第十六話 恩賞|掛川朝比奈、京との縁を得る
曳馬城が落ちても、掛川はすぐには静かにならなかった。
飯尾豊前守乗連が曳馬へ入り、城を直す。
周辺の村々から人を呼び、誰が大河内に従ったのか、誰が斯波へ兵を出したのか、誰が戦の間ただ様子を見ていたのかを確かめる。
降った者からは改めて起請を取る。
逃げた者の跡を調べる。
道を押さえる。
兵を置く。
兵糧を運ぶ。
曳馬から掛川へ届く書付は、日ごとに増えていった。
「城を落とした後の方が、仕事が多いのではないか」
泰満が呟くと、向かいに座っていた彌太郎が顔を上げた。
「そういうものです」
「舟形山でも似たようなことを言われた気がする」
「城は一日で落ちることもございますが、土地は一日では従いませぬ」
「それだ」
「若もようやく覚えてきましたな」
「おまえに褒められると腹が立つ」
「では、忘れてください」
彌太郎は何事もなかったように書付へ目を戻した。
泰満が睨んでいる間にも、新しい文が一通運ばれてきた。
◇
やがて駿府から使者が来た。
掛川城の広間には、泰能、時茂、泰以が並んだ。
泰満も泰以の後ろに控える。
曳馬攻略の戦功に対する沙汰だった。
まず、掛川朝比奈家への加増が申し渡された。
泰能が深く頭を下げる。
続いて泰以にも、新たな知行が与えられた。
泰満は思わず養父を見た。
井伊を降した功によって、泰以はすでに駿河で五百石を与えられている。
あの時から、掛川朝比奈家の一員でありながら、泰以自身の家も少しずつ形を持ち始めた。
そこへ、さらに土地が加わった。
使者が去ると、時茂が笑った。
「兄上。随分と大身になられましたな」
「大身というほどではない」
「五百石を頂いた時にも、同じことを申しておられた」
「事実だ」
「家臣も増やさねばなりませぬな」
泰以の顔がわずかに曇った。
「面倒だな」
彌太郎が深く頷いた。
「そのお言葉だけは、いつもの殿に戻られました」
「何だ」
「このところ働きすぎておられましたので」
「戦が終われば仕事が増える」
「だからと申して、増えた仕事を全部こちらへ寄越さなくともよろしいのです」
「お前がやらずに誰がやる」
「殿もなさってください」
「やっておる」
「増やす方を」
時茂が吹き出した。
泰満も笑った。
だが、彌太郎の嘆きは冗談だけでは終わらなかった。
◇
加増された土地のことを調べる。
そこに誰が住んでいるのか。
どれだけ取れるのか。
以前は誰が管理していたのか。
年貢はどこへ入れるのか。
新しく召し抱える者を決める。
馬を増やす。
槍を用意する。
人が増えれば、寝る場所も要る。
数日後、泰以の屋敷では名美まで帳面を前にしていた。
「人を増やされるのでしたら、その前に寝るところをお考えくださいませ」
泰以が黙った。
「叔父上」
泰満が言った。
「戦場では、すぐお答えになるのに」
「黙れ」
名美は屋敷の絵図へ指を置いた。
「こちらへ二部屋増やせば、近習の方は入れます。ただ、さらに人を召し抱えるのでしたら足りませぬ」
「隣の建物を使えばよい」
「物が入っております」
「出せばよい」
「どこへ」
泰以がまた黙った。
彌太郎が小さく言った。
「殿。敵を追い詰める時より追い詰められておりますな」
「お前も黙れ」
泰満は笑いを堪えた。
「叔父上。土地が増えれば、楽になるのではないのですか」
「なぜだ」
「入るものが増えます」
「出るものも増える」
「そうなのですか」
「人を抱えれば飯を食う。馬も食う。屋敷も要る。土地が増えれば、見に行く場所も増える」
名美が頷いた。
「ようやくお分かりになりましたか」
「わしは最初から分かっておる」
「それなら結構です」
泰満は、加増というものを少し違って見るようになった。
土地をもらえば豊かになる。
それは間違いではない。
だが、土地と一緒に人も仕事も増える。
家が大きくなるというのは、ただ蔵の米が増えることではなかった。
◇
それから数日後。
泰能と泰以は駿府へ呼ばれた。
泰満も従った。
今川館で氏親に対面すると、氏親は用件を長々とは語らなかった。
「泰能」
「はっ」
「嫁を取れ」
泰能が一瞬、顔を上げた。
泰満も驚いた。
泰以だけは、ほとんど表情を変えない。
「お相手は」
泰能が尋ねる。
氏親が少し笑った。
「中御門家だ」
今度は泰以も目を動かした。
「中御門……」
「宣秀卿の姫をいただく」
部屋の空気が変わった。
泰満にも、その家名の重さくらいは分かる。
京の公家。
しかも、ただ公家の娘を迎えるという話ではない。
氏親の御台も中御門家の出である。
「御台様の……」
泰満が小さく呟いた。
氏親が聞きつけた。
「姪にあたる」
泰満は慌てて頭を下げた。
氏親は咎めなかった。
「御台も、この縁組を喜んでおる」
泰能が深く頭を下げる。
「身に余る御縁にございます」
「余るかどうかは、これからのそなた次第だ」
氏親は泰能を見た。
「泰熙には長く働いてもらった」
泰能の表情が引き締まる。
「そなたもその跡を継ぎ、よく掛川を守った。井伊があり、曳馬があった」
「はっ」
「掛川はこれからも遠江の要だ」
氏親は静かに続けた。
「朝比奈には、それに相応しい家でいてもらわねば困る」
泰能はもう一度、深く頭を下げた。
泰満はその後ろ姿を見た。
加増を申し渡された時とは違う。
土地をもらった話ではない。
掛川朝比奈家そのものが、氏親からどう見られているかを示されたように思えた。
◇
今川館を退出した後、泰満は泰以へ尋ねた。
「叔父上」
「なんだ」
「これは、加増より大きな恩賞なのですか」
泰以はすぐには答えなかった。
しばらく歩いてから言った。
「比べるものではない」
「ですが」
「土地を貰えば、家が富む」
「はい」
「兵も増やせる」
「はい」
「婚姻を結べば、家の立つ場所が変わることがある」
泰満は後ろを振り返った。
泰能が歩いている。
まだどこか実感のない顔をしていた。
「中御門家の姫君を正室に迎えるとなれば、掛川朝比奈を見る目も変わる」
「そんなにですか」
「京の公卿の家だぞ」
泰以は言った。
「百石、二百石の話ではない」
泰満は黙った。
「それに」
泰以が続けた。
「姫君一人が、輿に乗って来るだけだと思うな」
「違うのですか」
泰以が泰満を見る。
「京から姫を迎えるのだぞ」
泰満はまだ分からない。
「女房がおる」
「はい」
「侍女がおる」
「はい」
「身の回りの者も来る。道中には中御門家の者もつく。荷もある。調度もある」
泰満はようやく気づいた。
「大勢来る」
「そういうことだ」
「掛川城に、入るのですか」
「入れる者はな」
「入らぬ者は」
「宿を用意する」
泰満は嫌な予感がした。
「それは、誰が」
泰以は答えなかった。
少し前を歩いていた彌太郎が、なぜか振り返った。
「若」
「なんだ」
「今、非常に嫌な気配がいたしました」
◇
掛川へ戻ると、その気配はすぐに現実になった。
泰能の婚姻が正式に伝えられる。
まず、城内のどこへ姫を迎えるかが問題になった。
掛川城が今の場所へ完全に移ってから、まだそれほど年は経っていない。
建物は新しい。
だが、城主が京の公家の姫を正室に迎え、さらに姫付きの者まで暮らすことを想定して造られたわけではなかった。
泰以、時茂、泰能。
そこへ家臣たち。
さらに名美まで加わって、城内の絵図を囲んだ。
「ここでは狭いですね」
名美が言った。
奥向きの建物だった。
「泰能殿お一人なら足ります。ですが、姫君が入り、女房衆まで置くとなれば」
「増やすか」
泰以が言った。
泰能が顔を上げる。
「屋敷を?」
「他にどうする」
「今から間に合いますか」
「間に合わせる」
彌太郎が顔を覆った。
「始まりましたな」
泰満が横を見る。
「何がだ」
「殿の『間に合わせる』でございます」
「何か問題があるのか」
「間に合わせるのは我々です」
泰以は聞いていなかった。
絵図の一角へ指を置く。
「この辺りを使う」
時茂が見る。
「奥を広げますか」
「うむ。姫君の居所と、女房衆の場所を分ける。荷を置くところも要る」
名美が口を挟む。
「湯殿も考えてくださいませ」
泰以が止まった。
「湯殿」
「姫君を迎えてから、掛川のやり方に合わせてくださいとは申せません」
「……そうだな」
「炊事も今のままでは足りなくなるでしょう」
「それもか」
彌太郎が泰満へ小声で言った。
「若。殿が井伊の山城より苦戦しております」
「聞こえておるぞ」
「失礼しました」
だが普請は決まった。
新しい建物を一つ用意するだけではない。
奥向きを広げる。
女房たちの居所を作る。
調度を収める場所を作る。
炊事場も考える。
京からの随行人が一時滞在する宿も用意しなければならない。
すべてを城内へ入れることはできない。
「寺を借りるか」
時茂が言った。
「それだけでは足りぬかもしれぬ」
泰以が答える。
「城下の屋敷も使う」
「誰の」
泰以が周囲を見る。
家臣たちが一斉に目を逸らした。
泰満は笑いそうになった。
◇
翌日から、掛川城ではまた槌の音が響き始めた。
材木が運ばれる。
大工が入る。
土が均される。
城内では新しい建物の位置を測り、城下では京からの随行人をどこへ泊めるかが決められていく。
泰満は普請の様子を眺めた。
掛川城は新しい。
泰熙が築き、今の場所へ移ってから、それほど経っていない。
泰満には、すでに出来上がった城のように思えていた。
だが違った。
人が増える。
役目が変わる。
家の立場が変わる。
そうすれば、城もまた姿を変える。
つい先日、宇津山で泰以が話していたことを思い出した。
地形を使い切るために、城へ手を入れる。
掛川では、迎える人が変わるから城へ手を入れる。
理由は違う。
だが、城は一度造れば終わりではないということは同じだった。
「若」
彌太郎が大量の書付を抱えて歩いてきた。
「何を見ておられるのです」
「城が、また変わると思って」
「よいことに気づかれましたな」
「そうだろう」
「では、こちらをお願いします」
書付の半分を渡された。
「何だ、これは」
「京から来られる方々の宿の候補でございます」
「俺が?」
「城が変わるところを見たいのでしょう」
「見るのと働くのは違う」
「戦場で殿から同じようなことを言われませんでしたか」
泰満は黙った。
彌太郎が笑った。
「さあ、働いてください」
掛川城には、また槌の音が響いていた。
曳馬で得たものは土地だけではなかった。
泰以の家は大きくなり。
掛川朝比奈家もまた、京の公家と縁を結ぼうとしている。
戦功は、城を増やすこともある。
土地を増やすこともある。
そして時には、家そのものの立つ場所を変える。
泰満は手元の書付へ目を落とした。
中御門家の姫が京を発つまでに、やらねばならないことは山ほどあった。
今川クロニクル『宇津山朝比奈記』
史料・創作メモは上記参照。
関連史跡・考察は作者noteに掲載しています。
本作『宇津山朝比奈記』は、noteのほか、小説家になろう・カクヨムでも連載しています。




