第4話 惜しい、が美しい
学院というものは、だいたい初回の模擬戦で本性が出る。
授業中の発言や、自己紹介の整い方など、正直どうとでも取り繕える。
家柄のある子ほど、そのへんは幼い頃から訓練されている。
座り方。
笑い方。
相槌の打ち方。
そういうものは、名門の子女ならむしろ上手くて当然だ。
だが、模擬戦は違う。
身体が出る。
呼吸が出る。
追い詰められた時に、何を信じているかが出る。
勝ちたいのか。
綺麗に見せたいのか。
怖いのか。
譲れないのか。
そういう、人間の中身の輪郭が、一番分かりやすく表へ出る。
だからアルトは、この日を少し楽しみにしていた。
もちろん、健全な意味だけではない。
主役候補だらけのこの学院で、誰が『本当に前へ出る者』で、誰が『前へ出るはずだったのにあと一歩届かない者』なのか。
それが、きっとよく見えると思ったからだ。
訓練場は広かった。
学院の外観がそうであったように、ここもまた見せ方を知っている。
だだっ広いだけではない。
踏み込みやすい地面。
観覧位置の高低差。
魔法演習用の簡易結界。
怪我を致命傷へしないための保護術式。
実戦に寄せつつ、学生用の枠に収める工夫がきちんとある。
教師が前へ出て、今日の流れを説明する。
初回なので、あくまで軽い実技確認。
剣士志望、魔法師志望、混合型、それぞれ数組ずつ見ていく。
勝ち負けより、現時点での基礎の把握が目的――などと口では言う。
だが、そんな建前を真面目に信じる生徒はいない。
初回の模擬戦は、つまり格付けだ。
誰がどの程度やれるか。
教室の中で、どの立ち位置へ置くべきか。
それを皆、見ている。
アルトももちろん、見ていた。
というより、模擬戦相手の男子生徒がアルトを前にした途端に昏倒したため、もう皆を見るより他がなかった。
アルトに期待を向けた生徒たちには気の毒だが、当人は生徒たちの観察に集中できることを誰よりも喜ばしく思った。
ただし、その見方は少し、いやかなり皆とはズレていた。
最初の数組は、だいたい予想通りだった。
家柄のよい剣士の子は、基礎が整っている。
魔法名門の子は、詠唱の入りが綺麗だ。
騎士家系の子は、足運びに無駄が少ない。
だが、同時に、『教えられた通りに優秀』な範囲を出ない者も多い。
それは別に悪いことではない。
悪いことではないが、平助の審美眼にとっては、少し物足りない。
その『少し物足りない』感を抱えたまま数組を見送ったところで、教師が次の名前を呼んだ。
「セラフィナ・アーデルハイト」
「はい!」
返事がよく通った。
ぱっと訓練場の空気が少しだけ変わる。
それだけで分かる。
この声は、周囲を巻き込む熱を持っている。
アルトはそちらを見た。
赤髪だった。
鮮やかで、しかし下品ではない。
陽の下ならもっと燃えるように見えるだろう色が、訓練場の光の下でくっきりと輪郭を持つ。
瞳は金茶に近い。
顔立ちは整っていて、活発さが前に出る。
身体つきも、鍛えている者のそれだ。
華がある。
あるのだが、その華は『完成された主役の余裕』ではなく、『前へ出たい者の熱』として揺れていた。
ああ、とアルトは思う。
これは良い。
まだ何も始まっていない。
それでももう分かる。
この子は、かなり良い。
セラフィナは木剣を取る。
相手は同じく剣士志望の男子生徒だった。
大柄で、体格に恵まれている。
悪くない。
むしろ初回の確認としては、彼の方が『勝つ側』に見える者も多いだろう。
教師が開始の合図を出す。
踏み込むのは、ほぼ同時。
だが最初の一歩で、アルトは少しだけ目を細めた。
セラフィナの足は速い。
速いだけではない。
迷いが少ない。
勝ちたい者の踏み込みだ。
怖がりながら様子を見る者の足ではない。
ちゃんと前へ出る気で、出ている。
木剣が打ち合う。
乾いた音。
相手は重さで押す。
セラフィナはそこをまともに受けず、角度で流す。
返しが早い。
肩の使い方に癖がある。
そして、その癖はたぶん本人も分かっていて矯正中なのだろう。
直しきれていないが、直そうとしている動きが見える。
いい。
非常にいい。
アルトはそこでもうだいぶ真面目に見始めていた。
セラフィナは強い。
熱がある。
しかも、その熱をただ勢いへ逃がさず、ちゃんと技術へ落とそうとしている。
たぶん努力家だ。
かなり。
ただし、その努力がまだ『完成された華』へ変わりきっていない。
だからこそ、いい。
模擬戦は進む。
セラフィナは押されない。
むしろ何度か、かなり良い形で相手の懐へ入った。
だが、そのたびに、ほんのわずかだけ届ききらない。
角度はいい。
タイミングも悪くない。
なのに、最後の一打の伸びが足りない。
いや、足りないのではなく、『相手の方がほんの少しだけ強い』。
筋力。
体格。
場慣れ。
そういう、剣の技術そのものとはまた別の要素が、最後の紙一重で効いてくる。
それでもセラフィナは引かない。
引かずに、次を作る。
苦しい体勢でも、膝を割らず、目線を下げず、ちゃんと『まだ勝つ気でいる』顔をしている。
その顔が、アルトの胸を打った。
これだ。
これなのだ。
主役候補には二種類ある。
最初から中心に立てる者と、立てるだけの熱と華を持ちながら、何かひとつ足りないために、一番には届かない者。
セラフィナは後者だった。
しかも、その『足りなさ』が致命的ではない。
ほんの少し。
紙一重。
磨けば変わる。
努力すれば届くかもしれない。
だが、今はまだ届かない。
この『今はまだ届かない』温度が、平助にはどうしようもなく刺さる。
最後、相手の押し込みに対し、セラフィナは受けを少しだけ崩された。
立て直したが、判定上はそこまでだった。
「そこまで」
教師の声。
勝者は相手の男子生徒。
周囲は当然のようにそちらを見る。
大きくて、分かりやすく勝った側。
教師もまずはそちらを簡単に評する。
もちろん、セラフィナも褒められないわけではない。
健闘した。
良い動きだった。
だが、空気の主導権はどうしても『勝った側』へ流れる。
そこでアルトだけが、完全に別のものを見ていた。
セラフィナの終わり方だ。
彼女は負けた瞬間、悔しさを隠そうとしていなかった。
顔に出る。
だが、折れてはいない。
唇を噛み、すぐに視線を上げ直し、どこが悪かったかをもう考えている。
しかも、その悔しさが『みっともなく負けたくない』ではなく、『届かなかったのが本気で悔しい』に寄っている。
美しい。
と、アルトは思った。
いや、本当に。
あの瞬間の悔しがり方は、かなり美しかった。
取り繕えない熱が、そのまま顔へ出る。
でも泣かない。
折れない。
次を見ている。
しかも周囲はその良さを、いまいち拾い切れていない。
たまらない。
アルトはそこで、うっかり口を開いた。
「今の、かなり良かったですね」
場が少し止まる。
教師でも、勝った側でもなく、負けたセラフィナへ向けて、アルトが真っ先にそう言ったからだ。
セラフィナ本人も、振り返りかけて止まる。
え、という顔。
アルトは続けた。
「最後の三手目」
「……?」
「押し返せなかったですけど、あそこへ行くまでの組み立て、かなり綺麗でした」
「……は?」
「しかも」
アルトは真顔で言う。
「届ききらない感じが、すごく良かったです」
静寂。
周囲の空気が、見事に一拍止まった。
教師が眉を寄せる。
勝った男子生徒が何とも言えない顔になる。
レオノーラは少し離れた位置から、その発言を聞いて、ああやっぱりこの男はおかしいな、という顔をし始める。
そして、当のセラフィナはというと。
「は、はぁ!?」
真っ赤になっていた。
怒っているのか。
困っているのか。
褒められていると理解していいのか。
全部が一気に押し寄せた結果、顔の処理が追いついていない。
「な、何よそれ!」
声が裏返る。
「褒めてるんですか、けなしてるんですか!?」
「褒めてます」
アルトは即答した。
「かなり」
「どこがよ!」
「届かないのに、引いてないところが」
「……っ」
「あと」
「あと!?」
「一番を取りきれない側の熱量って、すごくいいので」
「意味が分からないんだけど!?」
当然である。
意味が分かる方が危険だ。
だがアルトの中では、これはかなり誠実な賛辞だった。
セラフィナの魅力は、勝ち切る完成度ではない。
勝ちたい熱を持ちながら、今はまだ届ききらず、それでも折れないところにある。
そこを見てしまった以上、言うしかないではないか。
セラフィナは本気で困っていた。
褒められているらしい。
らしいが、褒め方が変だ。
惜しいとか、届ききらないとか、一番を取りきれない側の熱量とか、言われて嬉しいのかそれは。
いや、でも、ちゃんと見られていたのは分かる。
どこでどう戦っていたかを、かなり細かく。
そこが余計に、反応を難しくしていた。
セラフィナは木剣を持ったまま、ぎり、と奥歯を噛んでアルトを睨む。
「……変な人」
「よく言われます」
「でしょうね!」
その言い返しに、訓練場のあちこちで小さな笑いが漏れた。
空気が少し緩む。
ただ、その緩み方の中で、レオノーラだけは少し違う顔をしていた。
彼女は見ている。
アルトが、勝った者の分かりやすい評価よりも、『届ききらなかった側』の熱を拾ってしまう男だということを。
昨日の昼休みのミレナもそうだった。
中心より、その隣。
完成された華より、その手前の惜しさ。
正面から輝く者より、半歩届ききらない者へ目が行く。
そういうズレが、はっきり見え始めている。
レオノーラの胸に、ごく小さな引っかかりがまた増える。
それはまだ嫉妬と呼ぶには弱い。
だが、『この男は普通ではない』という認識は、確実に強くなっていた。
一方、セラフィナの方は、怒ったような顔のまま、どうにも気持ちを処理しきれずにいた。
変な褒め方。
意味不明。
気持ち悪い。
だが、試合の細部を見ていたのは本当だ。
しかも、自分が一番悔しいと思っていた『届かなかった感じ』を、なぜか価値として拾われた。
そんなことは初めてだった。
普通は、負ければ負けだ。
惜しかった、で終わる。
勝ち切れなかったならそこまで。
なのにこの男は、その『惜しさ』の中身を、妙に嬉しそうな顔で拾ってくる。
それが気持ち悪くて、でも少しだけ胸に残る。
セラフィナは木剣を抱えるように持ち直し、最後に一言だけ絞り出した。
「……次は勝つから」
その声は、悔しさの上に立っていた。
アルトは少しだけ目を細める。
「はい」
「……」
「その方が、もっと良くなると思います」
「だから褒め方が気持ち悪いのよ!」
また小さな笑いが起きた。
その輪の外で、アルトは内心かなり満足していた。
見つけた。
ちゃんと見つけた。
主役候補だらけの学院で、熱と華を持ちながら、ほんの少しだけ一番へ届かない少女。
しかも、その惜しさを本人はちゃんと悔しがっている。
ああ、やはり学院は良い。
とても良い。
平助の変態性は、今日もまたひどく一貫していた。




