第3話 昼休みの中心と、その隣の子
教室というものは、昼休みになると本性が出る。
授業中は、誰もがそれなりに『生徒』の顔をしている。
教師がいる。
黒板がある。
席順がある。
形式の中では、人は案外うまく均される。
だが昼休みは違う。
誰がどこへ向かうか。
誰の周りに人が集まるか。
誰が自然に食事の輪の中央へ立ち、誰がその少し外側へ位置取るか。
そこには、その場の力学が露骨に出る。
そして、この学院の教室において、その中心の一つを作っていたのは、やはりレオノーラだった。
午前の授業が終わり、教師が出ていった途端、教室の空気がゆるむ。
椅子が引かれ、軽い話し声が生まれ、従者が許されている家の子には昼食の包みが届けられる。
その中で、レオノーラの周りには、ごく自然に人が集まった。
別に彼女が「来なさい」と言うわけではない。
言わないのに、人が寄る。
そこが重要だった。
中心に立つ者というのは、だいたいそういうふうにできている。
声を張り上げなくても空気が寄る。
本人もそれを当然として受け取り、だからこそ余計な威圧がない。
レオノーラは椅子を少し引き、近くの子へ穏やかに声をかけていた。
誰かの席が詰まりすぎないように目配せし、話題を拾い、輪がいびつにならないようさりげなく整える。
上手い。
かなり上手い。
主役格というものは、ただ目立てばいいわけではない。
こうして『周囲が自分の周りへ集まった時に、その空間を保つ技術』が要る。
レオノーラには、それがちゃんとあった。
だから、普通ならアルトの目もまずそちらへ向くはずだった。
はずだったのだが。
当然のように、ズレた。
アルトの視線が引っかかったのは、レオノーラ本人ではなく、その少し横にいる緑髪の少女――ミレナだった。
ミレナは目立たない。
いや、正確には『目立たないように振る舞うのがうまい』。
誰かが包みを開きにくそうにしていれば、自然に手を貸す。
席の位置が少し窮屈そうなら、何も言わずに自分の椅子をずらす。
話題が一人へ偏りすぎれば、小さく別の子へ相槌を入れて輪を散らす。
水差しの位置。
卓上の空き。
配膳の向き。
そういうものを、いちいち考えている気配すら見せずに整えていた。
良い。
非常に良い。
主役の隣で、主役を主役らしく見せる技術。
しかもそれを『技術』とさえ思っていない自然さ。
たぶん本人は、こういう気配りが当たり前になっているのだ。
自分が注目されるより先に、空気が滞らない方を選ぶ。
その身体に染みついた一歩の引き方が、アルト――というか平助の胸をたいへんよろしくない方向で打った。
昼休み開始数分で、もうだいぶ危なかった。
いけない。
いくらなんでも、露骨に見すぎるな。
入学初日から『取り巻きの配膳を熱心に観察している男』として認識されるのは、さすがに今後の学院生活へ悪影響がある。
そう理性では分かる。
分かるのだが、視線が吸われる。
ミレナが、誰かの包みの紐が絡まっているのを見て、言葉もなく指先でほどく。
そのあと、ほどき終えたことを大げさに示さず、何でもない顔で座り直す。
良い。
何が良いかと言われると、もはや全部である。
そばかす。
やや跳ねた緑髪。
主役のすぐ横。
それでいて自分を主役の側へ数えていない感じ。
その全部が危険な配合でアルトの審美眼へ刺さってくる。
しかも、ミレナ本人には『見られる側』の自覚があまりないらしい。
気遣いの途中でふと顔を上げ、アルトと目が合った時など、それはもう見事なくらいに「え、なんで?」という顔をした。
肩がほんの少しだけ揺れる。
目が丸くなる。
すぐに『気のせいかな』みたいな顔へ戻そうとするが、その一瞬の困惑は隠しきれない。
いけない。
非常にいけない。
その反応が、また良い。
アルトはそこで、内心で一度深く息を吐いた。
落ち着け。
せめて一回くらい、ちゃんとレオノーラの方へも視線を置け。
主役格を主役格として認識しているふりくらいは必要だ。
そうしてレオノーラへ目を向ける。
彼女はちょうどこちらを見ていた。
たぶん偶然ではない。
いや、偶然半分、確認半分だろう。
勇者家系の少年が教室の空気をどう受けているのか。
自分をどう見ているのか。
そのくらいは、中心に立つ者として自然に気にしていたはずだ。
だからこそ、アルトの視線が一度自分へ向いたあと、またすぐミレナへ滑ったのを見て、彼女の目にごく小さな違和感が生まれる。
引っかかったのだ。
当然である。
普通なら、自分を見る。
少なくとも、まずは。
それが自然なはずなのに、アルトはそうしない。
レオノーラはそこで、いかにも名家の令嬢らしく、露骨な顔はしなかった。
だが、ほんの一瞬だけ眉の奥で何かが止まる。
そのごく小さな『なんで?』を、アルトは見逃さない。
ああ、そうだろうな、と内心で思う。
この反応は分かる。
むしろ正常だ。
正常であるにもかかわらず、自分の視線はやはりミレナの方へ戻ってしまうのだから、救いようがない。
「アルト・ヴァレイン様」
不意に、レオノーラの近くにいた別の少女が声をかけてきた。
「もしよろしければ、ご一緒にいかがですか?」
誘いである。
周囲から見れば自然だった。
勇者家系同士、有力家同士、初日に昼食の輪へ招く。
この学院では、おそらく最も『正しい』接触の仕方だろう。
アルトは軽く会釈し、誘いに応じることにした。
拒む理由はない。
というより、ここで拒むと余計に目立つ。
だから一歩踏み入る。
レオノーラの輪の近くへ。
ただし、その瞬間にも意識のどこかは、やはりミレナの動線を見てしまっている。
席をひとつずらす。
皿の位置を調整する。
自分の包みは後回しで、先に他の子へ小さな布を渡す。
会話の輪が狭くなりすぎないよう、さりげなく半歩引く。
良い。
本当に良い。
アルトは着席しながら、かなり危険な満足感を覚えていた。
「お会いできて光栄です、ヴァレイン様」
レオノーラが言う。
正面からでも華がある。
近くで見ると、なおさらそうだ。
姿勢がよく、表情の作り方もきちんとしている。
「私、レオノーラ・グランフェルトと申します」
「アルト・ヴァレインです」
「先ほどもそう仰っていましたね」
ほんの少しだけ笑う。
会話の運びも上手い。
自分が主導を取りつつ、相手へ威圧が強くなりすぎない程度に柔らかい。
ちゃんと『ヒロイン』している。
それはそれとして、アルトの目は会話の端でミレナが誰の飲み物に何を添えたかを拾っていた。
駄目だ。
本当に駄目だ。
レオノーラが正面にいるというのに、支える側の子の手元を見ている場合ではない。
場合ではないのだが、見てしまう。
その視線の流れが、ついに会話へ漏れたのは、たぶん不可抗力に近かった。
話題が、学院生活のあれこれへ移った時である。
レオノーラが「まだ初日ですし、不便もあるでしょう」と言った。
それは自然な気遣いだ。
初日で緊張している者もいるだろう。
名家の子女とはいえ、全員が全員こういう場に慣れきっているわけではない。
その言葉に、アルトはつい、自然に言ってしまった。
「でも」
全員の視線が少し寄る。
「このあたりは、かなりやりやすいよう整ってますよね」
「……え?」
レオノーラが少しだけ首を傾げる。
アルトはそこで、ミレナの方を見た。
「そちらの方が、最初からかなり気を配ってるので」
静まった。
教室の一角が、ごく短く、しかし確実に静まった。
ミレナが固まる。
目が丸くなる。
自分へ話が飛んでくると思っていなかったのが丸分かりだった。
「わ、私……?」
声が少し上ずる。
そう、君だ、とアルトは内心で思う。
だって見えてしまったのだから仕方がない。
この輪の空気が思った以上に自然なのは、レオノーラの主導だけでなく、君が細かいところを拾っているからだ、と。
だが、そこまで言うと本格的に気持ち悪い。
だから言葉は少しだけ抑える。
「席の空き方とか」
「……」
「配り方とか」
「……」
「そのへん、最初からかなり自然なので」
ミレナの頬が、少しだけ赤くなった。
「そ、そんなこと……」
「してるだろう」
アルトはごく素直に返す。
その『ごく素直』が、一番質が悪い。
下心を隠すつもりもなく、だが表向きには真っ当な観察として成立している。
だからこそミレナは否定しきれないし、周囲も反応に困る。
ミレナ本人は完全に困惑していた。
なんで私なのか。
しかも、そんな細かいところを。
その戸惑いが顔じゅうに出ている。
良い。
刺さる。
だが、その場でそれを味わっている余裕はなかった。
レオノーラの方である。
彼女は表情を崩していない。
崩していないが、ごくごく小さく、引っかかっていた。
それは怒りとも違う。
まだそこまで強くない。
ただ、『どうしてそこでミレナへ行くの?』という違和感。
自分の輪に招き、自分と話している最中に、その隣の子へ目を向けられる。
しかも、本人がさほど意識していない働きを拾い上げて褒める。
たしかに、それは少しだけ面白くない。
レオノーラ自身、すぐにはその感情へ名前をつけられなかっただろう。
ただ、胸のどこかが小さく引っかかった。
そしてその引っかかりが、後からじわじわ効いてくる種類のものであることも、アルトにはなんとなく分かった。
ああ、と内心で思う。
やってしまったな。
だが、もう遅い。
自分はこういう男なのだ。
主役の中央へ誘われても、気づけばその隣で空気を支えている子に意識が向く。
平助の変態性とは、そういう意味で本当に一貫していた。
その時、教室の端の方で、もう一つ別の視線がアルトを捉えていた。
ルゼリアだ。
彼女は遠くから、このやり取りを見ていた。
いや、見ていたというより、『見ないようにしようとして、つい見てしまった』に近い。
中央の輪へ自然に混じりながら、しかしその実、視線の置き方はまるでそこに馴染んでいない。
主役格の少女と話しているくせに、その隣の支える側ばかり見ている。
そのおかしさが、ルゼリアの警戒心をさらに刺激した。
何だ、この男は。
魔力の異常さだけではない。
視線の配り方からして、まともではない。
しかも、その異常さに自覚が薄い。
それが余計に怖い。
ルゼリアはそこで、無意識に自分の肩を抱くようにした。
別に寒いわけではない。
だが、本能が『近づくな』と言っている。
一方、リュシアンは少し離れた席から、この一連のやり取りを見ていた。
彼にとっても、アルトの視線は不思議だった。
目立つ家の子たちの輪へ入っていったのに、中心ではなく横にいる子へ自然に言葉を落とす。
しかもその言葉に打算がない。
褒めるために見つけたというより、見えてしまったから言ってしまっただけ、という感じ。
リュシアンはそこで、ほんの少しだけ自分の胸がざわつくのを覚えていた。
なぜだろう、と彼自身にもまだ分からない。
ただ、ああいうふうに『誰も気にしないところを見つける目』が、自分へ向いたらどんな気分なのだろう、とは、少しだけ思った。
その種は、まだ小さい。
けれど、確かに落ちた。
昼休みの輪の中で、アルトはようやく少しだけ我に返る。
さすがに、ここでミレナをこれ以上拾うと危ない。
レオノーラの違和感も、もう十分に生まれている。
だから、以後は普通に会話へ戻す。
家のこと。
学院のこと。
授業のこと。
表向きはちゃんと整える。
だが、その整った表面の下で、アルトの中にはすでに手応えがあった。
レオノーラは主役格だ。
シャルロッテは反応が鋭い。
リディアは柔らかい。
ミレナは、自分が見られると思っていない。
ルゼリアは明確に警戒している。
リュシアンは、自分でも分からないまま少しこちらを見始めている。
良い。
学院は、やはり面白い。
主役候補だらけの場所で、自分だけが半歩外側を見てしまう。
それによって、空気が少しずつズレていく。
その感触が、アルトにはどうしようもなく心地よかった。
平助の変態性は、今日もまた隠しきれていない。
だが、隠しきれないなら隠しきれないなりに、学院生活を進めるしかないのだろう。
そしておそらく、それがこの先、だいぶ面倒なことになる。
それでも構わない、とアルトは思った。
だって、もう見つけてしまったのだから。
この教室の中心の光と、その隅や隣にある、あまりにも良い気配を。
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