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第十一話 舟形山城|朝比奈泰満、初陣で城を奪還

 杉山が戻ってきたのは、多米勢の狼煙が北の尾根へ細く伸びている最中だった。

 連れていった二人もいる。

 三人とも息を切らしていたが、怪我はない。

「申し上げます」

 杉山は泰以の前で膝をついた。

「寺より上の道、戸田勢が塞いでおります。見えたところで五十ほど。その後ろにも人の気配がございました」

「南から逃げ込んだ者か」

「おそらくは」

「城までは」

「木に隠れて見えませぬ。ただ、上へ向かう兵が何組もございました。数百は籠もっているかと」

 泰以は山を見上げた。

 普門寺の裏手から道が延びている。

 その先は木々に隠れ、舟形山城を見ることはできない。

「横へ回れるか」

「人ならば」

 杉山は答えた。

「十人、二十人なら通れそうなところはございます。ですが、まとまった兵を上げる道ではありませぬ」

「そうか」

 泰以は少し考えた。

「ならば主力は正面だ」

 彌太郎が嫌そうな顔をした。

「やはり、あの道を登るのでございますか」

「他に千人を通せる道がない」

「横は使わぬので?」

「使う」

 泰以は杉山を見る。

「十人ほど連れて横へ入れ。ただし、敵の後ろへ回ろうとは思うな」

「では何を」

「姿を見せろ」

 杉山が一瞬、首を傾げる。

「敵に、横からも来ると思わせればよい」

「攻め込まぬのでございますか」

「十人で城を取れるなら苦労はせぬ」

 彌太郎がぼそりと言った。

「井伊では十二人に似たようなことをさせた方がおられましたが」

「あれは城を取らせたのではない」

「存じております。登らされた本人ですので」

 泰以は聞かなかったことにした。

「杉山。無理はするな。敵を見つけても戦うな。こちらが動いた頃に音を立てろ。それだけでよい」

「承知」

 杉山はすぐに立った。

 泰満は山を見た。

 野戦では一千五百と一千五百がぶつかった。

 だが、ここでは違う。

 兵がいくらいても、道が狭ければ前へ出られる人数は決まってしまう。

「泰満」

 泰以に呼ばれた。

「はい」

「行けるか」

 泰満は自分の手を見た。

 槍についた血は拭った。

 だが、普門寺で人を突いた時の感触は、まだ手の中に残っている。

 一瞬だけ迷った。

「参ります」

「そうか」

 泰以はそれ以上、何も言わなかった。

 励まさない。

 気遣いもしない。

 ただ、行けるかと聞いた。

 泰満には、それでよかった。

「彌太郎」

「はい」

「先を頼む」

「寺で働いたばかりなのですが」

「身体が温まっておろう」

「十分すぎるほどに」

「ならばちょうどよい」

 彌太郎は深く息を吐いた。

「若」

「なんだ」

「私より前には出ないでください」

「なぜだ」

「初陣の若を死なせたとなれば、殿にも時茂様にも御母上にも叱られます」

「三人か」

「三人でございます。戸田勢より恐ろしゅうございます」

 泰満は少しだけ笑った。

 ほんの少し、肩から力が抜けた。

     ◇

 朝比奈勢は普門寺から山道を登り始めた。

 先頭に彌太郎。

 その後ろに楯を持った兵。

 泰満はさらに後ろへついた。

 道はすぐに狭くなった。

 三人並べるところもあれば、一人ずつ進まねばならぬ場所もある。

 一千五百の兵がいても、前で戦えるのはほんのわずかだった。

「止まれ!」

 前から声が上がった。

 直後、矢が飛んできた。

 一本。

 二本。

 木へ刺さる。

 楯へ当たる。

 一人が呻き、しゃがみ込んだ。

「楯を前へ!」

 彌太郎が叫んだ。

 朝比奈兵が楯を寄せる。

 泰満も身を低くした。

 前を見る。

 道に木が倒されていた。

 一本ではない。

 枝を絡ませ、簡単には動かせぬようにしてある。

 その向こうに戸田兵がいる。

「厄介だな」

 泰満が呟いた。

「城とは、こういうものです」

 彌太郎が答えた。

「人だけと戦えばよいなら、まだ楽なのですが」

 また矢が来る。

 こちらは下から見上げる。

 敵は木の陰や倒木の向こうから射てる。

「弓を出せ!」

 朝比奈勢も矢を返した。

 戸田兵が頭を引っ込める。

「今だ。木を退けろ!」

 斧や鉈を持った兵が出た。

 枝を払う。

 縄を掛ける。

 敵が顔を出した。

「射ろ!」

 矢が飛ぶ。

 作業していた一人が肩を押さえて倒れた。

 別の者がすぐ代わる。

 泰満はそれを見た。

 敵を一人討っても、この木は退かない。

 木を退けなければ、後ろの兵は進めない。

 山では、人だけが敵ではない。

 道そのものが、城の一部になっている。

「開いたぞ!」

 声がした。

 倒木の端に、人一人が通れそうな隙間ができた。

 一人の兵が走りかける。

「待て!」

 彌太郎が止めた。

 次の瞬間。

 隙間から槍が突き出された。

「うわっ!」

 楯へ当たり、兵がよろめく。

「ほら」

 彌太郎が言った。

「向こうも、そこから来ると思っております」

「では、どうする」

「向こうに下がっていただきます」

 彌太郎は長槍を持つ兵を呼んだ。

「隙間へ入れろ!」

 数本の槍が一斉に突き込まれる。

 向こうから怒号が上がった。

「もう一度!」

 槍が入る。

 敵が下がる。

「木を引け!」

 縄が張られた。

 倒木が動く。

 一人。

 二人。

 三人。

 通れる幅が広がった。

「今だ!」

 彌太郎が走った。

「おい!」

 泰満が声を上げる。

「俺より前へ出るなと言ったのは誰だ!」

「私は若ではございませぬ!」

 それだけ返し、彌太郎は倒木を越えた。

 向こう側で槍がぶつかる。

「続け!」

 朝比奈兵が次々と入った。

 泰満も倒木を越えた。

     ◇

 向こうには、わずかな平地があった。

 戸田兵が集まっている。

 彌太郎はすでにその中にいた。

「右へ回れ!」

 兵を動かす。

「左を詰めろ!」

 槍を払う。

「止まるな!」

 普段の彌太郎からは想像しにくいほど声が通った。

 泰満が見ていると、一人の戸田兵が向かってきた。

 槍が伸びる。

 泰満は身体を引いた。

 今度は動けた。

 こちらも突く。

 敵が払う。

 もう一度。

 脇から朝比奈兵の槍が入った。

 戸田兵が下がった。

「押せ!」

 泰満は叫んでいた。

 自分でも驚くほど大きな声が出た。

 後ろから兵が入ってくる。

 十人。

 二十人。

 倒木を越えた朝比奈勢が増えていく。

 戸田勢は次第に支えきれなくなった。

 その時。

 山の横手から声が上がった。

「朝比奈!」

 杉山たちだった。

 姿まではよく見えない。

 だが木々の向こうから鬨の声が上がる。

 戸田兵が一斉にそちらを見た。

「横から来たぞ!」

「何人だ!」

「分からぬ!」

 前にいた兵の何人かが後ろを気にした。

 それだけだった。

 杉山は攻めてこない。

 十人ほどしかいない。

 だが戸田勢には、それが分からない。

「今だ!」

 彌太郎が叫んだ。

 朝比奈勢が押した。

 戸田の列が崩れる。

「上へ退け!」

 誰かが叫んだ。

 敵が山道を上がっていく。

 泰満が追おうとする。

「若」

 彌太郎が止めた。

「まだです」

「逃げるぞ」

「逃げる先が城なら、城で会えます」

 泰満は足を止めた。

 南麓でも、泰以は逃げる兵を追わせなかった。

 今度は彌太郎が同じことをしている。

「息を整えてください」

 彌太郎自身も息を切らしている。

「向こうも疲れております。我らまで同じように疲れる必要はございませぬ」

 やがて泰以が上がってきた。

「先へ進む」

 短く命じた。

     ◇

 そこから先は、何度も止まった。

 戸田勢は道の狭い場所へ兵を置く。

 朝比奈勢が押す。

 戸田勢が退く。

 また別の場所で止まる。

 矢が飛ぶ。

 石が転がってくる。

 負傷者が下へ運ばれる。

 代わりの兵が上がる。

 泰以は、一度に大勢を押し込まなかった。

 前の兵が疲れれば替える。

 弓を使う。

 槍を出す。

 道が広がれば人数を増やす。

 狭くなれば減らす。

 泰満には、一千五百という数の意味が少し分かった気がした。

 一千五百人で、一度に戦うのではない。

 戦える者を、必要な場所へ送り続ける。

 そのための一千五百だった。

 やがて山の上が騒がしくなった。

「北だ!」

「多米が来たぞ!」

 戸田勢の声だった。

 泰満は北を見た。

 木々に遮られ、多米勢の姿は見えない。

 だが、戸田兵たちには見えるものがあるらしい。

 北へ向かっていた兵が引き返してくる。

 何人かが、南側の守りから離れて北へ走った。

「北にも兵を置け!」

「道を塞がれた!」

 戸田側の声が重なる。

 泰満は気づいた。

 多米勢は少ない。

 それでも、そこにいるだけで戸田は北を放っておけない。

 南には朝比奈がいる。

 北には多米がいる。

 どちらかだけを見ることができなくなった。

「彌一郎」

 泰以が呼んだ。

「はい」

「敵がどこを見ている」

 泰満は戸田兵を見た。

「北です」

「こちらは」

「……先ほどより見ておりませぬ」

「そういうことだ」

 泰以は頷いた。

「数が少なくても、敵に見させることはできる」

 泰満は杉山の横手の兵を思い出した。

 十人。

 多米勢も大軍ではない。

 だが敵は、その両方を無視できない。

 太鼓が鳴った。

「押せ!」

 朝比奈勢が一斉に前へ出た。

     ◇

 今度は戸田勢が止めきれなかった。

 朝比奈兵が押し上がる。

 戸田兵が下がる。

 下がった兵が後ろの兵へぶつかる。

 列が乱れる。

「城へ!」

「戻れ!」

 声が重なった。

 泰満も進んだ。

 足が重い。

 息が苦しい。

 それでも前へ出る。

 やがて木々の向こうに柵が見えた。

 舟形山城だった。

 大きな城ではない。

 山の中に土を削り、木を立て、守りを置いた城だった。

 そこに戸田の旗が立っている。

 だが、南麓で見た戸田勢とは違った。

 あの時は一千五百が陣を組んで待っていた。

 今、城にいる者たちは違う。

 南麓で敗れた者。

 山へ逃げ込んだ者。

 道を守りながら退いてきた者。

 傷を負った者もいる。

 数百いるとしても、戦う前の数百ではなかった。

「取り返せ!」

 朝比奈勢から声が上がった。

 兵が柵へ取りつく。

 内側から槍が出る。

 楯で受ける。

 槍を返す。

 斧が柵へ打ち込まれた。

 一度。

 二度。

 三度。

 木が軋む。

「こっちだ!」

 彌太郎の声がした。

 泰満が顔を向ける。

 彌太郎が柵沿いを走っている。

「何をしている!」

「入れるところを探しております!」

「あるのか!」

「探しているところです!」

 そのまま木々の陰へ消えた。

「おい!」

 返事がない。

 正面では柵が一本倒れた。

「開いた!」

 兵が殺到する。

 泰満も続いた。

 柵を越える。

 戸田兵がいる。

 槍が来る。

 払う。

 隣で刀が光る。

 叫び声。

 土煙。

 すべてを見ることなどできない。

 ただ前へ出る。

「若!」

 声がした。

 泰満が顔を上げる。

 少し先に、彌太郎がいた。

 すでに柵の内側にいる。

 戸田兵を槍で押し返していた。

「……いつ入った」

 彌太郎が振り返る。

「そこの脇が少し開いておりましたので」

「少し?」

「人一人なら通れました」

「一人で入ったのか!」

「後ろから二人来ました」

 見ると、本当に二人いる。

「それを一番乗りというのではないのか!」

「今はその話をしている場合ではございませぬ!」

 彌太郎が槍を構え直す。

「右から来ます!」

 三人の戸田兵が走ってきた。

 泰満も槍を構えた。

 今度は迷わなかった。

     ◇

 城内の戦は、それほど長く続かなかった。

 北から多米勢の声が近づく。

 南からは朝比奈が押し込んでいる。

 北側を守るため、戸田兵がまた何人か走っていった。

 南の柵が破られる。

 別の場所でも朝比奈兵が入り始める。

 戸田勢には、もう一つの方向へ兵を集める余裕がなかった。

 一人が刀を捨てた。

 次の一人も槍を置く。

「降る者は討つな!」

 泰以の声が響いた。

「武器を捨てさせろ! 抵抗する者だけを押さえよ!」

 朝比奈兵が声を返した。

 戸田の旗が一本倒れた。

 やがて、もう一本も降りた。

 怒号が減っていく。

 槍のぶつかる音も消えていった。

 残ったのは、人の荒い息と負傷者の呻きだった。

 泰満は立ったまま周囲を見た。

 今度こそ終わった。

 そう思った。

「若」

 横へ彌太郎が来た。

 兜がずれている。

 袖には泥。

 頬には細い傷がある。

「彌太郎」

「はい」

「やはり、おまえが一番だったのではないか」

「何の話でしょう」

「城へ入った話だ」

「皆で入りました」

「俺が見た時には、おまえが先にいた」

「たまたまでございます」

「たまたま一番だったのだろう」

 彌太郎は嫌そうな顔をした。

「若」

「なんだ」

「その話を殿の前ではなさらぬように」

「なぜだ」

「次から、最初に行けと言われます」

 泰満は彌太郎を見る。

「今も最初に行かされたではないか」

 彌太郎は黙った。

「……そうでしたな」

 泰満は笑った。

     ◇

 舟形山城に朝比奈の旗が立った。

 しばらくして、北から多米勢も姿を見せた。

 多くはない。

 舟形山を奪われた時に一門を失い、手負いも抱えている。

 それでも北道を押さえ続け、最後まで戸田勢の退路を塞いだ兵だった。

 泰満は、その姿を初めて間近に見た。

 城を取り戻した。

 だが、多米の者たちの顔に喜びばかりがあるわけではなかった。

 倒れた戸田兵を見る。

 捕らえられた者を見る。

 その視線は険しい。

 一門を討たれている。

 当然だった。

 泰以はすぐに命じた。

「捕虜は朝比奈で預かる」

 多米方の武者が顔を上げた。

「しかし――」

「今は斬らせぬ」

 泰以は言った。

「仇の話は後だ。まず城を守れる形に戻す」

 多米方の武者は、しばらく泰以を見た。

 やがて頭を下げる。

「承知しました」

 壊れた柵。

 散らばった矢。

 倒れた兵。

 残された兵糧。

 調べるものはいくらでもある。

 泰満は、また戦が終わっていないことを知った。

 戦うことが終わっただけだった。

「泰満」

「はい」

「今夜はここにいる」

 泰満は少し驚いた。

「曳馬へ戻らぬのですか」

「今取った城を空にするのか」

「ですが、多米勢がおります」

 泰以は北から入ってきた兵を見る。

「足りぬ」

 泰満も見た。

 確かに多くはない。

 城を守る。

 山道を見張る。

 周辺へ物見を出す。

 戸田が戻ってくることにも備える。

 それをすべて任せるには、痛手が大きすぎる。

「中之郷へ使いを出せ」

 泰以が言った。

 杉山が顔を上げた。

「中山民部殿へ?」

「そうだ」

「何と」

「舟形山は取り返した。守りの兵を寄越せとな」

「承知」

 杉山が立ちかけたところで、泰満が尋ねた。

「なぜ中之郷なのです」

 泰以が見る。

「近い」

「それだけですか」

「それだけでも十分だ」

 泰以は城の西へ目を向けた。

「だが、それだけではない」

 泰満も西を見る。

「戸田がまた来るなら、中之郷は先に気づく」

「中山殿が」

「そうだ。舟形山に何かあれば、中之郷から兵を動かせる」

 泰以は北を見る。

「多米だけに任せれば、また同じことになるかもしれぬ。今は兵が足りぬ」

 そして杉山へ向き直った。

「中山にそう伝えろ。兵を出せとな」

「承知しました」

 杉山が走っていった。

 泰満は城の外を見る。

 北には多米がいる。

 西には中之郷がある。

 その向こうには戸田がいる。

 自分は掛川から来た。

 これまで別々の地名だったものが、少しずつ一つにつながっていく。

 泰以が言った。

「取るだけなら、今日で終わる」

 泰満は顔を上げた。

「だが城は、取った者ではなく、持ち続けた者のものだ」

 夕方の風が舟形山を渡った。

 城には朝比奈の旗が立っている。

 だが、それを誰が守り、どう残すのか。

 その仕事はこれからだった。

 泰満の初陣は終わった。

 初めて人を討った。

 初めて山城を攻めた。

 そして最後に知った。

 城を取ることと、城を持つことは、同じではなかった。




今川クロニクル『宇津山朝比奈記』

史料・創作メモは上記参照。

関連史跡・考察は作者noteに掲載しています。


本作『宇津山朝比奈記』は、noteのほか、小説家になろう・カクヨムでも連載しています。

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