第四十四話 宗長|紀伊守、旅の話を聞く
氏親の葬儀が終わってからも、駿府にはしばらく落ち着かない空気が残っていた。
人が減ったわけではない。
今川館には相変わらず家臣が出入りし、氏輝のもとには各地から報告が届く。寿桂尼のもとにも奉行たちが頻繁に顔を出していた。
政は止まっていない。
むしろ、氏親がいなくなったからこそ、止めてはならないとでもいうように動いていた。
小瀬戸へ戻った泰満も、それまでと変わらず城の仕事を続けていた。
今川仮名目録も、少しずつ使われ始めている。
村同士の争いがあれば、まず御定めを見る。
分からなければ城へ持ってくる。
以前より早く済む話もあれば、逆に決まりへ照らして確認することが増えたものもあった。
そんな頃だった。
「宗長殿が駿府へ来ておられるそうです」
村越から聞かされ、泰満は顔を上げた。
「宗長殿が?」
「はい。泰以様の御館に滞在されているとか」
「叔父上のところへか」
「連歌会も開かれているそうでございます」
泰満は少し笑った。
「叔父上が連歌か」
「泰以様も御一緒に詠まれているそうでございます」
「本当に?」
大病に伏していた頃を思えば、泰以は随分と元気になった。
日々の暮らしに大きな不自由はない。
ただ、長く馬へ乗ることや、具足を着けて軍勢を率いることだけは、もうなくなった。
戦場から離れたからといって、人との付き合いまでなくなったわけではない。
柴屋軒宗長が来たとなれば、人が集まるのも不思議ではなかった。
「行ってみるか」
泰満が言うと、そばにいた彌太郎が顔を向けた。
「駿府へ?」
「ああ。叔父上にも、しばらく顔を見せておらぬ」
「宗長殿にも?」
「せっかく来ておられるのだからな」
彌太郎が少し意外そうな顔をした。
「仕事ではございませぬな」
「たまにはよいだろう」
「珍しいことで」
「何がだ」
「若が用もなく駿府へ行かれることが」
泰満は少し考えた。
「……確かに珍しいな」
◇
泰以の館へ着くと、思っていた以上に人が出入りしていた。
武士だけではない。
僧もいる。
連歌に通じているらしい町人もいる。
庭に面した部屋には紙が並べられ、まだ会の余韻が残っていた。
泰満が顔を出すと、最初に声を掛けたのは泰以だった。
「遅い」
「呼ばれておりませぬ」
「聞けば来ると思っておった」
「聞かなければどうしたのです」
「呼ぶ」
「なら最初から呼んでください」
近くで笑い声がした。
宗長だった。
「相変わらずだな」
泰満は頭を下げる。
「宗長殿。御無沙汰しております」
「久しいな、紀伊守」
「叔父上のところへ泊まっておられるとか」
「追い出されぬのでな」
泰以が眉を寄せる。
「わしが頼んだように言うな」
「違うのか」
「勝手に泊まっておるだけだ」
「なら、なお都合がよい」
宗長が笑う。
泰満もつられて笑った。
「随分長いお付き合いなのですね」
「長いだけだ」
泰以が答える。
「それを付き合いというのだ」
宗長が返した。
「宗長殿まで叔父上をからかわないでください」
「そなたも先ほどから同じことをしておるだろう」
泰満は返す言葉を失った。
◇
その日は、ちょうどもう一座始めるところだった。
泰満も逃げ切れず、そのまま席へ座らされた。
連歌は嫌いではない。
ただ、得意でもなかった。
一句が出れば、次の者がその言葉や景色を受ける。
山を詠んでいたはずが月へ移り、月が人の心へつながり、気がつけば最初とは違うところへ話が流れている。
泰満には、そのつながりが分かる時と、どうしてそうなったのか分からない時があった。
「紀伊守殿」
宗長に呼ばれ、泰満は嫌な顔をした。
「私でございますか」
「順番だ」
「見ているだけでは」
「ならぬ」
泰満は泰以を見る。
「叔父上」
「わしを見るな」
「助けてください」
「戦なら助ける」
「こういう時こそ助けてください」
周囲から笑いが起きた。
結局、泰満はしばらく考えて一句を出した。
宗長は、少しだけ頷いた。
良かったのか。
悪かったのか。
それだけでは分からない。
分からないから余計に気になった。
会が終わり、人が少しずつ帰り始める頃になって、ようやく泰満も肩の力を抜いた。
「どうだった」
宗長が尋ねる。
「疲れました」
「戦よりか」
「戦とは別の疲れ方です」
「何でも戦と比べるな」
「分かるものと比べるしかございませぬ」
宗長が笑った。
「少しは上達した」
「本当ですか」
「少しだ」
「少しなら言わないでください」
◇
人が減ると、話は自然に宗長の旅へ移った。
「今度は、どちらから駿府へ来られたのです」
泰満が尋ねる。
「西からだ」
「遠江を?」
「ああ。寺へ寄り、人に会い、こちらへ戻ってきた」
「いつもながら、よく歩かれますね」
「歩かなければ行けぬからな」
「御もっともです」
「そなたは馬ばかりか」
「歩く時は歩きます」
「城主は歩かぬと聞いたが」
「誰からです」
「さてな」
宗長はとぼけた。
しばらく旅先の寺や知人の話が続いた。
泰満の知らない僧。
昔会ったまま久しく顔を見ていなかった者。
道の様子。
宿を借りた寺。
宗長の話は、どこへ行ったというだけでは終わらない。
誰に会ったか。
何を見たか。
どんな土地だったか。
話しているうちに、泰満にもその場所の姿が何となく浮かんできた。
その途中で、宗長が思い出したように言った。
「そういえば、宇津山にも寄った」
泰満が少し顔を上げる。
「宇津山へ?」
「ああ」
泰以も宗長を見る。
「城へ行ったのか」
「近くまでな」
「長池殿は」
「会った」
泰満は、それまでより少し身を乗り出した。
「まだ普請をされていましたか」
「していた」
宗長は少し考えた。
「もっとも、わしにはどこからが出来上がっていて、どこからが途中なのかまでは分からぬ」
「それでも随分変わっていたのでは?」
「以前を知らぬから比べられぬ」
そう前置きしてから続ける。
「ただ、人は多かった」
「人が?」
「ああ。木を運ぶ者がおり、土を動かす者がおり、道にもまだ手を入れていた」
「まだ道を」
「長池殿に聞けば、城だけ直しても、人も荷も入れられねば使えぬと言っていた」
泰以が小さく笑った。
「まともなことを言う」
泰満がそちらを見る。
「叔父上と同じですね」
「わしが先だ」
「長池殿が聞けば嫌がりそうです」
「なぜだ」
「自分で考えたと言うでしょう」
「なら言わせておけ」
宗長が二人を見て笑った。
「そなたたちは、城の話になると急に細かくなるな」
「宗長殿が先に話されたのでしょう」
「そうだったか」
「そうです」
宗長は気にせず続けた。
「水も見ておった」
「水を?」
「ああ。城で使う水の話らしい」
「ほかには」
「浜の方でも人が動いていたな」
泰満が顔を上げる。
「浜?」
「船を寄せる場所の話をしていたようだ。詳しくは聞いておらぬ」
泰満は頷いた。
初めて宇津山を見た時。
泰以も湖を使えることを気にしていた。
城から湖を見る。
湖から城へ荷を入れる。
その考えを、長池は実際の普請へ落とし込んでいるのだろう。
「ずいぶん大きな普請になりましたね」
「そうなのか」
宗長が尋ねる。
「最初に見た時は、小さな城でした」
「なら、変わったのだろうな」
「どのくらいで終わりそうでした」
宗長が呆れた顔をした。
「それを旅人に聞くか」
「見た感じで構いませぬ」
「そうだな」
宗長は少し考えた。
「もうじき、一段落するのではないか」
「長池殿がそう申されていたので?」
「いや。わしが見てそう思っただけだ」
「では当てにはなりませんね」
「失礼だな」
「城普請は分からぬと、今御自分で言われました」
「そうだった」
宗長が笑う。
「だが、いつまでもあの人数で土を動かし続けるわけでもあるまい」
「それはそうですね」
泰満も笑った。
それ以上、宇津山の話は続かなかった。
宗長にとっては、旅の途中で見た場所の一つだった。
泰満にとっても、その時はまだ、それ以上ではなかった。
◇
夕方になり、泰満は小瀬戸へ戻ることにした。
「もう帰るのか」
泰以が言う。
「今日は顔を見せに来ただけですから」
「孫太郎はどうした」
「連れてきておりませぬ」
「なぜだ」
「今日は宗長殿に会いに来たので」
「次は連れてこい」
「叔父上は孫太郎しか見ておりませんね」
「何が悪い」
「悪いとは言っておりませぬ」
宗長が面白そうに聞いている。
「紀伊守も父になったか」
「なりました」
「それは一度見ておかねばならぬな」
「小瀬戸へ来られれば」
「そのうちな」
「宗長殿の『そのうち』は信用できませぬ」
「旅人に日を決めろと言うな」
泰満は笑い、頭を下げた。
「叔父上も、無理はなさらぬよう」
「分かっておる」
「本当ですか」
「何度言わせる」
「叔父上ですから」
「早く帰れ」
◇
館を出た時には、日が傾き始めていた。
馬へ乗り、小瀬戸へ向かう。
しばらく進んだところで、彌太郎が尋ねた。
「宗長殿はお元気でしたか」
「ああ。叔父上より元気なくらいだ」
「それは何よりで」
「宇津山へも寄ったそうだ」
「ほう」
「長池殿にも会ったらしい」
「普請は」
「もうじき一段落するのではないか、と言っていた」
彌太郎が泰満を見る。
「宗長殿が?」
「ああ」
「城普請にお詳しいのでございますか」
「まったく詳しくない」
彌太郎が笑った。
「では、あまり当てにはできませぬな」
「わしもそう言った」
それで話は終わった。
泰満はそのまま馬を進めた。
小瀬戸へ戻れば、明日からまた仕事がある。
村からの訴えも来ている。
仮名目録へ照らして確認しなければならない話も一つあった。
美代もいる。
孫太郎もいる。
小瀬戸には、小瀬戸の暮らしが続いている。
宇津山では、長池親能が普請を続けているらしい。
どうやら、それももうじき一段落する。
その程度の話として。
泰満は聞いていた。
今川クロニクル『宇津山朝比奈記』
史料・創作メモは上記参照。
関連史跡・考察は作者noteに掲載しています。
本作『宇津山朝比奈記』は、noteのほか、小説家になろう・カクヨムでも連載しています。




