第四十七話 都へ|彌太郎、使いを命じられる
宇津山へ移ることが決まってから、泰満はまず泰以の館を訪れた。
氏輝から直接命を受けた以上、養父には自分の口から知らせておきたかった。もっとも、泰以ならすでに知っている可能性もある。
今川館の内評定で決まった話が、どこをどう通って泰以の耳へ入るのか。泰満にはいまだによく分からなかった。
「叔父上」
「来たか」
泰以は縁側近くに座っていた。
病に倒れた頃の面影はほとんどない。年相応に身体は衰えたものの、顔色もよく、人と話す様子は以前と変わらなかった。
名美もそばにいる。
「今日は御報告がございます」
「宇津山だろう」
泰満は黙った。
「……やはり御存じでしたか」
「聞いた」
「誰からです」
「時茂」
「父上から」
「ああ」
「なら、私が来る意味がなかったではありませんか」
「本人から聞くのと、人から聞くのは違う」
泰満は少し納得できない顔をしたが、改めて頭を下げた。
「御屋形様より、小瀬戸を離れ、宇津山城を居城としてその周辺を治めるよう御沙汰をいただきました」
「そうか」
「はい」
「受けたのだな」
「もちろんです」
泰以は満足そうに頷いた。
「ならよい」
それだけだった。
泰満はしばらく待ってみたが、泰以は何も続けない。
「叔父上」
「何だ」
「それだけですか」
「何がだ」
「宇津山城です」
「知っておる」
「叔父上が御先代へ進言された城でしょう」
「そうだな」
「長池殿が二年近く普請をして、ようやく完成する城です」
「聞いておる」
「それを私が預かることになりました」
「だから、よかったと言っただろう」
泰満は名美を見る。
「叔母上」
「殿は嬉しいのでございますよ」
「そう見えませぬ」
「昔から、このような方です」
「二人で勝手なことを言うな」
泰以は不満そうにしたが、泰満には何となく分かった。
宇津山を必要だと言い出した本人である。自分がそこへ入ることに、何も思わないはずはない。
「それで」
名美が尋ねた。
「いつ宇津山へお移りになるのですか」
「すぐにすべて移すわけではございません。まず長池殿から引き継ぎを受けます。城だけではなく、道や水、船、周辺の村までございますので」
「時間が掛かりそうですね」
「はい。小瀬戸の整理もございます」
泰以が頷いた。
「急ぐな」
泰満が少し意外そうに見る。
「叔父上からその言葉を聞くとは思いませんでした」
「何だ、その顔は」
「いつも『明日やれ』『すぐ行け』と仰るので」
「必要な時は急げ」
「今回は」
「住む城を移すのだ。雑にやれば後で困る」
「まともなことも仰るのですね」
「帰るか」
「申し訳ございません」
名美が笑った。
◇
「そういえば」
名美が泰満を見る。
「美代殿と孫太郎も、いずれ宇津山へ?」
「そのつもりです」
「孫太郎は元気ですか」
「元気すぎるくらいです」
そこで泰満は、もう一つ報告することを思い出した。
「ああ。そうでした」
「何だ」
「美代が、また子を身籠ったようです」
泰以の顔が変わった。
「何?」
「二人目ができました」
「本当か」
「おそらく間違いないと」
「いつ分かった」
「宇津山の御沙汰をいただいた日に」
「なぜ先に言わぬ」
泰満は眉を寄せた。
「宇津山城主の話を先にしていたのですが」
「城は逃げぬ」
「叔父上」
「子はいつ生まれる」
「まだ分かりませぬ」
「美代の身体は」
「今のところ問題ないようです」
「そうか」
泰以は明らかに嬉しそうだった。先ほど宇津山城主になったと報告した時とは、顔がまるで違う。
泰満はしばらくその顔を見てから言った。
「叔父上」
「何だ」
「宇津山より嬉しそうですね」
「当たり前だ」
「当たり前なのですか」
「城はいずれ誰かが守る」
「はい」
「家は子がなければ続かぬ」
泰満は返す言葉を失った。名美が穏やかに笑っている。
「孫太郎がいるでしょう」
「一人より二人の方がよい」
「三人なら」
「なおよい」
「美代に聞かせないでください」
「なぜだ」
「産むのは叔父上ではございませぬ」
名美が頷いた。
「泰満殿の仰る通りです」
泰以が二人を見る。
「わしは喜んでいるだけではないか」
「でしたら、それだけになさってください」
「分かった」
そう答えながらも、泰以の顔は緩んだままだった。
◇
しばらくして、泰満が宇津山への引き継ぎについて話していると、泰以が突然何かを思い出した。
「そうだ」
その顔を見た瞬間、泰満は嫌な予感がした。
泰以がこういう顔をする時は、たいてい何か仕事が増える。
「何でしょう」
泰以は泰満ではなく、その後ろに控えていた彌太郎を見た。
「彌太郎」
「はい」
「そなたも宇津山へ行くのだろう」
「若にお供いたしますので」
「なら、ちょうどよい」
彌太郎が一瞬黙った。
泰満も黙る。
名美だけが、少し面白そうに二人を見ていた。
「叔父上」
泰満が言った。
「何がちょうどよいので?」
「待て」
泰以は側の者を呼び、何やら持ってこさせた。
ほどなく、小さな包みが置かれる。
「何です、これは」
「金だ」
「それは見れば分かります」
「わしと時茂からだ」
「父上も?」
「ああ」
泰以は包みを彌太郎の前へ置いた。
「これを宗長へ届けてくれ」
彌太郎が包みを見る。
「宗長殿へ、でございますか」
「そうだ」
「承知いたしました」
彌太郎は素直に頭を下げた。
泰満も特に不思議には思わなかった。宗長は少し前まで、この館に滞在していた。旅へ出たとしても、遠江のどこかにいるのだろう。
「宗長殿は、今どちらにお見えなので?」
彌太郎が尋ねると、泰以は何でもないことのように答えた。
「今は都だそうだ」
その場が静まった。
泰満が泰以を見る。
彌太郎も見る。
「……都?」
「ああ」
「京にございますか」
「都と言えば京だろう」
彌太郎はしばらく言葉を失った。
「泰以様」
「何だ」
「先ほど、宇津山へ行くならちょうどよいと仰いましたな」
「言った」
「宇津山は浜名湖の西でございます」
「知っておる」
「京は」
「さらに西だ」
「どこが、ついででございますか」
泰満は顔を伏せた。
笑ってはいけないと思ったが、無理だった。
「若」
「すまぬ」
「笑い事ではございませぬ」
「いや、わしも今のはおかしいと思う」
泰以が不思議そうな顔をする。
「どうせ西へ行くのだろう」
「距離が違います」
「同じ道ではないか」
「同じ東海道なら、どこまでもついでになるではございませぬか」
「なら便利だな」
「そういう話ではございませぬ」
とうとう名美まで笑い始めた。
「殿」
「何だ」
「それは少し無理がございます」
「そなたまでか」
「宇津山と京を同じついでにされては、彌太郎殿も気の毒です」
「だが、誰かが届けねばならぬ」
「それはそうですが」
彌太郎がため息をついた。
「宗長殿は、しばらく京におられるので?」
「そのように聞いておる」
「途中で動かれたらどうなさいます」
「探せ」
「簡単に仰いますな」
「宗長なら、行く先で誰かが知っておろう」
「それは、まあ」
彌太郎も宗長という人物を知っている。京へ行けば、公家や寺、連歌の者を辿れば居場所は分かるかもしれない。
だが、それと旅が近いかどうかは別の話だった。
「分かりました」
彌太郎は包みを受け取った。
「お届けいたします」
「頼む」
「ただし」
彌太郎が泰満を見る。
「若」
「何だ」
「宇津山の引き継ぎは、どうなさいます」
泰満も少し考えた。
三日後には長池と宇津山で会う約束をしている。
「先に宇津山へ行ってから京へ向かうか」
「余計に遠回りになります」
「では、そのまま京へ」
「若は?」
「わしは長池殿から引き継ぎを受ける」
「私がおらぬ間に?」
「ああ」
彌太郎が何とも言えない顔をした。
「何だ」
「いえ」
「言え」
「若も……」
彌太郎は一度、泰以を見る。
「泰以様に似てこられましたな」
泰満の顔が固まった。
「それだけは言うな」
泰以は少し満足そうだった。
◇
帰り際、泰満は改めて泰以へ頭を下げた。
「それでは、長池殿との引き継ぎが済みましたら、また御報告に参ります」
「ああ」
「美代のことも」
「大事にしろ」
「分かっております」
「孫太郎も連れてこい」
「次は」
「二人目が生まれたら」
「気が早いです」
「すぐだ」
「まだ何月先になるかも分かりませぬ」
「生まれれば分かる」
「叔父上と話していると、時々何を言われているのか分からなくなります」
「帰れ」
泰満は笑って頭を下げた。
館を出ると、彌太郎が金の包みを持ったまま空を見ていた。
「どうした」
「京は遠いですな」
「遠いな」
「若は宇津山」
「ああ」
「私は京」
「そうなる」
「なぜでしょうな」
「叔父上に会ったからだろう」
彌太郎は妙に納得した顔をした。
「それなら仕方ございませぬな」
「納得するのか」
「今さら逆らっても変わりますまい」
二人は笑った。
数日後、泰満は宇津山へ向かう。彌太郎もまず宇津山まで同行し、そこからさらに西の京へ向かうことになった
新しい城へ移る準備を始めたばかりだというのに、朝比奈の家の仕事は、相変わらず一つずつ来てはくれなかった。
今川クロニクル『宇津山朝比奈記』
史料・創作メモは上記参照。
関連史跡・考察は作者noteに掲載しています。
本作『宇津山朝比奈記』は、noteのほか、小説家になろう・カクヨムでも連載しています。




