↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
23/47

第二十三話 見性寺|紀伊守、寺を再興する

 小瀬戸へ移って、ひと月ほどが過ぎた。

 城を一つ預かる。

 掛川を出るまでは、それだけで随分と大きなことのように思えた。

 実際、大きなことではあった。

 だが、泰満が小瀬戸へ来て最初に知ったのは、城を預かるという仕事の大半が、城の中では終わらないということだった。

「水が足りぬ?」

「足りぬわけではございませぬ」

 目の前に座った村役人が、困ったように答えた。

「では何だ」

「上の村が多く取りますゆえ、下まで回ってくるのが遅うございます」

「毎年か」

「雨が少ない年には」

「今年は」

「今のところは足りております」

 泰満は眉を寄せた。

「では、まだ困っておらぬのか」

「困る前に申し上げておこうかと」

 横に座る彌太郎も黙っている。

 少し離れたところでは、村越が書付に何かを書き込んでいた。

「つまり、今は水がある。だが、この先雨が降らなければ足りなくなり、上と下で揉める」

「おそらく」

「まだ揉めてはいない」

「はい」

 泰満は天井を見た。

「どうしろというのだ」

 村役人が少し困った顔をする。

「それを紀伊守様に」

 その呼び方にも、まだ慣れなかった。

「分かった。上の村にも話を聞く」

「ありがたき幸せ」

「ただし、まだ喧嘩はするな」

「心得ました」

 役人が下がる。

 部屋が静かになった。

 泰満は彌太郎を見る。

「城主というのは、こういう仕事なのか」

「こういう仕事も、でございましょうな」

「昨日は年貢。その前は崩れた道。一昨日は馬が畑へ入った話だ」

「あれは城主まで持ってくる話ではなかったと思いますが」

「持ってきたではないか」

「紀伊守様が若いので、話を聞いてくださると思っているのでしょう」

「よいことなのか、それは」

「今のうちは」

 妙な言い方だった。

「その先は」

「何でも持ってくるようになります」

「困るではないか」

「ですから、どこまで御自身で見るかを決めておくことでございます」

 掛川にいた頃には分からなかった。

 城には泰能がいた。

 泰以がいた。

 時茂がいた。

 何か起きれば、その誰かが考えていた。

 自分は後ろから見ていればよかった。

 今は違う。

 水。

 田。

 道。

 年貢。

 寺。

 神社。

 村と村との境。

 小瀬戸で起きたことは、最後には自分のところへ来る。

 刀を抜けば終わるような話など、一つもなかった。

「叔父上は、よくこんなことをしておったな」

 泰満が呟く。

「殿が?」

「ああ」

「殿は、面倒なものを人へ渡すのがお上手でしたから」

「おまえにか」

「主に私に」

 そこへ杉山が入ってきた。

「紀伊守様。駿河より使いにございます」

「叔父上か」

「泰以様より」

 泰満は嫌な予感がした。

 泰以から使いが来る時は、たいてい仕事が増える。

     ◇

 書状は短かった。

 小瀬戸の様子を聞く言葉。

 身体に気をつけろという言葉。

 そして、その後に本題があった。

「見性寺?」

 泰満が読み上げる。

 彌太郎が横から覗き込んだ。

「寺にございますな」

「それは分かる」

 楠谷の地に寺を再興する。

 古くから寺があった場所だが、いつしか廃れ、今は寺としての形を失っている。

 そこを整え、改めて寺を建てる。

 問題は、その次だった。

「……わしに任せる?」

「そのように書いてございますな」

「なぜだ」

「私に聞かれましても」

 泰満は書状を見直した。

「叔父上が始めた話ではないのか。土地の話も寺の話も、もう進めてある」

「そう見えます」

「なら最後までやればよい」

「紀伊守様」

「何だ」

「殿は今、療養中でございます」

「口は動く」

「随分戻りましたな」

「書状も書ける」

「左手で」

「人にも会える」

「短い時間ならば」

「ならできる」

「それを御本人の前で仰ってみますか」

 泰満は少し考えた。

「やめておく」

「賢明にございます」

 もう一枚、寺領についての書付が添えられていた。

 そこに見慣れぬ名がある。

「正親町三条家?」

 泰満も名は知っていた。

 今川家とは縁の深い公家である。氏親の姉も正親町三条家へ嫁いでいる。

 その家は京だけにあるのではない。

 駿府にも居を構えていた。

「叔父上が、正親町三条家から寺領を買ったということか」

「そのように読めますな」

「いつの間に」

「寝ているだけではなかったようで」

 一度は高い熱を出し、何日も床を離れられなかった。

 今では歩ける。

 人にも会える。

 書状も書ける。

 ただ、以前のように長く馬へ乗り、具足を着けて戦場へ出られる身体には戻っていない。

 それで大人しくなったと思っていた。

 甘かったらしい。

「駿府へ来い、ともある」

「行かれますか」

「行かねば分からぬ」

 泰満は杉山を見る。

「二、三日頼む」

「承知しました」

「彌太郎。行くぞ」

「私もでございますか」

「なぜ来ぬつもりなのだ」

「小瀬戸の仕事が山ほどございますので」

「戻ってからやれ」

「誰が」

「おまえが」

 彌太郎が目を細めた。

「殿に似てこられましたな」

「何がだ」

「何でもございませぬ」

     ◇

 駿河の泰以の屋敷へ着いたのは、その翌日の昼だった。

 泰以は縁側にいた。

 杖はまだ手放せない。

 右手も以前ほどには動かない。

 だが顔色は、小瀬戸へ発つ前に会った時より良くなっていた。

「来たか」

「呼んだのは叔父上でしょう」

「そうだったな」

 名美が湯を運んでくる。

「小瀬戸はいかがです」

「戦より面倒です」

 名美が笑う。

 泰以は頷いた。

「そうだろう」

「知っていたのですか」

「知っておる」

「なら先に教えてください」

「教えた。土地を見ろ。人を見ろ。道を見ろ、と」

 氏親からも似たことを言われている。

 泰満は黙った。

「覚えておけ」

「それで」

 泰満は懐から書状を出した。

「見性寺です」

「書いてあっただろう」

「寺を再興することは分かります。なぜ私なのです」

 泰以が不思議そうに見る。

「なぜ、と言われてもな」

「土地は叔父上が話を進めた。正親町三条家とも寺側とも、もう話は済んでいるのでしょう」

「おおむねな」

「なら、叔父上がやればよいではありませんか」

「わしが?」

「叔父上が始めたのでしょう」

「ああ」

「ならば」

「寺を建てるのは、おまえだ」

 泰満は黙った。

 彌太郎も黙る。

 名美だけは、最初から分かっていたような顔をしている。

「なぜです」

「紀伊守だからだ」

「答えになっておりませぬ」

「城を一つ預かっておる。知行もある」

「叔父上の家のものです」

「いずれおまえのものになる」

「まだ叔父上は生きております」

「知っておる」

 泰以は少し身体を動かした。

「城を預かる者が、城だけ見ておればよいと思うな。土地には寺がある。社がある。村がある。そこに昔から住む者がおる」

 泰満は小瀬戸で聞いたばかりの水の話を思い出した。

「平時なら道を直す。水を分ける。寺が荒れておれば直すこともある」

「小瀬戸で、ちょうど水の話を聞いてきたところです」

「もう来たか」

「叔父上、笑っておりますね」

「笑っておらぬ」

 名美が口を挟んだ。

「殿も昔、随分苦労なさいましたから」

「余計なことを言うな」

「では御自分でお教えになればよろしいでしょう」

 泰以が黙る。

 泰満は書付へ目を戻した。

「しかし、見性寺は小瀬戸ではありません」

「だからよい」

「何がです」

「おまえの名を、小瀬戸だけに置く必要はない」

 泰満が顔を上げた。

 泰以の表情から笑いが消えていた。

「掛川朝比奈の時茂の次男。それだけなら、掛川を出れば知らぬ者も多い」

「はい」

「わしの養子。それも同じだ」

 泰満は黙って聞く。

「だが、城を預かり、紀伊守を名乗り、寺を再興した者となれば違う」

 泰満はようやく気づいた。

「叔父上」

「何だ」

「最初から、私の名で寺を再興するつもりだったのですか」

 泰以は答えなかった。

 代わりに名美が言う。

「殿が御自分の名を残したいのでしたら、御自分を開基になさればよいのです」

「余計なことを」

 泰以が露骨に嫌そうな顔をする。

 泰満は叔父を見る。

「私の箔付けですか」

「言い方が悪い」

「では何です」

「家を立てておる」

 泰以は短く言った。

「おまえのな」

 部屋が静かになった。

 思えば、同じことは以前から続いていた。

 養子にした。

 家臣を残した。

 知行を任せた。

 名代にした。

 小瀬戸へも送り出した。

 そして今。

 寺を一つ、自分の名で再興させようとしている。

「そこまでしてもらわずとも」

「勘違いするな。おまえのためだけではない」

「では」

「寺があれば土地がまとまる。荒れた場所が使えるようになり、人も集まる。今川家にとっても悪くない」

「そのうえ、私の名も立つ」

「ついでだ」

 名美が首を振った。

「殿。逆でございましょう」

「黙っておれ」

 彌太郎が顔を伏せる。

「おまえ、笑っているだろう」

「いえ」

「絶対に笑っている」

「親というものは大変だと思っておりました」

「誰の話だ」

「こちらの話にございます」

 泰以が咳払いした。

「ともかく、寺は来年までには形にする」

「来年?」

「ああ」

「随分急では」

「だから今から始める」

 泰満は嫌な顔をした。

「叔父上の『間に合わせる』ですか」

 彌太郎が、ぴくりと反応する。

「何だ、それは」

「掛川で皆が恐れていた言葉です」

「知らぬ」

「本人だけが知らぬのです」

 名美が静かに頷いた。

 泰以は不満そうだった。

「何も今日から本堂を建てるわけではない」

「では何から」

「現地を見ろ」

 泰満は一瞬黙り、それから笑った。

「やはりそれですか」

「何だ」

「土地を見ろ。人を見ろ。道を見ろ」

「それができれば、大抵のことは何とかなる」

 泰満は書付を畳んだ。

「分かりました」

「いつ行く」

「小瀬戸へ戻って、二、三日中には」

「遅い。明日行け」

「私は小瀬戸の城を預かっているのですが」

「一日くらい空けても落ちぬ」

 彌太郎が小さくため息をついた。

「始まりましたな」

「何がだ」

「殿と紀伊守様が二人で仕事を始めると、周りの仕事が増えるのでございます」

「おまえも来い」

「ほら」

     ◇

 翌朝。

 泰満は楠谷へ向かう道にいた。

 隣には彌太郎。

 後ろには数人の供。

 泰以は来ない。

 来られない。

 以前なら泰以が先に馬を進め、自分はその後ろについていった。

 今は、自分が先にいる。

「この辺りですかな」

 山裾に、荒れた土地が見えてきた。

 かつて寺があったという。

 今は、昔の形をわずかに残すだけだった。

 泰満は馬を止める。

「ここに寺を建てるのか」

「正しくは、再び寺にするのでしょう」

 泰満は辺りを見た。

 山。

 道。

 水。

 人家までの距離。

 どこから木を運ぶ。

 僧はどこに住む。

 寺領はどこまでか。

 村の者はどう見る。

 考えることはいくらでもあった。

 少し前までなら、寺など僧が建てるものだと思っていた。

 今は違う。

 土地を動かす者がいる。

 金を出す者がいる。

 土地を譲る家がいる。

 話をまとめる者がいる。

 そして最後に、その寺へ名を残す者がいる。

「紀伊守様」

「何だ」

「何から見ます」

 泰満はしばらく辺りを眺めた。

 やがて馬を降りる。

「道からだ」

「道?」

「木も人も、ここを通ってくる」

 彌太郎が少し笑った。

「殿に似ましたな」

「それはやめろ」

 泰満は歩き始めた。

 朝比奈紀伊守泰満。

 その名で預かった最初の城は、小瀬戸だった。

 今度は、その名で寺を一つ再び立てようとしている。

 戦ではない。

 敵もいない。

 だが、これもまた土地を預かる者の仕事だった。

 山裾を吹く風の中で、泰満はまだ姿のない寺を見上げた。


今川クロニクル『宇津山朝比奈記』

史料・創作メモは上記参照。

関連史跡・考察は作者noteに掲載しています。


本作『宇津山朝比奈記』は、noteのほか、小説家になろう・カクヨムでも連載しています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。