第四十八話 宇津山|紀伊守、城を引き継ぐ
宇津山へ向かう朝、泰満は小瀬戸城の庭で馬の支度を見ていた。
連れていくのは彌太郎と杉山、それに騎馬の者が二人だけだった。
今回は家中を移すためではない。長池親能から宇津山城の引き継ぎを受け、何を持っていき、何を新たに整えなければならないのかを見るための旅である。
「村越」
「はい」
泰満は留守を任せる村越へ向き直った。
「わしが戻るまで、小瀬戸はこちらを頼む」
「承知いたしました」
「まだ宇津山へ移ると決まっただけだ。村々にも急に何か変わると思わせるな。今まで通りでよい」
「はい」
「何かあれば書状を寄越せ」
「宇津山へ、でございますな」
「ああ。本来なら彌太郎を行き来させるつもりだったのだが」
二人の視線が彌太郎へ向いた。
彌太郎の荷の中には、泰以と時茂から預かった金が入っている。
「私は都へ参りますので」
「誰のせいだと思っておる」
「少なくとも私ではございませぬ」
「それはそうだな」
泰満は苦笑した。
「戻ったら小瀬戸と宇津山の間を頼む。それまでは、使いを出す」
「承知しました」
村越に改めて留守を頼み、五騎は小瀬戸を発った。
◇
一日で着けない距離ではなかったが、急ぐ旅でもなかった。
途中で一泊し、翌朝再び西へ向かう。
遠江を進むにつれ、泰満には見覚えのある土地が増えていった。掛川を過ぎ、さらに西へ進むと、その景色も少しずつ変わっていく。
やがて浜名湖が見えた。
「若」
彌太郎が馬上から前を指した。
「見えてまいりました」
「ああ」
泰満も目を細めた。
以前、泰以と訪れた時にも見た湖だった。
だが宇津山へ近づくにつれ、泰満は馬の歩みを緩めた。
「道が広くなったな」
杉山も周囲を見る。
「荷駄が通れるようにしたのでしょうか」
「それだけではなさそうだ」
道端には木材を積んだ場所があり、人足の姿も見える。
さらに進むと、山の上に城が現れた。
泰満は思わず馬を止めた。
「……あれか」
以前の宇津山城とは、まるで姿が違っていた。
曲輪は広げられ、山肌には新しく土を削った跡が残っている。城へ上がる道にも手が入り、普請に使われた木材や道具がまだ各所に置かれていた。
「宗長殿が、随分変わったと申しておられましたが」
彌太郎が言う。
「これは随分どころではないな」
泰満はしばらく城を見上げた。
これから、ここが自分の居城になる。
◇
城へ入ると、長池の家臣が待っていた。
「紀伊守様。長池左衛門尉より、本日は旅のお疲れをお取りいただき、明朝改めて御挨拶申し上げたいとのことでございます」
「長池殿は」
「ただいま普請場を見回っております」
「分かった。こちらも今日は城を見せてもらうだけにしよう」
五人は馬を預け、城内を歩いた。
まだ新しい木の匂いが残っている。
倉や兵の詰める場所、水場、城道、湖を見渡せる場所。泰満は一つずつ確かめながら歩いた。
「杉山」
「はい」
「どう見る」
「小瀬戸より、ずっと人が要りそうです」
「わしもそう思う」
「城だけで、でございます」
「ああ」
そこが問題だった。
氏輝から命じられたのは、城だけを守れということではない。
宇津山城を居城として、その周辺を治めよ。
その言葉が、実際に城へ来てみると、今まで以上に重く感じられた。
◇
翌朝、長池親能が姿を見せた。
その隣には、もう一人見覚えのある男がいる。
「紀伊守殿。お久しゅうございます」
「小原殿」
小原親高だった。
甲斐でともに戦って以来、顔を合わせる機会がなかった。
「宇津山の守備を預かっておられるとは聞いておりましたが」
「はい。長池殿が普請を進められる間、こちらを守っておりました」
「御苦労をお掛けしました」
「何の。戦もなく、穏やかなものでございました」
小原が笑うと、長池が横から口を挟んだ。
「穏やかだったのは、小原殿が守ってくださったからでしょう」
「城を造っておられたのは長池殿です。私は兵を置いていただけにございます」
「お二人とも、随分と謙虚でございますな」
泰満も笑った。
「では、その御苦労を私が引き継ぐことになるわけですか」
「左様にございます」
長池が頷く。
「では、参りましょう」
「どちらへ」
「全部です」
泰満は少し嫌な予感がした。
「城の引き継ぎでは?」
「城から始めます」
◇
最初に案内されたのは、城の主要な曲輪だった。
長池が普請の内容を説明する。
「こちらを広げました。以前より多くの兵を置けるようになっております」
「随分広くなりましたな」
「兵を置くだけでなく、荷を集める場所も必要でございましたので」
続いて小原が口を開いた。
「今は、こちらへ兵を詰めさせております」
「何人ほどです」
小原が現在の人数を答え、見張りを置いている場所を指した。
「湖の方は、こちらから見ております」
「三河から来る船も見えますか」
「天気がよければ、かなり遠くまで。ただし、湖岸には見通しの悪い場所もございます」
「そこはどうしておられる」
「下にも人を置きます。城から見えるものだけでは足りませぬので」
泰満は頷いた。
次に武具や兵糧を納める倉へ向かう。
長池が造りを説明し、小原が実際の使い方を話した。
水場。
火を使わせる場所。
城へ上がる道。
荷駄を通す道。
兵の詰める場所。
一つずつ見ていくうちに、泰満にも城を造ることと、それを守ることは別の仕事なのだと分かってきた。
「城は広くなりましたが」
小原が言った。
「その分、守るにも人が要ります」
「昨日、私もそう思いました」
「すべての場所へ常に兵を置く必要はございませぬ。ただ、どこを見張り、何かあった時にどこへ兵を集めるかは決めておかねばなりません」
「なるほど」
泰満は城内を見回した。
大きな城になれば、それだけ守りも固くなる。
だが同時に、それだけ多くの人と仕組みが必要になる。
◇
城内を一通り見終えると、長池は二人を外へ連れ出した。
「次はこちらです」
「まだございますか」
「ここからが長うございます」
長池が笑う。
城を下り、湖岸へ向かった。
船を着ける場所。
荷を上げる道。
周辺の村へつながる道。
それぞれについて長池が説明していく。
「この浜から物を上げます」
「城まで運ぶのか」
「はい。陸だけで運ぶより早いものもございます」
「舟形山から知らせが来る時は」
「北の道です」
長池が答える。
小原も続けた。
「急ぎの知らせなら、途中で馬を替えた方が早い場合もございます」
「中之郷の方は」
「南から知らせを入れさせます。こちらは道も整えました」
長池の言葉に、小原が頷いた。
「三河の様子を見るには、舟形山や多米からの知らせも欠かせませぬ。宇津山だけで西を見ていても、分からぬことがございます」
泰満は次第に無口になった。
昨日見た時には、一つの大きな城だと思った。
だが、二人の話を聞いていると違う。
道がつながる。
湖がつながる。
村がつながる。
その先には三河がある。
城の中だけを見ていては何も分からない。
「長池殿。小原殿」
「はい」
「これは、本当に城の引き継ぎですか」
長池が少し笑った。
「宇津山の引き継ぎにございます」
「やはり」
「御先代も泰以殿も、城だけを見るためにここを広げたわけではございませんので」
小原も頷いた。
「私も守備を預かって、初めて分かったことが多うございました」
「小原殿もですか」
「はい。城の中だけを守っていればよいのであれば、話は簡単なのですが」
「そうはいかぬと」
「左様にございます」
泰満は湖を見た。
「分かってはいたつもりでした」
長池が尋ねる。
「実際に見ると違いますか」
「随分と」
長池は頷いた。
「それでよろしいかと」
◇
昼を過ぎた頃、彌太郎が馬の支度を整えた。
ここから先は、泰満たちとは別の道になる。
「では、若」
「ああ。宗長殿へ確かに渡してくれ」
「承知しました」
「都まで、どれほど掛かる」
「急ぎませんので、何日かは掛かりましょうな」
「叔父上は、ついでだと申していたが」
「今から引き返して、もう一度聞いてきましょうか」
「やめておけ。余計な仕事を増やされる」
「では参ります」
彌太郎は杉山を見る。
「杉山殿。若を頼みます」
「なぜ私が子守のように言われる」
泰満が口を挟む。
「いつものことでございましょう」
「早く行け」
彌太郎は笑って馬へ乗り、そのまま西へ向かった。
泰満と杉山は、しばらくその背中を見送った。
「本当に行きましたな」
「ああ」
「京まで」
「ああ」
「泰以様も随分なことを仰る」
「それを口にすると、次はおまえが行かされるぞ」
「忘れてください」
◇
午後になってから、泰満は杉山を連れて再び城の下へ降りた。
「杉山」
「はい」
「おまえは宇津山に残れ」
杉山が少し驚いた。
「私が、でございますか」
「ああ」
「若は小瀬戸へ?」
「一度戻る。美代たちを移す支度もあるし、小瀬戸の整理もせねばならぬ」
「では、こちらは」
「おまえに任せる」
泰満は城を振り返った。
「長池殿から聞くことが多すぎる。わしが半月ごとに来て、同じ話を一から聞いていたのでは、いつまで経っても終わらぬ」
「城の引き継ぎを受ければよろしいのですね」
「城だけではないぞ」
泰満は、先ほど二人から聞いたことを思い出した。
「道、水、船、倉、人足。どの村から何を出しているかもだ。普請や道のことは長池殿に、兵の配置や見張りについては小原殿に聞いておけ」
「承知いたしました」
「勝手に決めるなよ」
「若にも同じ言葉を返しておきます」
「余計なことを言うな」
そんな話をしながら山を下りると、間もなく寺が見えてきた。
「寺か」
「正太寺というそうです」
宇津山城から歩いて、それほど掛からない。
泰満は境内へ入り、本堂を見上げると、そこで足を止めた。
「……古いな」
「かなり傷んでおります」
屋根だけではない。柱にも傷みが見え、軒も一部が下がっているようだった。
泰満は近くまで歩き、しばらく黙って眺める。
「若」
「何だ」
「また寺でございますか」
「何がだ」
「見性寺の時も、そのような顔をしておられました」
泰満は杉山を見る。
「どのような顔だ」
「直したくなっている顔です」
「まだ何も決めておらぬ」
「では、違うので?」
泰満は答えず、本堂へ目を戻した。
見性寺の時もそうだった。
最初は、古い、傷んでいると思っただけだった。
だが実際に直そうとすれば、屋根だけでは済まない。材木も大工も人足も金も、すべてが要る。
「わしが見ても分からぬな」
「何がです」
「どこまで傷んでいるのかだ」
泰満は城の方を見る。
「今なら、上に職人がおる」
◇
城へ戻ると、泰満はすぐ長池を訪ねた。
「長池殿。一つ伺いたいことがございます」
「何でしょう」
「城の職人は、あとどれほどこちらに」
「一月もすれば、大半は引き上げます」
「一月ですか」
「はい。大きな普請は終わっておりますので、残るのは仕上げくらいです」
泰満は少し考えた。
「下の正太寺を御存じですね」
「もちろん」
「今日、見てまいりました」
「随分傷んでおりましたでしょう」
「長池殿も、そう見えますか」
「建物の専門ではございませんが、古いことは確かです」
「職人の中に、本堂を見られる者はおりますか」
長池が泰満を見る。
「直されるおつもりで?」
「まだ分かりませぬ」
泰満は首を振った。
「屋根だけ直せば済むのか、柱まで替えるのか。それとも、建て直した方がよいほど傷んでいるのか。そこから分かりません」
「なるほど」
「皆が帰ってから調べて、また職人を集めることになっては手間でしょう」
長池はしばらく考え、頷いた。
「棟梁と何人かに見せましょう」
「お願いいたします」
「明日でも」
「それと、もう一つ」
「はい」
「もし大きく手を入れねばならぬとなった時、その者たちを続けて雇うことはできますか」
「全員は難しいですな」
「全員でなくて構いません」
「国元へ帰る者もおりますし、次の仕事が決まっている者もおります。ですが、棟梁格と何人かなら話はできましょう」
泰満は頷いた。
「半月ほど、待ってもらえますか」
「半月?」
「わしは一度小瀬戸へ戻ります。半月後にはまた参ります。その時までに、寺をどうするか決めたい」
「分かりました」
「無理に残せとは申しません。ただ、話のつく者には待ってもらいたい」
「こちらで話しておきましょう」
「助かります」
泰満はそこで杉山を見る。
「杉山」
「はい」
「おまえは長池殿から城の引き継ぎを受けながら、正太寺の方も見ておけ」
「やはり私でございますか」
「ああ」
「必要な材木も、人足も?」
「職人に聞いて書き出せ。まず何が必要なのかを知りたい」
「承知いたしました」
長池が杉山を見る。
「では、明日から忙しくなりますな」
杉山が苦笑した。
「宇津山城の引き継ぎだけだと思っておりました」
「わしもだ」
泰満が答えた。
「来てみれば、そうはいかなかった」
◇
翌日。
正太寺には、城普請に入っていた大工のうち、建物を見られる者が何人か連れてこられた。
泰満は細かな判断までは口を出さず、屋根へ上がる者、柱を叩いて確かめる者、床下を見る者たちの話を杉山に記録させた。
結論はすぐには出なかった。
ただ、簡単に屋根だけを葺き替えて終わる話ではなさそうだった。
「半月後までにまとめられるか」
泰満が尋ねると、杉山が頷いた。
「長池殿とも相談いたします」
「頼む」
泰満は本堂を振り返った。
城の普請が終わろうとしている今、その職人たちが散る前に、次に何をするのか決めなければならない。
宇津山城主となって、まだ数日しか経っていない。
それでも、泰満の仕事はすでに城の外へ広がり始めていた。
城を受け取り、道や船の使い方を知り、村々との関わりを覚える。そして、その土地に昔からある寺にも目を向ける。
半月後、泰満はもう一度宇津山へ来る。
その時には、正太寺をどうするのか決めるつもりだった。
今川クロニクル『宇津山朝比奈記』
史料・創作メモは上記参照。
関連史跡・考察は作者noteに掲載しています。
本作『宇津山朝比奈記』は、noteのほか、小説家になろう・カクヨムでも連載しています。




