秋の章 「文化祭9」
「秋は私のことハーフだと思ってる?」
乃蒼の家に行った時表札には1番上にあった名前は漢字で書かれてあった。つまり父親は日本人だ。イレーヌがフランス人なら乃蒼はハーフという事になる。
「違うのか?」
乃蒼はこちら見て困ったような顔を作った。
「違うよ?私は…クウォーターだよ」
何故困った顔をしているのか、何故変な間を置いたのか俺にはわからなかった。
「クウォーターって言ってもね、父親が帰化して日本人になったからほぼガイジンなんだよ。父親の子孫に日本人がいたってだけのほぼガイジン」
乃蒼は目頭を人差し指で拭った。その動作で初めて乃蒼が泣いているという事に気付いた。
「保育園の頃、髪の色や瞳の色が違うからって笑われてたの。迎えに来るのもみんなは日本人のお母さんだけど私はほら、イレーヌでしょ?どこからどう見てもバリバリの外国人。イレーヌはフランス人なのに男の子達から『英語で喋れよ〜』ってからかわれたり魔女の子って言われたり、もう本当に嫌だった。小学校に入る頃の私は完全に心を閉ざしてた。けど本当に1番ショックだったのは、私の中に日本人の血がほとんど入っていなかった事。私は書類上は日本人だけどそれを証明するものが私の中に見つからないの。私は劣等感の塊になっちゃった。日本人と話すときは心臓がバクバクしてまともに目も合わせられなくて。小学校の時なんて先生とも同級生とも緊張でうまく喋れないし、それが余計緊張しちゃって顔が硬直するの。だけど頑張って友達作ろうって思ったんだよ?けどちょっとだけ失敗しちゃって、私は教室からいない事にされちゃった」
乃蒼はきっと、区切りをつける気なんだと思った。その区切りはきっと辛い思い出を話さなければつけられない。乃蒼は本当に今日で一昨日までの自分とは決別することを覚悟したのだと悟った。
「無視されてたって事?」
ううん、と小さく首を振る。
「無視は悪意があってするものでしょ?多分クラスメイトには悪意はなかったって思う。そりゃ何人かはあったのかもしれないけど無関心って言葉がぴったりかな?あの時の私に対しての感情は」
どっちも同じだ。いや、悪意なく存在しないと思う方が俺はタチが悪いと思う。
「毎日が泥の中にはまっているような感じ。ズブズブって。そのうち顔まで浸かって私はこのまま息ができなくて死んじゃうんじゃないかって思ったよ。ツラかったなぁ笑」
笑えるという事は少しは乗り越えられたのだろうか?
「けどそれから私は友達ができた。ずっとずっと1人ぼっちだった私に生まれて初めての友達ができたの。相変わらず私達はクラスでいない事にされていたけど毎日が楽しくて楽しくて全然周りなんて気にならなかった。けどその子とも離れ離れになっちゃった」
さっきなんて比じゃないくらいに悲しい顔をしていた。どこか痛いんじゃないかと本気で思ったくらいに。辛そうだった。その子と何があったんだろう?乃蒼をそこまで悲しませるほどの何が?
「この学校に来て私は秋を見た時、直感したの。キラキラだって」
「キラキラって、なんだ?」
「わかんない笑。だってキラキラはキラキラだもん。直感でしかないのに言葉でなんか表せないよ」
難しいな笑。
「私はキラキラの直感だけは絶対の自信があるの。だから秋とは絶対友達になろうと思ったんだよ。あの時は頑張ったなぁ笑。きっとあれだけ頑張って秋と友達になれなかったら私はまた泥の中にいたと思う。這い上がる気力もなくて、泥の中で一生終えてもいいやって思ってたと思う。割と本気で」
そんな覚悟だったのを初めて知った。今こうして隣で座っていられて良かったと思った。
「昼間も言ったけど、私はそれで満足して努力することをやめちゃった。これでもういいって終わらせちゃったの。けどね、つい最近偶然友達を観たの。すぐにわかった。会った時と変わらずキラキラしてた。今でもやっぱり憧れる。私との約束も、ちゃんと守ってた。なのに私は何にも努力してなかった。私は初めて会った時と何も変わってない、成長してないって思ったの。私はまだその友達には会えない。会うべく人に会うための努力をしなきゃ、私はあの子に会えない。その結果が、昨日と今日の私かな」
鈴井乃蒼には友達がいなかった。
昨日までは俺しかいなかった。
彼女が2日間泥の中でもがいた結果、今日で3人の友達が増えた。
これを努力と言わずに何と呼べばいいんだ。
「昨日と今日の私は、変だったかな?」
乃蒼は少し自嘲気味にそう言った。
「変じゃねぇよ」
誰も乃蒼のことを笑えない。
「けどさ、自分でも思うよ。必死かよって」
乃蒼は笑う。悲しそうに。
「必死で何が悪いんだよ」
誰にも乃蒼を笑わせない。
「お前はそれだけ大きな事をやったんだろ?みんなができることかもしれないけど、お前にとっては必死じゃなきゃできないような大きな事だったんだろ?じゃあ変じゃねぇよ」
それが乃蒼自身だとしても、俺は笑わせない。
「お前はさぁ、昨日と今日で変わったよ」
「だねぇ。自分でも実感してるよ。けどそれも秋や佐伯くんや荒木さんと、なにより花さんのおかげだよ」
「違うよ」
乃蒼の言葉に被せるように否定した。
「違うだろ?全部お前がした事だよ。自分の努力を人のおかげだと思ってたら頑張ったお前が可哀想だ。確かに花さんはきっかけをくれたかもしれないけど、あとは全部お前が頑張ったじゃん。クラスの奴からウサギグッズ借りる時、お前は誰にも頼らず1人で借りに行ったじゃん。たどたどしかったけど、あの後あいつらお前とやっと話せたって喜んでたんだぞ?タケルと彩綾に仲良くなりたいって、それもお前が自分の口で言ったんじゃん。全部お前自身が頑張ったおかげだろ?」
俺は当初違う方法でお前とタケル達を近づけようとした。今思えば俺の計画なんて穴だらけの拙い戦略だったよ。上手くいくはずがない。お前は間違いなくお前の力で今の状況を掴んだんだ。誇っていい。お前はもっと自分のことを褒めていい。
「花さんといい秋といい。もう、褒め上手なんだから笑」
「親子だからな」
そうだね、とようやく乃蒼は普通に笑った。
「私の最初の友達、花さん、秋、みんな似てる。私は似たような人に惹かれてるんだなぁ」
照明が落ちた。
ヒューという音の後、ドーンという音と閃光が俺たちを包み、その後も何発もの花火が打ち上がった。生徒たちが歓声をあげる。
「なぁ乃蒼。ひとつ聞いていいか?」
俺は花火を見ながら乃蒼を見ずに言った。
「いいよ。なぁに」
乃蒼もこちらを向いていなかった。
「乃蒼は今、好きな人いるの?」
昼間言えなかった言葉。いまでも初恋の人を想っているのだろうか?
ヒュー…ドーン…パラパラパラ
「いないよ」
抑揚のない声だった。
飾らない、乃蒼そのままの声だった。
ヒュー…ドーン…パラパラパラ
「秋は?いま好きな人いるの?」
乃蒼が俺を見る。俺も乃蒼を見る。
その表情からは何も読み取れなかった。
ヒュー…ドーン…パラパラパラ
「いないよ」
乃蒼は無言で視線を外し、前を向き直す。
俺も花火に視線を戻す。
ヒュー…ドーン…パラパラパラ
沈黙。
ドーン…ドーン…ドーン…ドーン
長い長い沈黙。
花火だけが静寂を壊す。
ヒュー…ドーン…パラパラパラ
「来年はさぁ…」
乃蒼が言いかける。
少し間を置く。
ヒュー…ドーン…パラパラパラ
「お互いこの花火を好きな人と見れたらいいね」
閃光で照らされる校庭にいる人達。
いま何を思い、誰と見ているのだろう?
ヒュー…ドーン…パラパラパラ…
「そうだな」
この花火で文化祭は終わり。
だから終わる前に伝えなきゃならないことがある。
ヒュー…ドーン
「なぁ乃蒼」
ヒュー…ドーン…パラパラ…ドーン…ドーン
「え?なに?聞こえない」
ドーン…パラパラパラ…ドーン…ドーン…ドーン…パラパラ
「乃蒼っ!」
ドーン…パラパラパラ…ドーン…ドーン…ドーン…パラパラ
「なあにっ!」
ドーン…パラパラパラ…ドーン…ドーン…ドーン…パラパラ
「お前がナニ人だろうが俺には関係ねぇよっ!」
花火の音にかき消されないように、俺は叫んだ。
お前の血なんて普段見えねぇよ。見たところでどこの国の血かなんてわかんねぇよ。
花火はそれ以上打ち上がることはなく、生徒たちの余韻だけが静寂の中に響いていた。
「お前は鈴井乃蒼だろ?」
名残惜しそうに校庭をあとにする生徒の中で、俺だけは芝生から動こうとはしなかった。
体育座りのまま膝に顔を埋めた乃蒼も、長い間そのままの姿勢で動くことはなかった。




