが。
本当に。
この人の部屋へ。
どうして。
どうしてここまで。
その戸惑いを抱えたまま、彼はアルトのあとについて学院寮の一室へ入った。
アルトの部屋は、思っていたより整っていた。
豪奢ではない。
学院寮として十分上等だが、ヴァレイン家の嫡流ならもっと飾っていてもおかしくない。
それなのに、妙に必要なものだけがある。
本。
紙。
筆記具。
簡素な訓練用の補助具。
座る場所。
そして、窓辺に近い位置には、呼吸や瞑想でもしそうな、妙に落ち着いた空間がある。
リュシアンは部屋に入った瞬間、少しの居心地の悪さと安心を同時に覚えた。
他人の部屋だ。
しかもアルトの。
緊張しないわけがない。
だが、同時に、この部屋には『見せるための誇示』があまりない。
妙に静かで、機能的で、落ち着く。
「座れば」
アルトが言う。
「う、うん……」
リュシアンは勧められるまま椅子へ座る。
距離が、思っていたより近い。
机を挟むのではなく、横へ寄るような形になる。
それはたぶん、アルトにとって『説明しやすい位置』なのだろう。
だが、リュシアンにとっては十分に近かった。
アルトはそういうところがある。
距離を詰める時、変にためらわない。
いや、変な意味ではなく。
少なくとも本人の主観では。
「さっきの続きだけど」
アルトは、もう授業の延長みたいな顔で言った。
「君、詠唱の前段階で自分の回路を狭める癖がある」
「……うん」
「多分、『正しくやろう』とする意識が先に来るから」
「……それは」
リュシアンは苦く笑った。
「そうかもしれない」
「そういうの、家でよく言われる?」
「……兄上や姉上には」
一瞬、声が小さくなる。
「もっと自信を持てって」
そこでアルトは、少しだけ目を細めた。
なるほど。
やはりそうか。
外から見える自己評価の低さは、偶然の性格ではなく、家の中の比較構造で育ったものでもあるのだろう。
兄や姉は優秀。
自分はそこに届かない。
だから『失敗しないように整える』方へ意識が寄る。
惜しい。
とても惜しい。
だが、だからこそ良い素材なのだ。
「自信を持て、って言われて持てるなら楽だよな」
アルトが言う。
その言い方が、妙に実感を含んでいて、リュシアンは少し驚いた。
「……アルト君も、そう思うんだ」
「思う」
即答。
「持てないから詰まるんだろうし」
「……」
その一言が、妙に優しかった。
優しい、というより、逃げていない。
『前向きに頑張れ』ではなく、今つまずいている構造を、そのまま認めたうえで話している。
どうしてこんなふうに言ってくれるんだろう、とリュシアンは思う。
どうしてここまで。
アルトはそこで、さらりと紙へ簡単な線を引いた。
「この世界の魔法って」
「……」
「普通は、自分の回路から外へ向かって術式を立てるだろ」
「うん」
「でも、君はその前に一回、内側を満たした方がいい」
「内側……」
「いきなり外へ通そうとすると、言葉の正確さに引っ張られる」
アルトは線を二重に重ねる。
「だから先に、自分の中に一回『もう足りてる』状態を作る」
「……そんなこと、できるの?」
「できる」
アルトは平然と言う。
「少なくとも、君なら」
その『君なら』が、またリュシアンの胸を打つ。
選ばれているみたいだ、と思う。
しかも、ただ甘やかすための言葉ではない。
理屈があって、そのうえで可能だと言われている。
リュシアンの中に、もう一つの揺れが生まれ始めていた。
信じたい。
この人の言うことなら。
それはまだ全面的な信頼ではない。
けれど、家族に向けてきたものとは少し違う方向へ伸びる信頼の芽だった。
一方のアルトは、そんな微妙な感情の芽吹きすべてを、まだ正確には読んでいない。
ただ、面白くなってきている。
それだけはよく分かる。
少し教える。
すると、リュシアンは一つの助言から十を拾う。
「それって、詠唱の前に一度、息を深くするのと同じ?」
「近い」
「でも、息だけじゃなくて、意識の置き方も?」
「そう」
「じゃあ、言葉に魔力を乗せるんじゃなくて、先に自分の身体を術式の器に――」
「それ」
アルトが思わず少し前のめりになる。
「そこ」
近い。
かなり近い。
しかも、その時のアルトの目がだいぶ熱い。
本人としては、単に『あ、吸収が早い、すごい』と興奮しているだけなのだが、傍から見ればどう考えても距離感が近すぎる。
そして、この『ちょっとの助言』は、当然のように膨らみ始める。
アルトの中では、まだ軽い説明のつもりだった。
しかし問題は、彼の『軽い』が、すでに極限まで追求することを当然の地平にしている点にある。
死にかけの再構築。
亜空間への干渉。
座禅による高密度魔力形成。
そうした領域を平然と通ってきた男にとって、一般生徒向けの『少し補う助言』など、放っておけばどこまでも精密になるのは当然だった。
だから講義が始まる。
この世界の魔法体系にはない、しかしこの世界の魔法体系をむしろ補強しうる、少しずれた解釈。
外へ干渉する前に、なぜ自分の内側をいったん満たす必要があるのか。
詠唱が言葉である前に、術式のための『内部構造の固定』としてどう機能するか。
魔力回路の迷いを減らすためには、自信ではなく『流れの前提』を先に置くべきだということ。
しかも、それがとんでもなく分かりやすい。
アルトは魔法の構造そのものを感覚で理解している。
さらにそれを、知識の女神の加護によって言語化できる。
言語化ができるだけではない。
どこで引っかかるかも、どこまで噛み砕けば伝わるかも、妙に正確だ。
結果、彼の講義は、異世界の学会へ持っていけば大騒ぎになるような内容であるにもかかわらず、驚くほど平易だった。
下手をすると、魔法の基礎を知らない子どもでも、説明の骨格だけは理解できるかもしれない。
小学生くらいの認知でも、『ああ、そういうことか』と飲み込めてしまう異様な分かりやすさ。
そして、もともと努力家で素地もあるリュシアンが、それを吸う。
吸収が、速い。
あまりにも速い。
アルトはそこでもう、かなり機嫌が良くなっていた。
「君、本当によく吸うな」
「え?」
「一つ言うと十動く」
「……そう、かな」
「そう」
アルトは真顔で言う。
「かなりいい」
「……」
「思った以上にいい」
若干、気持ち悪い。
だが本人は本気だ。
そして本気である以上、熱が漏れる。
リュシアンはその熱に当てられながら、自分の内側の何かが少しずつほどけていくのを感じていた。
できる。
教わった通りにやると、本当にできる。
さっきまで引っかかっていたところが、綺麗に流れる。
それが驚きだった。
同時に、自分の中に『素材の良さ』みたいなものが本当にあるのかもしれない、という考えが、初めて現実味を持つ。
それは魔術回路の迷いを消す大きな助けになった。
自分は駄目だ、という前提のせいで詰まっていた部分が、アルトの助言によって少しずつ『やれるかもしれない』へ書き換わる。
信頼が増す。
家族へ向けてきたものより、もっと直接的で、もっと危うい種類の信頼が。
どうしてここまでしてくれるんだろう。
その問いは消えない。
消えないまま、でも、その分だけアルトへの視線がやわらかくなる。
アルトはそこまで明確には読んでいない。
ただ、リュシアンの魔力の詰まりが減り、理解が深くなり、反応が速くなることに、純粋にかなり満足していた。
これは面白い。
かなり面白い。
この子は、教えれば伸びる。
しかも、こっちが面白くなる速度で。
それはアルトにとって、善意でもあり、合理性でもあり、打算でもあった。
善意。
良い素材が埋もれるのは惜しい。
合理性。
主役に育てれば、自分は半歩外側へ回りやすくなる。
打算。
その影で、愛すべきモブヒロインたちを存分に見られる。
どれも本当だ。
だからこそ、止まらない。
気づけば窓の外は、だいぶ暗くなっていた。
「……ごめん」
リュシアンがふと我に返って言う。
「長く居すぎたよね」
「別に」
アルトは本当にそう思っている。
「でも」
リュシアンは少しだけ視線を落とした。
「その……」
「?」
「ありがとう」
小さな声。
「こんなふうに、教えてもらったの、初めてだから」
その言葉に、アルトは一瞬だけ黙った。
それから、ごく自然に頷く。
「君なら、伸びるから」
「……」
「だから、今のうちに土台を強くした方がいい」
また土台。
また先の話。
リュシアンにとって、それはほとんど『これから先も見るつもりだ』と言われているのに近かった。
深く揺れる。
まだ自覚には遠い。
だが、もう最初の戸惑いだけでは済まなくなっていた。
そしてアルトの中では、この瞬間、リュシアン育成計画の開始がはっきり固まった。
やる。
自然に。
少しずつ。
一般人向けの正常な範囲で。
だが、限界値まで。
主役候補として、きちんと仕上げる。
その決意を胸の内で静かに置きながら、アルトはリュシアンを見送った。
扉が閉まり、部屋に静けさが戻る。
その静けさの中で、アルトは一人、少しだけ笑った。
学院生活は、やはり面白い。
しかも、思った以上に、ずっと。
ああ……
もう、本当に……ね。
働きたくない。
いよいよ、働きたくない。
なんのために、生きてるんだろ、私。
……すみません。
かなり、下品でしたね。
しかし、
皆さん、どうやって働きながら書くモチベーションを維持してるんでしょうか?
教えてください。
いよいよ、生きるのもつらくなって……
いえ、もうよしましょう。
……しかし、つらい。
もう、ずっと働きたくない。
なんだか、
久しぶりに司書お姉さんに会いたくなりました。
行っちゃおうかしら。
…………
……
はい!
というわけでね!
まだまだ本作は続きます!
続けたいです!
というより、すでにざっくりと完結まで書いているんですが、
ざっと、あと70万字くらい続きます。
お話の流れとしては、まだまだいまは序盤。
これから先は少し学院編が続き、冒険編、魔王編へと続いていく流れです。
書き殴ったものを読みやすいように整えながら小出ししていきます。
たぶん、モチベーションが続く限り、更新を続けていきます。
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