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第二十七話 三百|朝比奈泰満、甲斐へ出陣する

 小瀬戸へ使者が入ったのは、昼を少し過ぎた頃だった。

 馬は汗に濡れていた。

 城門を入るなり、使者は今川氏親の書状を差し出した。

 泰満は広間で封を切った。

 短い。

 甲斐河内へ武田信虎が侵攻。

 福島助春、防戦中。

 急ぎ兵を集め、駿府へ参陣せよ。

 そして最後に。

 ――小瀬戸より百。

「百か」

 泰満が呟いた。

 横にいた杉山が書状を見る。

「すぐに出せぬ数ではございませぬ」

「城には何人残せる」

「常の者に加え、村から呼べる者もおります。百を出しても守りはできます」

「無理はするな」

 泰満は書状を畳んだ。

「甲斐へ全部連れていって、小瀬戸を空にしたのでは何のために城を預かっているか分からぬ」

「承知」

 村越が尋ねる。

「いつ発ちます」

「明朝」

「今日ではなく?」

「百を数だけ揃えても仕方がない」

 泰満は答えた。

「槍も弓も、米も要る。甲斐まで行くのだ」

 そして杉山を見る。

「兵を選んでくれ」

「どのような者を」

「山を歩ける者」

 杉山が頷く。

「傷の残っている者は置いていけ。若すぎる者も無理に連れるな」

「はい」

「弓は少し多めにしたい」

「甲斐は山にございますからな」

「それもある」

 泰満は一度考えた。

「河内で福島殿が苦戦している。どんな場所で戦うことになるか分からぬ」

 村越を見る。

「荷は」

「三日分ほどなら、すぐ用意できます」

「三日?」

「駿府までなら、それで十分かと」

「駿府から先だ」

 村越が少し笑った。

「その先の兵糧まで、小瀬戸だけで持つおつもりですか」

「違うのか」

「駿府で大軍に組み込まれるのでしょう。兵糧の手配も御屋形様の方でなされます」

 泰満は黙った。

 それから彌太郎を見る。

「知っていたか」

「もちろんにございます」

「なぜ言わぬ」

「聞かれませんでしたので」

「おまえはいつもそれだな」

「便利な言葉にございます」

 泰満はため息をついた。

「ともかく、すぐ支度だ」

     ◇

 その日の小瀬戸は、日が暮れても騒がしかった。

 蔵が開く。

 槍が並べられる。

 弓弦が改められる。

 草鞋を揃える者。

 米を量る者。

 馬を見て回る者。

 選ばれた兵には、いったん家へ戻る時間も与えられた。

 甲斐へ行く。

 いつ戻れるかは分からない。

 泰満は城内を歩きながら、その様子を見ていた。

 曳馬では二十人だった。

 三河では二百余り。

 だが、あの二百は掛川の中で揃えられた兵だった。

 泰能がいる。

 掛川朝比奈の組がある。

 すでにできているものを預かった。

 今回は違う。

 小瀬戸から誰を出すか。

 誰を残すか。

 自分で決めなければならない。

 戦へ連れていく者を選ぶ。

 それは同時に、戦へ連れていかない者を決めることでもあった。

「紀伊守様」

 杉山が呼び止めた。

「どうした」

「九十八まで決まりました」

「あと二人か」

「候補はおります」

「なら何が問題だ」

「一人は兄弟でございます」

「兄弟?」

「兄はすでに選びました。弟も出たいと」

 泰満は少し考える。

「家は」

「父は亡くなっております。母がおります」

「二人とも連れていけば、家に男がいなくなるのか」

「はい」

「弟は残せ」

「本人は不満でしょう」

「構わぬ」

 杉山が頭を下げる。

「では九十九」

「もう一人は」

「腕は立ちますが、春に足を傷めました」

「歩けるのか」

「普段は」

「山道を何日も?」

 杉山が黙る。

「残せ」

「では別の者を」

「そうしてくれ」

 杉山が去る。

 彌太郎が横にいた。

「以前なら、腕の立つ者から連れていったのではございませぬか」

「そうかもしれぬ」

「変わりましたな」

 泰満は、兵を選ぶ杉山の背を見る。

「城に残る者も要る」

「はい」

「連れていった者は、甲斐まで歩かねばならぬ」

「はい」

「家に残る者のこともある」

 彌太郎が少しだけ笑う。

「それも城主の仕事でございましょうな」

「またそれか」

「何がでございます」

「城主になってから、面倒なものが増えてばかりだ」

「寺を建てるよりは?」

 泰満は少し考えた。

「まだこちらの方が分かりやすい」

     ◇

 翌朝。

 百人が小瀬戸城の前に並んだ。

 きっちり百。

 泰満は列の前を歩いた。

 知った顔が多い。

 小瀬戸へ来てから働いている者。

 泰以の代から仕えている者。

 舟形山にいた者も数人いる。

 だが、全員を知っているわけではない。

 昨日まで田にいた者もいる。

 山へ入っていた者もいる。

 家族に見送られて、今ここに立っている者もいる。

 その百人を、自分が甲斐へ連れていく。

 泰満は足を止めた。

「杉山」

「はっ」

「城は任せる」

 杉山が一瞬顔を上げた。

「私が残るので?」

「ああ」

「甲斐へは」

「来なくてよい」

 杉山が少し不満そうな顔をした。

「何だ」

「いえ」

「言え」

「若――紀伊守様が御一人で三百、四百と預けられた時が心配で」

「まだ百だ」

「駿府へ行けば増えるやもしれませぬ」

「縁起でもないことを言うな」

 彌太郎が横から言った。

「杉山殿の心配は正しいかと」

「おまえまで」

 村越が荷駄の方から戻ってきた。

「こちらは整いました」

「おまえは来るのか」

「荷を誰に任せるおつもりで」

「杉山」

「城を任せたばかりではございませぬか」

「では来い」

「最初からそのつもりにございます」

 泰満は百人を見る。

 そして声を上げた。

「駿府までは半日ほどだ」

 兵たちが聞く。

「だが、その先は甲斐になる」

 空気が少し変わった。

「福島助春殿が河内で武田と戦っている」

 甲斐。

 武田信虎。

 河内。

 名前だけなら、何度も聞いた。

 だが泰満自身、甲斐で戦うのは初めてだった。

「どれほどかかるかは分からぬ」

 少しだけ言葉を切る。

「だから急ぐ。だが、急いで途中で倒れるな」

 後ろで彌太郎が小さく頷いた。

「甲斐へ着く前に兵を減らしては意味がない」

 泰満は百人を見渡した。

「行くぞ」

 百人が動いた。

     ◇

 駿府へ入ったのは、日がまだ高いうちだった。

 泰満は少し拍子抜けした。

「もっと兵がいると思った」

 今川館へ向かう道を見ながら言う。

 確かに兵はいる。

 旗もある。

 馬も荷駄も多い。

 だが、一万の大軍が集まっているようには見えない。

「一万が一度に地面から生えてくるわけではございませぬ」

 彌太郎が言った。

「分かっている」

「由比や蒲原の兵は、すでに北へ向かったとも聞きます」

「葛山殿もか」

「先に河内へ入られたそうで」

 泰満は周囲を見る。

「では、ここへ来る兵ばかりではないのか」

「早く動ける者は、待たずに送っているのでしょう」

 道の向こうから、別の軍勢が入ってくる。

 泰満には見慣れぬ旗だった。

 二百ほど。

 その後ろに荷駄が続く。

「また来たな」

「今日だけでも何組か入るでしょう」

 大軍。

 泰満は今まで、一つの大きなものとして見ていた。

 だが実際には違う。

 百が来る。

 二百が来る。

 五百が来る。

 別の道では、すでに北へ進んでいる者もいる。

 その一つ一つに、城があり。

 家があり。

 兵を集める者がいる。

 米を用意する者がいる。

 そして、それらを一つにして、ようやく軍になる。

 見性寺の普請を思い出した。

 寺も、一日で立ったわけではなかった。

 木を出す者。

 運ぶ者。

 土をならす者。

 柱を立てる者。

 大軍も、似たところがあるらしい。

     ◇

 今川館へ入った泰満は、時茂の前へ通された。

 実父は何枚もの書付に囲まれていた。

「父上」

 時茂が顔を上げる。

「早かったな」

「近いですから」

「百は」

「連れてまいりました」

「小瀬戸は」

「杉山を残しました」

 時茂が頷く。

「それでよい」

 その一言に、泰満は少しだけ安心した。

「甲斐へは、いつ」

「明日には出てもらう」

「早いですね」

「福島殿は待ってくれぬ」

「福島殿が?」

「武田が、だ」

 泰満は少し顔を引き締めた。

「河内は、それほど」

「苦しい」

 時茂は隠さなかった。

「氏広殿たちが先に向かった。だが、それだけで終わる戦ではなくなった」

「信虎を押し返すのでしょう」

「聞いたか」

「使者から少し」

 時茂は頷いた。

「御屋形様は、大軍を入れるおつもりだ」

「どれほど」

「まだ数え切れておらぬ」

「数え切れない?」

「今も増えておる」

 時茂は机の上の書付を示した。

「今日来る者。明日来る者。直接北へ向かう者。掛川からも来る」

「泰能殿も」

「ああ」

 泰満は少し安心した。

 掛川勢と一緒なら、知っている顔も多い。

「では、私は掛川勢へ」

「入らぬ」

 泰満が止まった。

「え?」

「おまえには別に兵を付ける」

 嫌な予感がした。

「何人です」

「二百ほど」

「……二百?」

「十二家から出す」

 泰満は父を見る。

「十二家?」

「駿府周辺や、その近くの小身の者たちだ。一家では大きな兵を出せぬが、合わせれば二百ほどになる」

「それを」

「おまえが預かれ」

 泰満はしばらく黙った。

「私の百と合わせれば」

「三百だ」

「父上」

「何だ」

「三河では二百でした」

「知っておる」

「増えております」

「数えられるなら問題ない」

「そういう話では」

 時茂はようやく少し笑った。

「嫌か」

「嫌とは申しませぬ」

「ならよい」

「ですが、十二家なのでしょう」

「ああ」

「私の家臣ではない」

「そうだ」

「命を聞きますか」

 時茂の表情が少し変わった。

「そこを考えるのがおまえの仕事だ」

 泰満は黙った。

 父らしい答えだった。

「御屋形様から、おまえの与力として付けられる」

「はい」

「なら戦の間は、おまえが指図する」

「それで皆が納得しますか」

「納得させろ」

「簡単に言いますね」

「わしはこれから、もっと多くの家を集めねばならぬ」

 時茂は書付を一枚持ち上げた。

「十二家くらい、自分で何とかせよ」

「父上」

「紀伊守殿」

 泰満が嫌な顔をする。

 時茂は笑った。

「城を一つ預かっておるのであろう」

「こういう時だけ紀伊守と呼ぶのはやめてください」

 時茂は書付へ目を戻した。

「泰満」

 今度は名前で呼ばれた。

「何です」

「三百を一人で見るな」

 泰満が父を見る。

「一人で?」

「三百人の顔を全部見て、一人ずつ動かそうとするなということだ」

 時茂は机の上の書付を軽く叩く。

「人には、それぞれ頭がいる。その頭を使え」

「十二家の者を?」

「そうだ」

「信用できるか分かりませぬ」

「なら話せ」

 泰満は黙る。

「家臣でないからこそ、最初に話しておけ」

 時茂はそれだけ言うと、次の書付を取った。

「続きは自分で考えろ」

「結局それですか」

「忙しい」

 泰満はため息をついた。

     ◇

 その日の夕刻。

 泰満は十二家の名を書いた紙を見ていた。

 知っている家もある。

 名前しか知らない家もある。

 何人出すかも違う。

 十人。

 十二人。

 二十人。

 多いところで三十ほど。

「面倒だ」

 泰満が言った。

「またそれですか」

 彌太郎が覗き込む。

「十二家だぞ」

「十二までなら数えられます」

「数の問題ではない」

「では何が」

「これを全部、わしが直接動かすのか」

「無理でしょうな」

「簡単に言うな」

 彌太郎は紙を取った。

「家ごとのまとまりは崩さぬ方がよろしいでしょう」

「なぜ」

「知らぬ者同士を急に混ぜても動きませぬ」

 泰満が頷く。

「では十二組」

「それでは多い」

「どうする」

 彌太郎は四つずつ指でまとめた。

「三つにしては」

「四家で一つ」

「はい」

「その上に誰を置く」

「まず十二家の頭と話してからでしょう」

 泰満は紙を取り戻した。

 時茂にも似たことを言われたばかりだった。

「おまえがまとめろ」

 彌太郎が顔を上げる。

「私が?」

「ああ」

「私は紀伊守様の家臣でございます」

「だからだ」

「十二家の方々から嫌われますぞ」

「すでにわしの家では嫌われている」

「誰にでございますか」

「叔父上に散々使われておっただろう」

「それは嫌われていたのではなく、便利に使われていただけでございます」

「同じようなものだ」

「まったく違います」

「ともかく頼む」

 彌太郎はため息をついた。

「若」

「何だ」

「一つだけ」

「言え」

「最初に御自身で話してください」

「何を」

「十二家は朝比奈の家臣ではございませぬ」

「分かっている」

「なら、それを御自身の口から言った方がよろしいかと」

 泰満は少し考えた。

「分かった」

     ◇

 翌朝。

 十二人の男が、泰満の前に並んだ。

 年齢はばらばらだった。

 泰満よりはるかに年上の者もいる。

 戦場を何度も経験している顔もあった。

 その者たちが、若い紀伊守を見ている。

 泰満は一瞬だけ、居心地の悪さを覚えた。

 自分より長く戦っている者もいる。

 自分より多くの兵を見てきた者もいるだろう。

 だが、もう後ろへ下がる場所はない。

「朝比奈泰満にございます」

 何人かが頭を下げる。

「此度、御屋形様より、皆様の兵を預かるよう命じられました」

 泰満は一人ずつ顔を見る。

「先に申し上げます」

 部屋が静かになった。

「皆様は、朝比奈の家臣ではない」

 何人かの表情がわずかに動いた。

「それぞれの家があり、それぞれの主がおられる」

「はい」

 年長の一人が答えた。

「ですが、此度の戦では、御屋形様が私に預けられた」

 泰満は続ける。

「戦場では、私の指図に従っていただきたい」

 返事はすぐにはなかった。

 それでも泰満は待った。

 やがて先ほどの男が頭を下げる。

「御屋形様の御命令とあれば」

 ほかの者も続いた。

「承知いたしました」

 泰満も頭を下げる。

「お願いいたします」

 一人が少し意外そうに泰満を見る。

 泰満は構わず続けた。

「兵は、家ごとのまとまりを崩しません」

 今度は皆の顔が少し緩んだ。

「ただし十二家のままでは、私が全部を見ることができませぬ」

 紙を広げる。

「四家ずつ、三つに分けたい」

 十二人が紙を見る。

「それぞれにまとめ役を置きます。誰を立てるかは、皆様とも相談して決めたい」

 年長の男が尋ねる。

「紀伊守殿」

「はい」

「我らの兵を、朝比奈勢の前へ出されるおつもりではございませぬか」

 泰満は相手を見る。

 心配するのは当然だった。

 与力として付けられた兵。

 自分の家臣を惜しみ、他家の兵を先に使う将もいる。

「必要なら前へ出ていただきます」

 男の目が少し細くなる。

「ただし」

 泰満は言った。

「私の百も同じです」

 男が黙る。

「朝比奈だから後ろへ置く。与力だから前へ出す。そのような使い方はいたしませぬ」

「では、何で決めます」

「その時、必要な者を使います」

 泰満は少し考えてから続けた。

「それと」

 十二人を見る。

「私は、できる限り皆を連れて帰るつもりです」

 誰も話さない。

「勝てばよいとは思っておりませぬ」

 曳馬の夜を思い出した。

 二十人を預けられた時。

 泰以に言われた。

 二十人預けるなら、二十人連れて帰るつもりで動け。

 あの時は二十人だった。

 今は三百。

 人数が増えれば、その言葉が軽くなるわけではない。

「皆様にも、それぞれ帰る家がある」

 泰満は言った。

「だから私の命を聞いていただきたい」

 年長の男が尋ねた。

「紀伊守殿も、前へ出られるので?」

 泰満は少し眉を上げた。

「もちろんです」

「我らだけを出すのではない、と」

「先ほど申しました」

 男がわずかに笑った。

「ならば、承知いたしました」

 今度の頭の下げ方は、先ほどより深かった。

 ほかの十一人も続く。

 彌太郎が後ろで、小さく息を吐いた。

     ◇

 その日の軍議。

 泰満は初めて、諸将と同じ部屋へ入った。

 もちろん末席だった。

 前には朝比奈泰能。

 岡部の将。

 駿河、遠江から集まった武将たち。

 空いている席もある。

 すでに河内へ向かった者の席だった。

 氏親が上座にいる。

「河内から報せが来た」

 室内が静まる。

「氏広は福島と合流した」

 泰満は顔を上げた。

「武田の進みは、ひとまず止まっておる」

 わずかに空気が緩んだ。

「だが、信虎は退いておらぬ」

 すぐに緊張が戻る。

「福島の兵も傷んでいる。富士勢も立て直しの途中だ」

 氏親は諸将を見渡した。

「ゆえに、こちらから行く」

 誰も声を出さない。

「福島助春を、この戦の総大将とする」

 泰満は少し驚いた。

 苦戦した福島を替えるのではない。

 そのまま使う。

「助春は春から河内におる」

 氏親が言う。

「道を知る。穴山を知る。武田がどう動いたかも知っている」

 泰満は納得した。

 敗れたから替える。

 そういう話ではないらしい。

 今、その土地を一番知っている者を使う。

「葛山氏広には、助春を補佐させる」

 氏広はすでに河内にいる。

「穴山や甲斐の国衆との話は氏広に任せる」

 氏親の前に、甲斐の絵図が広げられた。

「この戦で、甲斐を取るつもりはない」

 泰満の胸に、以前聞いた言葉が蘇った。

 三河。

 今橋。

 なぜ東三河を、今川のものにせねばならぬ。

 氏親は、あの時も同じことを考えていた。

「目的は一つだ」

 氏親の指が河内を押さえる。

「信虎を、ここから押し戻す」

 指が北へ動く。

「そして武田に、好きに南へ出られると思わせぬ」

 さらに甲府盆地へ。

「信虎が話の席へ着くところまで叩く」

 泰満は絵図を見ていた。

 城を取ることが目的ではない。

 甲斐を取ることも目的ではない。

 武田を滅ぼすことでもない。

 相手を押し戻し。

 再び同じことをしないところまで叩き。

 話をする。

 戦にも、終わらせ方がある。

「信虎が和睦を求めれば、氏広が受ける」

 氏親が言った。

「だが、それまでは押す」

 そこで諸将を見渡した。

「忘れるな」

 泰満は顔を上げた。

「何のために始めた戦かを」

 三河で聞いたのと同じ言葉だった。

 今度は、自分もその戦の中へ入る。

「明朝より、準備のできた隊から北へ向かえ」

 諸将が頭を下げる。

「はっ」

 泰満も深く頭を下げた。

 小瀬戸から連れてきた百。

 十二家から預かった二百。

 合わせて三百。

 自分の兵だけではない。

 それぞれの家から預かった兵がいる。

 それでも明日からは、一つの隊として甲斐へ入る。

     ◇

 軍議を終えて外へ出ると、彌太郎が待っていた。

「どうでした」

「明日出る」

「そうでございますか」

「福島殿が総大将だ」

「やはり」

「葛山殿が補佐する」

「はい」

 泰満は少し歩いてから言った。

「彌太郎」

「何でございましょう」

「三百人だ」

「存じております」

「昨日まで百だった」

「駿府へ来ると増えましたな」

「笑うな」

「笑っておりませぬ」

 泰満は北を見る。

 その先に甲斐がある。

「三百人、連れて帰れると思うか」

 彌太郎はすぐには答えなかった。

「三百人全員が無傷で、という意味なら難しいでしょうな」

「そうだな」

「ですが」

 彌太郎は泰満を見る。

「連れて帰るつもりで動くことはできます」

 泰満は頷いた。

「ああ」

 泰以に預けられた二十人から始まった。

 二十。

 二百。

 そして今は三百。

 ただ人数が増えただけではない。

 小瀬戸から連れてきた者。

 他家から預かった者。

 年上の者。

 自分より戦に慣れた者。

 見るものが増えた。

 考えることも増えた。

 守るものも増えた。

 それでも、やることは同じなのかもしれない。

 預かったなら。

 できるだけ連れて帰る。

     ◇

 翌朝。

 駿府の外には、すでに幾つもの軍勢が動き始めていた。

 北へ向かう旗。

 荷駄。

 馬。

 まだ到着したばかりの兵もいる。

 次々に来て。

 次々に出ていく。

 泰満の前には三百人が並んだ。

 小瀬戸の百。

 十二家から集まった二百。

 昨日まで別々だった兵が、今は一つの隊として並んでいる。

 泰満は列を見る。

 そのすべてを、自分が動かす。

 不思議な感覚だった。

「紀伊守様」

 彌太郎が声を掛ける。

「何だ」

「そろそろ」

「ああ」

 泰満は馬へ乗った。

 一度だけ後ろを見る。

 三百。

 多い。

 だが、今さら数えていても仕方がない。

「出るぞ」

 声を上げる。

 旗が動いた。

 朝比奈紀伊守泰満は、三百の兵を率いて駿府を発った。

 向かう先は甲斐。

 その先では、武田信虎が待っていた。


今川クロニクル『宇津山朝比奈記』

史料・創作メモは上記参照。

関連史跡・考察は作者noteに掲載しています。


本作『宇津山朝比奈記』は、noteのほか、小説家になろう・カクヨムでも連載しています。

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