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花さんと僕の日常   作者: 灰猫と雲
第一部
33/807

練生川三太郎の章 1

9月最後の土曜日、その日は花と会う日だった。俺にしては珍しく仕事が残っており朝からバタバタの半日だった。

「練生川、外勤してそのまま直帰します」

ホワイトボードに行き先を書き、「直帰」と書かれたカードをその横に貼り付けた。

「今日もまた、デートですか?」

山崎さんが嘘くさい笑顔を浮かべやって来た。

「そんなんじゃないですよ」

「またまたぁ」

またまたぁ、じゃないですよ。気持ち悪いですよ。

「山崎さんは帰らないんですか?」

「今帰るところです。途中までご一緒しますよ」

みんながいる手前『結構です』とは言えず、俺たちはそのままフロアを出てエレベーターに乗る。11階で1人降りるとエレベーターは俺たち2人だけになった。

「お前また見合いの話断ったんだってな。噂されてるぞ?お前が同性愛者じゃないかって」

山崎さんはニタニタしながら肘で俺をつついた。

「やめてくださいよ。山崎さんじゃあるまいし」

「俺はノーマルだ!」

顔を真っ赤にして怒る。

「髪に悪いから怒らない方がいいですよ?せっかく生えて来たのに」

「そうなのか?むしろ頭に血が上った方が血行が良くなって生えてくるかと思うんだが」

幸せな人だな。羨ましい。

「おい、花にちゃんと明日届くからって言っとけよ。それからシャンプーもありがとうって。おかげでフサフサになったってな」

山崎さんは今年の誕生日に花からシャンプーをプレゼントされた。

「わかってますよ。伝えておきます。毛がパヤパヤだって」

また真っ赤にして何か怒鳴ってはいるが、俺は耳を閉じた。



「おかえりなさいませ、練生川様」

「ただいま帰りました。郵便物はありますか?」

「ひとつ届いております」

コンシェルジュの彼は相変わらず彫りの深いイケメンだ。俺もこんな外人みたいな顔立ちだったらこんな仕事なんて就くこともなく、テレビや映画で大活躍だったのかもしれないな。

「ありがとう」

彼から手渡された封書をエレベーターの中で確認する。緑色の封筒の裏に父の名前が書いてあるのを見てそのまま握りつぶした。39階でエレベーターから吐き出され家に入り、緑色の封筒をゴミ箱に捨てた。父、もしくは父の関係者が触れた封筒で汚れてしまった両手を入念に洗い、そのままシャワーを浴びる。全身くまなく石鹸で洗い流す。何度も、何度も。

ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう…

繰り返し呪いの言葉を吐いたところで俺の体からあいつの血が消える事はない。むしろ鏡に映る俺の顔は歳をとるにつれ段々とあいつに似てきている。

ああああぁぁぁぁ!

たまらず叫んだ。あいつのせいで俺はこんな思いをしなければならない。花と、別れなければならなくなった。たがあいつのおかげで、俺は秋とつながっていられる。『せいで』と『おかげで』。俺はどちらにも針を振り切れない。10か0にしたいのに、いつも針は5を刺し続けている。なのにその5にふさわしい言葉がいつも俺は見つけることができない。



「おっせーよ。男を待たすなよ。淑女じゃねぇな」

10分ほど遅れてきた花に半年前の仕返しをしてやる。

「いい女は男を待たせるもんなのよ。知らないの?」

相変わらず減らず口を叩きおって。まぁいい。さっきまでの俺の気持ちとは打って変わって今日の入りは順調だ。

「なぁ、お前のその服…」

俺は携帯の「写真」をタップし秋フォルダを開く。その中から1枚の写真を選び花に携帯画面を向けた。

「お前らは親子で服を着回すのか?」

花は紺色のフレッドペリーのボタンダウンを着ていた。写真の秋も同じシャツを着ている。

「あら!可愛いねこの子。天使?」

お前の息子だろ。その写真もお前が撮ったやつだろ。

「返せっ。早く決めてくれ。俺はお腹が空いてイライラしてんだ」

お前が来るまでドリンクバーで誤魔化してんだ。とにかく肉だ!早く肉を食わせろ!

「急かさないでよ。余裕のない男はモテないよ?」

「だから。あいにくモテモテだって言ってんだろバカヤロー」

花がバカにしたように笑う。お前信じてないな?こないだも見合いの話断ったんだぞ?おかげでホモの疑惑がかけられてるがな。

メニューを一読した後、花は子羊のステーキ、俺は牛のステーキを注文した。



「ジュージューと花の前に子羊の死体から剥ぎ取られ、中途半端に焼かれた肉塊が運ばれてきた。可哀想に、きっとお前はまだ生きたかったろうに。それを今、高卒の一般市民の女性が食べようとしている。人の奢りで…」

「ねぇ三太。独白の部分にカギカッコ付けるのやめてくんない?独白で毒吐かないでよ。あれ?独白で毒吐く…うまいっ!山田く〜ん!花さんに座布団1枚食べさせてあげて〜。もぐもぐもぐ…わ、綿が口の中の唾液を吸う…花さん、もう喉が、カラカラだよう…。ねぇ三太、ドリンクバー頼んでもいい?」

黙って頼めようるせぇな!

「あと高卒だけど学生時代はあんたより頭良かったからね?」

うっ…。

「悪いが俺の最終学歴は東大卒なんだよ。わかるか?国内最高学歴だ!」

言ってて虚しい。

「だから何だっていうの?あんた核ミサイル撃てるの?」

「お前だって撃てねぇだろが!」

「バカねぇ。私が頼めばアメリカもロシアもフランスも撃ってくれるよ?」

くそっ!なまじ本当だから嫌になる!

「世界が平和なのは私が常識人だからなんだよ?もし私がわがままガールだったら世界は第三次世界大戦突入なんだからねっ」

ねっ、じゃねえよ。もういいから早く食えよ。ええぃ、俺の牛はまだ来ぬのかっ!

「いただきます子羊ちゃん。美味しく食べるからね」

なんで各国のトップがこぞって一般市民の女性にゾッコンなんだよ!

「内閣府時代の遺産なんだから文句言わないでよ。そもそも誘ったのは三太じゃん」

ウチの長官殿に口の硬いパートタイマーを紹介しろと言われて推薦したのが花だった。俺の思惑は外れ、入府して数ヶ月後その長官殿にブチ切れて花はパートを辞めた。まるでスーパーのバイトのように辞めた。もし俺が同じことをしたら間違いなく日本には練生川三太郎という人間は存在していなかったことにされる。日本の闇は深い。しかし花に同じことをしたら日本は少なくとも三国から核のミサイルが雨のように降っていただろう。世界の闇はもっと深いのだ。

「お前くらいだよ。ロシアの大統領のこと愛称で呼んでるの。知ってるか?あのハゲ元KGBだからな?」

「だって向こうが言ったんだもん。プーティって呼んでって」

なに骨抜きにされてんだよプーティ。

「その調子で北方領土も解決に導けよ」

「わかった。今度言っておくね」

近々北方領土問題に解決の兆しがあったら知っておいて欲しい。功労者は日本に住む一般市民の女性だということを。

ようやく俺の前にも牛の死体から剥ぎ取られた肉塊をしっかり焼き上げたものが運ばれてきた。

「で、今はなんの仕事だっけ?」

花は子羊の最後の一口をむしゃむしゃと粗食し嚥下すると

「ネゴシエーター」

と答えた。ああそうだった。俺が紹介した三國重工を退職する時、「今度は俺が」と山崎さんが警視庁に推薦したんだった。

「順調?」

「そうね。1番長続きしてる。もう4年になるかな?楽しいよ〜。けど毎回怒られる」

「なんで?」

何か落ち度でもあるのだろうか?紹介した山崎さんにも関わることなので少し気がかりだった。

「こないだも脅迫電話の犯人とピコ太郎の話で超盛り上がって一緒に歌ってたら官房長官にめっちゃキレられた。なんで?私のおかげで犯人の携帯特定できたのに!意味わかんない!」

なぁ花、その仕事はお前の天職だよ。誇っていいよ。

「あ〜あ。お前はすげぇなぁ」

時折自分の小ささが嫌になる。わかってるんだよ花。東大卒なんてなんの自慢にもならない。結局のところ、内閣府でも高卒のお前の方が俺よりも評価が高かったもんな。大統領からも、犯人からも、お前は本当に誰からも愛されるんだな。

「なしたの三太。お疲れモード?」

俺は最近めっきりやる気がなくなってしまった。本業も副業も商談も内偵も報告も事務処理も何もかもが嫌になっていた。全部投げ捨ててどこか誰も俺のことを知らない場所に逃げ出したいと本気で思っていた。けど、それをギリギリのところで踏み留められるのは、やっぱりこいつら親子の存在だった。

「バカ言え。俺は東大卒のスーパーエリートなんだよ。俺らが日本を動かしてんだよ。疲れてられるかっ」

なんてな。そんなわけねぇだろ笑。俺らは誰も知らないところでコソコソ動き回るモグラみたいなもんだ。けどお前の前では精一杯虚勢を張りたいんだよ。

とはいえ今日は調子が上がらない。心配される前にやるべき事をやっておこう。楽しいのにな、お前といると。けど気を遣うよ、誰でもないお前だから。

「秋は?元気か?」

定例報告を開始する。

「元気だよ。ってか超元気。こないだも一晩でビーフシチューひと鍋完食したよ。そのあと茶色いケポ吐いてたけど」

ご飯屋さんでケポとか言うな。可愛いじゃねぇか。

「彼女はできた?」

花の顔つきが変わる。

「私が彼女みたいなもんだよ!」

「お前は母親だろ!」

花はいつになったら子離れするんだろう?この調子だと定年を迎えても子煩悩のままな気がする。花よりも秋の方が心配だ。

「成績は?って、まあいつもどおりか」

「こないだの全国模試で国語だけだけど全国1位だったよ」

「そりゃすげぇ!中1の全国トップか?1教科だけでも凄いぞそりゃ!」

気のせいか花の鼻が高くなったように見える。

「三太」

「なんだよ」

「全国の中学生の1位だよ」

話を聞けよ。

「だからそう言ったじゃねぇか」

「中1じゃなくて。全中学生対象の模試だから、全中学生の国内トップが秋なの」

て事は?

「それってつまり、2年生も3年生も受けた模試で1位ってこと?」

花の鼻が高くなった。伸びたわけではないので嘘ではないようだ。

「なぁ花」

「なによ」

「秋ひょっとして天才じゃないのか?」

みるみる花は満面の笑みを携える。

「そうでしょ?やっぱそうよね?昔からそうじゃないかとは思ってたけどやっぱり秋は天才よね?あ〜どうしよう?偉い学者さんになってノーベル文学賞とかとっちゃって。きゃ〜、もう秋大好きっ!」

秋大好き、か。

「あれ?どしたの?」

なんでもないよ。

「ヤキモチだよ」

やべっ。カギカッコ付けるの逆だった。

「なんで三太が秋にヤキモチ焼くの?」

「お前、俺より頭はいいしカンはめちゃめちゃ良いけど、こういうのは鈍いよな?」

花は言ってる意味がわからないと言った顔をしている。まぁいいよ、知らなくていい事だ。

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