永澄の章 「茶番劇」
お母ちゃんは前警視総監と大広間でイチャイチャしていた。
私はそれを廊下で見ていた。
無論どちらも節度のあるイチャイチャだったのだが、なんか銀座のスナックを彷彿とさせるものがある(行ったことないけど)。
「お、遠山さんやっぱり来たんすね」
お盆にビールや日本酒、グラスにお猪口を乗せたヤスが私の隣に立っていた。
「知ってんのヤス?」
「へぃ、警視総監だった人でやす」
それは知ってる。
「他には?」
「えっと確か姐さんが女優してた時からの熱狂的なファンで、、、」
それも知ってる。
「親衛隊隊長してて私財投げ打ってファンクラブまで作って、、、」
それも知ってる。
他には?他にはないの?
「親分と姐さんの結婚式にゃあ仲人をしてたはずでさぁ」
泣けるっ!
熱狂的なファンなのに仲人って泣けちゃう!
あれ?ちょっと待って?
「仲人って夫婦でやるもんじゃない?」
「へぃ、そうでさぁ」
「お父ちゃんとお母ちゃんが結婚した時あの人もう結婚してたの?」
「してやしたよ、確かお子さんもいたと思いやしたが」
そうなんだ!
なんかちょっと健全に見えてきた!
「ところでヤス、ウチのおじいちゃんが慶応出身なの知ってた?」
「へぃ、法学部でやす」
「ウチのお父ちゃんが早稲田なのは?」
「もちろんでさぁ。政治経済学部でやす」
「お母ちゃんのは?」
「お茶の水の文教育学部出身でやすよ」
「渡辺さんのは流石に知らないわよね」
「京大の薬学部じゃなかったですかい?」
なんでも知ってんな。
さすが瀬戸組最古参の下働きヤス。
ウチに来てもう30年近く下働いてるわね。
そのままでいいよ、ヤスはヤクザなんかにならないでそのままウチにいてちょうだい。
「そんな高学歴一家ですから永澄のお嬢が千石に合格しても驚きやぁしませんでしたぜ。もちろん嬉しかったし喜びましたが誰1人として落ちるだなんて思っちゃおりやせんでした」
「ありがと。お祝いでくれた定期入れちゃんと使ってるよ」
「本当ですかい!いやぁ嬉しいでさぁ、みんなでお金出し合って奮発したもんですが、ワシら金ない下働き同士が集めたところで親分たちの足元にも及ばねぇ安もんしか買えなかったんで永澄のお嬢が使うには恥ずかしいかなぁって思ってやしたから」
「そんなことないよ。ヤス達が私のために買ってくれたものだもん。忙しいお父ちゃん達の代わりに私と遊んでくれたのヤスだもんね笑」
「ワシぁ皆さんと違って学がないですけぇ、頭の程度が子どもと遊ぶのでちょうど合ってるんでさぁ」
「感謝しとるんよ、ヤスにもサブにもシゲにも。みんな私のお兄ちゃんじゃけぇ」
「身に余る勿体無ぇお言葉でさぁ」
だからかな?
ちょっとだけ胸が痛むのは。
私だけのお兄ちゃん達が私だけじゃなくなったから七生に嫉妬してるのかな。
だけどそれ以上に上回る感情がある。
だから私のちっぽけな嫉妬心はティッシュに包んで捨ててしまおう。
「あのさ、ヤス」
「へいっ」
「七生のことも、お願いします」
「へい?」
「七生のことも私と同じように大切にして下さい」
ヤスは一瞬躊躇った。
そして
「お嬢、顔をあげてくだせぇ。ワシなんかに頭なんざ下げねぇでおくんなせぇ」
お盆を床に置いて私の肩に手を置いた。
「お嬢、ワシは頭が悪いけぇ永澄のお嬢と七生のお嬢を同じっちゅうのはできんのですよ。サブ達も同じです、みんな…みんな同じには出来んのですよ」
ポロッと涙が出た。
また私のことお嬢って呼んでくれて、嬉しかった。
「お嬢はお嬢です。七生のお嬢も七生のお嬢です。同じ人じゃあありません。だから同じようにっちゅうのはウチらには出来んのですよ。けど、七生のお嬢のこたぁワシら大好きです。もちろん永澄のお嬢のことも大好きです。もし2人が崖から落ちそうになったらワシはどっちも助けたいと思います。じゃけどワシにそんな力はないけぇ2人を助けるためにワシぁマサの親分を呼んできやす。そしたらマサの親分はお嬢に手を差し伸べるでしょうから、そしたらワシは七生のお嬢を助けると思います。あれ?ワシなに言うとるんじゃろ?いやお嬢、ワシが言いたいのは、、、」
私は背伸びしてヤスに抱きついた。
子どもの頃抱っこしてもらった時にしていたタバコの匂いはもうしなかった。
「それでええよ。ヤスは全然頭悪くないよ。それが私ら2人を助けるために1番合理的な方法やもん。ヤス、ありがとう」
つまんない嫉妬。
くだらない独占欲。
ちっちぇえなぁ私。
お父ちゃんの足元にも及ばん。
ヤスはちゃんと愛してくれとるやん。
昔と変わらず、私のこと大切に想うてくれてるやん。
なのに私、ヤスの気持ちも知らんとアホやなぁ。
ブサイクやで、ホンマ。
「大好きだよ、ヤス」
「ワシもでさぁ、お嬢」
「おうヤス…死ぬ覚悟はできとるんかいのぉ」
は…はわわわわわ!
こ、この声は…。
よりにもよってこんなタイミングで蜂合わすなんてぇ!
「ち、違いますよマサさん!これはそういうんじゃないんです!」
「永澄さん…いま男同士の話し合いをしとるんで、ちょっと待っててもらえますかのぉ」
「だから違うんですって!」
「だから何がどう違うんですかいのぉ?」
「ヤスはお兄ちゃん的な好きで、マサさんはお嫁さんにして欲しい的な好きです!」
「なおさら許せませんぜ。永澄さんの好きは全部ワシのもんじゃけぇ」
はうぅん♡ちゅきっ♡全部ちゅき♡
て、言ってる場合じゃないわ!
「私がちょっと七生に嫉妬してただけです!けど今ヤスと話してそんな嫉妬する必要ないってわかったんで、そういう気持ちを込めての好きっていうので、、、」
「ヤス…ワレ七生のお嬢にも手ぇ出しとんのか?」
なんでそうなるんですか!
あぁあれだ。
マサさんも頭に血が昇ったらバカになるタイプだ?
「マサの親分…小指で勘弁しちゃあもらえませんかね?」
「そしたらホントにそういう意味になっちゃうじゃないのよ!バカなのヤス?あんたホントバカじゃないの!」
「お嬢さっきワシのことバカじゃないって…」
「ああああもう面倒くさいわねぇっ!!!」
キレたらバカになるのは私も同じだった。
こんなこと言うつもりなんてサラサラなかったのに。
「マサさんっ!マサさんは私のことどう思ってるんですか!私が好きって言ったらいつも『俺もです』しか返してくれないじゃないですか!俺もですってなんですか?私が言わなきゃ何も言ってくれないんですか!主体性ないんですか!」
おうおうどうした?とお父ちゃんが現れた。
何事だい?とお母ちゃんwith遠山さんが現れた。
大きい声出してどうしたの?と花さんが現れた。
カチコミか?と吉田さんが現れた。
ウル…サイ…ナ…と七生も現れた。
マサさんは身を固くして動けないでいる。
永澄の先制攻撃。
「ちょうどみんないるけぇ、マサさんの気持ち聞かせてもらおうやないの!」
マサさんに1万のダメージを与えた。
「そういやウチらって付き合おうとかそういうのありませんでしたよね?」
マサさんに7500のダメージ。
「てことは私達付き合ってもいないんですよね」
マサさんに6800のダメージ。
「私ばっかり彼女ヅラしてバカみたい」
マサさんに9600のダメージ。
「迷惑なら迷惑とハッキリ言ってくれたらキッパリ諦めますけぇ!」
マサさんに9700のダメージ。
「お…お、おっ、お」
テンパリ過ぎたマサさんは江南スタイルみたいになった。
頭の片隅で懐かしいなぁと思っていた。
「俺は別に迷惑とか……永澄さん、ちょっと2人だけで話しやせんか?」
「いやです。またはぐらかされても困るので今日ばかりはハッキリさせて貰います」
「しやすから、しやすから」
「いいじゃないですか。お父ちゃんもお母ちゃんも、それに花さんも吉田さんもいるところでハッキリさせましょうよ」
「それが1番辛いんでさぁ…」
何が悲しくて両親と同級生の揃った場所でこんな追い詰められなきゃならないのか?
あ、詰めてんのは私か。
「ここいらが年貢の納め時じゃねぇか?」
「そうよ、ここで逃げたらアフロが廃るってもんよ」
「黙れよ社会不適合者」
同級生に遠慮ないのね。
静観していたお父ちゃんとお母ちゃんだったが、ここでようやく口を開いた。
「男ならハッキリおしよ。私らがいるから何も言えないってんなら所詮それまでの男だよあんたは。組は預けられても娘を預ける気にはならないねぇ」
「マサ、てめぇウチの娘と本気で恋仲になるってんならそれ相応の覚悟はあるんだろうなぁ?」
お父ちゃんとお母ちゃんが変な圧をかけるせいで普段あまり表情を変えないマサさんの額からとんでもない量の汗が滴っていた。
「親分と姐さんの前ってのはそのつもりでしたからいいとして…まさかこいつらの前でするとは」
当該者にあたる花さん達はどこ吹く風で成り行きを見守っている。
当然、とても悪い顔をしている。
「永澄さん…」
え?
マサさん、私マサさんの気持ちさえ聞けたらそれで良かったんですよ?
『好いてやす』とか『付き合いやしょう』とかそういう言葉が欲しかっただけなんですよ?
なのにどうして片膝をついてるんですか?
なんですかその白いベロアの小さな箱は?
「ワシら歳ぁ離れてます。それこそ花と秋と同じくらいの離れてやす」
4人ともそれぞれ同級生ですもんね、離れてますね。
それこそ親子ほどに。
「加えてワシぁヤクザもんです。明日の命も保証のねぇ稼業です。それは永澄さんもよくご存知のはずです」
マサさんは稼業でも私の場合は家業なのでそれは十分存じています。
「そして永澄さんはいま芸能界っちゅう華々しい世界で活躍されとります。あぁいったところにゃあ永澄さんと似たような年頃でワシより顔が良けりゃあ稼ぎもいい男なんざゴロゴロいるでしょう」
えぇいます。
キラキラして眩しいです。
多分お金もたくさん持ってるでしょう。
「もっと言やぁ普通の人を選びさえすりゃあ永澄さんは普通の生活を送ることができやす。命の心配もなく危ない目にも遭わず平凡で平均的な幸せです。永澄さんが心のどこかで憧れてた普通の幸せです」
なんだあ、気付いてたんだ。
おじいちゃんにもマサさんにも気付かれてたってことは、私って隠し事ができないタイプなのかな?
「今の永澄さんと18歳の永澄さん、それに20歳の永澄さんに30歳の永澄さん…それぞれの永澄さんが出す答えが同じとは限りません。もしかしたら早まった決断を後悔する日が来るかもしれません。ワシぁそれが怖くてハッキリさせたくなかったんでさぁ。ワシぁ永澄さんがいつでも戻れるように、振り出しに戻って違う道をやり直せるようにしておきたかったんでさぁ。ですがこうなっちまった以上、ケジメはつけなきゃなきゃなりやせん」
パカっと白い箱の蓋が開く。
そこにあったのは白金にブルーダイヤモンドの婚約指輪。
「永澄さん、こりゃあ2年後の前倒しです。なので2年後のワシはもうやりませんよ?その時は永澄さん、アンタが今日の答えをワシに返す番でさぁ。それでも良いですかい?」
私はうなづく。
本当はその時まで待ってても良かった。
多分返事は変わらない。
だけど私はまだ子どもで、どうしても続きを今この目で見たかった。
「ワシの命、アンタにくれてやるけぇ…アンタの未来、ワシに背負わせてくれ」
ドッと涙が溢れた。
指輪もマサさんの顔も何も見えなくなった。
泣いているのにただ涙がとめどなく流れているだけのような、そのくせ心は穏やかでただ一陣の風が吹いている。
その風に花びらが舞う。
桜…とは違う。
指輪のように青くて小さい花びらが風に乗って瀬戸の海へと吹いていく。
おじいちゃん私見つけたよ、普通の幸せ。
私マサさんと一緒になることが普通の幸せだったみたい。
どれだけ平凡で平均的とはかけ離れていても、私の唯一の普通はマサさんに添い遂げることだったんだ。
「はい〜、そこまで。永澄、あんた返事するんじゃないよ。マサ、あんたはその指輪しまいな」
お母ちゃんが幸せに幕を下ろす。
「永澄、男にここまでやらせたんだ…あんたはここで中途半端な感情に溺れて返事なんかするんじゃない。あんたはこれから18歳になるまで死ぬ気でマサへの答えを考えるんだ。安易に答えを出すことは私が許さないよ。ヤクザもんの嫁になるとは何なのか、家庭を持つということは何なのか、この男に嫁ぐということは何なのかを目から血が出るまで考えな!ただ…そういう意味ではあたしゃ同じ道を歩いてきた経験者だ。アンタが迷った時は相談にゃあ乗れるからいつでも言いな。お前さん、それでいいね」
お父ちゃんがパタンと指輪の蓋を閉めマサさんの胸に押し返した。
「永澄の18回目の誕生日、この大広間で今夜の続きをするとしよう。おぅ永澄、てめぇここまで男を追い詰めたんだからお前もそれなりの覚悟持って答え出せよ?舐めたマネしやがったら娘でもただじゃおかねぇからな」
「はい。ごめんねマサさん」
私のために色々考えてくれてたんだね。
なのに私はそんなことも知らずに子どもが駄々こねるような真似してごめんなさい。
「いえ、いいんでさぁ。ただこいつらの前ってのは想定外でしたが」
花さんがウルウルしてる。
吉田さんがニヤニヤ…してない!泣いてる!吉田さん泣いてる!
「その続き、俺らにも見せてくれるんだよなぁ?泣」
「親友だもの、当然よね?私達もお呼ばれするわよね?」
「黙れよ、無関係者」
初めて聞く言葉…。
「さぁこの話はここでおしまいだよ。それから永澄、七生、アンタ達は上に行ってな。裏通夜の時は下に降りてくるんじゃないよ」
えー!どんな人達が来るのか楽しみにしてたのにぃ!…なんて気にはさらさらなれなかった。
今し方起きた出来事に頭がボーッとする。
「ウチ婚礼もやってるんでな。和式もいいもんだぞ」
気付かぬうちに導山住職が立っていた。
妙叡和尚は隣で静かに合掌していた。
>
>
>
七生の部屋のドアをノックするとトントンと木と骨のぶつかる高い音がする。
瀬戸家は1階は全て和室に、2階は全て洋室になっている。
「………ハイ」
「あ、ごめん私。ちょっといい?」
しばらく無言が続いたがカチャリと扉が開かれた。
「ナニ?」
「ちよっといい?」
「ナニ?」
「だからちょっといい?」
「ダカラ…ナンダヨ!」
「だからちょっといいかって聞いてんのよ!」
「ジャア良カネェカラ入ルナヤ!」
閉まりかけるドアをセールスマンよろしく足を挟んで何とか防ぐと左足に激震が走る。
アレは革靴だから成せる技であり足袋一枚では致命傷を負う。
「ねぇお願いだよぉ。入れておくれよぉ」
「1人デ…幸セ…浸ッテロ…ボケカス」
「だからだよぉ。なんか1人でいたらどうにかなりそうなんだよぉ」
「………ナラ死ネヨ」
あ、ひどい。
秋に言ったら怒られるんだからねそれ。
アンタ秋知らないけど。
「とんがりコーンあります!」
「イラナイ」
「カールあります」
「イラナイ」
「きのこの山あります」
「帰レ」
「あ!うそうそ!たけのこの里あります!」
「………」
「コーヒー牛乳もあります」
「入レ」
「ただいまお持ちしますっ!」
大急ぎで部屋に戻って冷蔵庫から姫の所望する品を抱え再び舞い戻ると七生は机の上の勉強道具を片付けていた。
「こんな日まで勉強してたんだ?」
去年の私ならこれ幸いとサボってる。
「千石…マダギリ…ナノニ…騒ガシク…シヤガッテ」
「ごめん」
コップにコーヒー牛乳を注ぎたけのこの里を開けてやるとすぐさま手が伸びてきた。
もう10時過ぎてるよ?
太ると皮膚キツいんじゃないの?
「デ…ナニ?」
「あ…いや…何っていうか…ここが分岐点なんだって…ハッキリわかっちゃったというか」
明日進むはずだった道がガチャンと音を立てて分岐したのを自覚した。
振り返ればアレがそうだったなってのはあったけどリアルタイムで気付くのはこの日が初めてのことだった。
「…デ?」
「で?って言われても…わかんないけど…」
「ビビッテンノ?…ダッサ…」
「ビビってるわけじゃ……いや、ビビってる、私、多分」
中学までは曖昧な関係、なんとなくそうなんだろうなぁみたいな感じで十分だった。
ただ高校生になり乃蒼達を見てマサさんとの関係をハッキリさせたいと思うようになった。
もちろん、マサさんのお嫁さんになりたいという夢もあった。
ただそれが期せずして現実味を帯びた途端、私は怖気付いたのだ。
マサさんを追い込んどいてその張本人がビビるとかダサい、確かに。
だから1人になるのが怖いのか。
この部屋を訪ねた理由はそういうことなのか。
「安全地帯デ…夢見テタイナラ…考エナシニ…言葉ニスンナ…」
七生の言う通り、私は多分まだ安全地帯にいたかった。
ぼんやりとした朧げでもそれなりに幸せだったはずじゃないか。
だってそれだけなら私1人いればいいから。
私1人で完結できた幸せだもの。
でもその先を望むなら私の隣にマサさんが必要になってくる。
私1人だけの幸せじゃないから。
「でもさ…でもね、好きなの…ずっと好きだったの…本気でマサさんのこと」
その気持ちに嘘はない。
ゆきりんと同じくらい私の心と体はマサさんへの恋心で出来ている。
自分ではそう確信している。
だけど七生は私を認めてくれはしなかった。
「覚悟モナイクセニ…簡単ニ…好キトカ…本気トカ…笑ワセルナ…安ッポインダヨ…全部」
「や…安っぽ…安っぽいって何よ!マサさんに会ってから今日まで日に日に好きが増してんのよ!今日より明日の方が好きだし、明日より明後日の方が好きなのよ!そうやってもう何年も好きでいたのよ!それを安っぽいとか軽々しく言わないで」
「ジャアソノ恋…今ココデ…捨テテミテヨ…」
はぁ?
何言ってんのアンタ?
「なんでそんなことしなきゃならないのよ!簡単に捨てられないから本気の恋なんじゃないの!」
「ダカラ安イ…言ッテンダヨ…幸セボケシタ…オ嬢様ガ…」
言い返そうと思った。
舐めるな、と。
けど七生の目を見たらこれっぽっちも思えなくなった。
私を睨みつける目は真っ赤に染まって左目からポロポロと涙が流れていたから。
七生はメモ美をテーブルから引ったくってものすごい勢いで描き始めた。
体がじゃなくて、きっとこれ以上自分の気持ちを声にするのは辛かったんじゃないかな。
【本気で好きならなんで今日の好きを明日が超えられんの?なんで今日も明日もこれ以上ないってくらい好きでいられないの?あんたは幸せに生きてるから微塵も想像してないのよ。明日自分が死はずない、、私みたいな体になるはずないって信じてんのよ。だから日に日に好きが増してるとかヌルいこと言えんのよ。明日も今日みたいな日が来るって当然のように信じて呑気に叶う夢だけ見てられんのよ。私にはただアンタが恋っていう綺麗な言葉を使ってモジャを独占したいだけに見えるよ】
「違う!そんなんじゃないっ!」
【じゃあアンタの恋ってなに?なんで自分ばっかり幸せになること考えてるの?なんで自分の幸せがモジャの幸せだと思えるの?自惚れないでよ】
画面を乱暴に消してまた一心不乱に書き始める。
【違うっていうなら捨ててみてよ。モジャのためにその想いを捨てることがアンタにできんの?アンタじゃない違う人を好きになって、幸せになっていく様をアンタは見守れるの?応援できるんの?】
「やだよ…出来ないよそんなこと…」
「イイヨ…別ニ…デキナクテ…私ハ…オネィチャントハ…違ウシ…オネィチャンモ…私トハ違ウ…タダチョット…アマリニモ…違イスギテ…ムカツイタカラ…言イ過ギタ…ゴメン」
変な沈黙が流れたまま私達は数分間じっと体を動かせずにいた。
私はいろんなことを考えたし、七生も多分そうだったんじゃないかって思う。
「でもね七生、でもね…信じてくれとは言わないしこれも私の自己満足かもしれないけど、、、」
自己満足なんだろう、多分。
七生はそんなこと求めてないかもしれない。
難しいな、人と生きるって。
本当に難しい。
「私あなたにも祝福して欲しいの。七生の言う通りかもしれない、私バカだからまだ全然七生の言ってることわかんない。けど…七生にも認めて欲しいよ。良かったねって、おめでとうって言って欲しいの。それは本当に本当の気持ち」
カタッとメモ美をテーブルに置いたあと、七生はズリズリと体を引きずりながら私に近づき泣いている私の顔を胸に埋めた。
「……ダッタラモットガンバレヨ…オ嬢様」
お嬢様、ね。
私にはピッタリだ。
結局まだ何も知らない。
苦労もしてないから何もわかっちゃない。
いつだって私の行動原理は感情だけでそこに何を載せることができていない。
自分の正義が世界の正義で、私みたいのがいるから戦争は止まらない。
「七生…」
「ナンダヨ」
「あなたの恋ってそういう恋なの?」
「………私ニ恋トカ…アルト思ウ?」
「思うよ。だから聞いてんの」
七生はそっと私から離れた。
瞳に涙は浮かんでいなかったけど、怒ってる顔でもなくただ…諦めていた。
「私…顔ハ…結構可愛イ…方ダト思ウ」
「自分で言うなよ笑」
思わず笑ってしまった。
「字モ綺麗ニ書ケル」
「うん、アンタの字は乃蒼より綺麗」
「料理モ…味薄イケド…マァマァ作レル」
「あれだけ色んなの作れてまぁまぁって事なくない?」
「口…性格…褒メラレタモンジャ…ナイケド」
「だから自分で言うな笑」
「本当ハ…照レクサクテ…素直ニナレナクテ…ソレ誤魔化シテル…」
「へぇ!素直に言えたじゃん。うん…知ってるよ、とっくに」
そして軽くため息。
私も世界にため息をつきたくなる。
「デモ…恋ハ…誰カトスルモノ」
そうだね、こればっかりは1人じゃできないね。
「耳触リノ良イ言葉…並ベテモ…私ノ見タ目…変ワラナイ…」
明日目が覚めたら元のアンタに戻ってたらどれだけ良いか。
「私ノ隣歩ク時…私ヲ見ル目…ソノ人ニモ…向ケラレル」
うん、どんだけ綺麗事言っても実際はそうなっちゃうよね。
「私ハイイ…慣レタ…ワケジャナイケド…私ノコトダカラ…諦メラレル」
慣れんなよそんなこと。
抗えよ、キレていいよ、諦めるなんてしなくていいよ。
「デモ私ノ好キナ人…ソノ目向ケラレル…許セナイ…見ル人モ…ソウサセテル私モ」
うん、七生はきっとそう思うよね。
「ソレニコノ声…モット綺麗ナ声デ…気持チ…伝エタカッタ…」
どうにもならないのかな?
もっと医学が進歩したら治せたりできないのかな?
「左手…コレシカ上ガラナイ」
七生は肩まで腕を上げる。
「左足…思ウヨウニ…動カナイ…」
ツギハギだらけの足をその左手でさする。
「私ガ好キニナル人…トテモ優シイ人…カッコイイ人…友達思イナ人…家族ヲ大切ニスル人…笑ッタ顔ガ愛オシイ人…誰カノタメニ泣ケル人…ソンナ人ナラ…私ジャナク…モット普通ノ人ト…幸セニナッテ欲シイ」
「七生…」
今度は逆に私が七生を抱きしめる。
胸で息ができなくなるほど強く。
「愛してる。大好きだよ…。愛してる…。大好き」
「ナニ…ヤメテヨ」
「やめないよ。愛してる…愛してる七生…」
「チョッ…ヤメ、、、」
「綺麗事は嫌いでしょ?私も言う気はないよ。だから現実の話をするね。七生、この世は汚い。人のことより自分さえ良ければそれでいい。自分が弱い立場にならないように人を蹴落とし嘲笑う。深く知ろうともせず見た目で判断し勝手な憶測でありもしないことをさも事実かのように吹聴する。だって自分が弱い立場になりたくないもの。だから弱い人間を見つけたら徹底的に叩く。這い上がってこないように。逆の立場に自分がならないように。この世界は醜い。私もその中の1人」
七生はジタバタするのをやめ静かに私の胸に身を預けている。
「それでも七生のことを愛してくれる人がきっと…なんて話もする気はないよ。それこそ綺麗事だし今の七生が聞きたいことじゃないでしょ。でもね、私思うんだ。七生が好きになる人はきっと七生に愛される資格のある人だって。あんたは汚れた世界の中でそれでもマトモな人間を選べる人だって思う。そしてその中でもアンタを愛する人はアンタと同じ種類の愛を知ってる人間なんじゃないかな?」
私のように温室でぬくぬく育てた愛じゃなく、嵐が吹き荒れる乾いた大地に奇跡的に芽吹くような。
「これは私の勘だけどアンタもう誰かにあげる愛は持ってる気がする。だからアンタに必要なのは自分を愛することじゃないかな?それを手にしてなお今と同じ気持ちなら、もうそれが正解なのかもしれない」
「知ラナイクセニ…私ヲ…語ルナ…」
「うん、ごめん。でも言わずにはいられない。私アンタのこと、、、」
「愛シテルンダロ!」
「伝わった?私だけじゃないよ。この家にいるみんなアンタのことが大好きなの。アンタに幸せになって欲しいの。不幸になるのは嫌なの。笑ってて欲しいの。泣かないで欲しいの。でも…泣き叫んで欲しいの、欲しいものは欲しいって。好きなものは好きって。愛してる人には私を愛してって、喉から血が出るくらい叫んで欲しいの」
七生は何も言わない。
そんな簡単に変わるほど七生の愛は昨日今日カタチ作られたわけじゃない。
「私と七生の愛は違う。どっちが正しくてどっちが間違ってるかは私にはわからない。けど、好きな人に好きと言ってもらえたら七生は嬉しい?」
「困ル」
困るんだ。
そっか。
七生の事またひとつ知れた。
「私の好きも困る?」
「勝手ニシロヨ…ッテ思ウ」
「そう思えたらいいな、七生が好きになる人にも」
「………」
「じゃあ勝手にするよ!って、あなたのこと愛し続ける人だったらいいなぁ」
「………イナイヨ、ソンナ人」
「いるよ。私やこの家の人達がそうだもの。世界は汚い、醜い。でも絶対いるよ」
「結局綺麗事ジャン!」
「あはは、ごめん。でも七生、私あなたのことが愛おしい…好き…大好き…」
「アーモウ離セッ!気持チ悪イッ」
「それでも勝手に愛すわよ?」
「モウ出テッテ。勉強スル」
「わかったよ」
私は自分のグラスだけを持って立ち上がる。
「ごめんね。ありがとう。おやすみ。愛してる」
伝えたいこと全部伝えて私は七生の部屋を後にした。
七生
私はあなたに恋をして欲しいと思う
見守るばかりの恋じゃなく
祈るだけの恋じゃなく
あなたが愛する人と結ばれる結末
あなたの抱える困難や苦しみがそれで癒えるとは思っていない
ただ
あなたにとって普通ではない『普通』を生きて欲しいのだ
ありふれた日常を送って欲しいのだ
あの時
自分の愛する人には普通の人と幸せになって欲しいと言ったあの時
あなたは淡々と口にしたけど
私は泣き叫んで欲しかった
自分の容姿を、声を、体の不自由さを
運命を呪って誰かのせいにして欲しかった
誰かにすがることでしか
生きていけないほど弱くあって欲しかった
強くなんてあって欲しくなかった
七生
あなたのその目に映る景色が
どれだけ美しくあろうとも
この世界は汚れすぎている
醜すぎる
穢れすぎている
悍ましすぎる
未完成なあなたにふさわしくない幽世
それをある人は地獄といい
またある人は全てという
七生
そんな世界にあなたはどんな名前をつけるだろう?
追記
「えらく早ぇな。ちゃんと叱りつけたのか?」
「えぇ…ちゃんと叱りましたよ、七生が」
「七生が?そいつはいいな、お前よりも数倍効きそうだ」
「これであの子も少しは現実を見てくれりゃあいいんですがね」
「見ねぇだろ。そういう年頃だ。お前もそうだったんじゃねぇのかい?」
「あたしゃもうちょっとしっかりしてましたよ」
「じゃあ誰に似たんだろうな。俺じゃねぇぞ。あれだな、きっとお袋だな」
「お義母さんはロマンチストでしたからねぇ」
「俺達の結婚に最初から賛成してたのはお袋だけだったからなぁ」
「女優崩れの私のことちゃんと極妻に育て上げてくれたのもお義母さんでしたねぇ」
「お袋は白澤映画のファンだったからなぁ」
「おや、ヤクザ映画なら浅作欣二じゃないかい?」
「どっちも好きだったなそういや笑」
「もしもマサがあの子の夢を叶えてくれるってんなら、今度は私があの子を極妻に育てなきゃならないのかねぇ。あぁ嫌だ嫌だ」
「まぁアイツぁいい、どうとでもなる。心配なのはあの子だ」
「妾の子でいいから、本当にアンタの子なら良かったのにねぇ」
「書類だけなら祝人のやつに頼みゃあ済む話だが、それであの子の傷は癒えねぇからなぁ」
「そんなんで済む話じゃないよあの子の場合は。それでも私らの役目は終わったんだよ。あとはコランちゃん達に任せるしかないんだよ」
「家族を教えてくれ…か。出来たのかねぇ俺らに」
「さぁねぇ。出来たかどうかはわからないけど、私らも永澄もウチの組のモンもみんなあの子のことは愛してたさ」
「規模だけなら日本でどこにも負けねぇくらいデカいからなぁ、ウチの一家は」
「その家族みんなが愛したんだ、ちゃんと伝わったんじゃないのかねぇ」
「あと5年あるはずだったんだがなぁ」
「しみったれたこと言ってんじゃないよ。それだけ早くあの子が歩き出したってことじゃないかい」
「もっと甘やかしてやりたかったなぁ…。もっといろんなところに連れてって、もっといろんなもの買ってやって、もっと美味いもん食わしてやって…もっと……」
「あの子にそんなの必要ないさ。めいっぱい愛す、あの子が欲しいのはそれだったんだから」
「あぁ、間違いなく俺ぁ永澄と同じくらい七生のこと愛してやったぜ」
「私もだよ。ただ…」
「ただ…なんだよ」
「いいや、どだい無理な話さね。なんでもないよ」
「なんだよ気になるじゃねぇか」
「この頃最近よく思うのさ。私の腹からあの子を産んでやりたかった…ってね」
「ば………馬鹿野郎っ!てめぇっ!親父が死んでも…泣いてねぇっつうのに…なんでこんなところで…泣かせやがるんだコノヤロウ!」
「やめとくれよ、私まで泣けちまうじゃないのさ」
「バーロー!テメェが泣かしたんじゃねぇか!よりにもよってお前ぇ…そんな…夢みてぇな話」
「だからどだい無理な話だって言ったろ」
「神様ってぇのは幾ら積んだらその夢叶えてくれんのかねぇ」
「バカ言うんじゃないよ。神様なんてあの時ひっくり返って死んだのさ」
「生きてたらどうする?」
「殺すさ。そのための穴ぐらだろう?」
「その白蛇だがどうもきな臭ぇ話があがってやがる」
「そうかい。なら今度こそ首から上ぶった斬って燃やしてやるよ。あの子達が不安なく暮らせるために私達ができることはそれくらいさね」




