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浮遊嬢は落ちぶれない  作者: 七色
終章 浮遊嬢は堕ちぶれない
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第41話 白衣の影は眠らない

「ね! 何してるの? こんなところいたら……かぜ? ひいちゃうよ?」

 ひどくきれいな声だった。まるでどこか遠い国の弦楽器のような。

 直接聞いたことはない。けれど、小学校に通っていたころ、裕福な家の女子生徒が、『おーけすとら』と呼ばれる音楽の公演を聞きに行ったらしい。

 それはもう夢のような体験で、心揺さぶられ、あのような素晴らしい音楽はほかにない、などと耳にたこができるほどに周りに自慢をしていたのを妙に覚えている。

 思えば、なぜあんなに裕福な人が同じ小学校に通っていたのだろうか。それも時の運というものだろうか。

 だとするならば、運命というものは残酷だ。私に裕福な人間との差を見せつけ、あまつさえ私を本の虫にしてしまうなんて。

 私は高等女学校にはいけなかった。家が貧しく、小学校卒業後は家で仕事をする運命にあったからだ。裕福なあの子は高等女学校にいけた。別に頭がよかったわけではなかろうが、家が裕福だったからだ。

 音楽はきっと素晴らしいものなのだと思う。私は小学校以外で音楽というものに触れたことがなかったが、裕福で、世を広く知っているような人をもって素晴らしいといわしめるものなのだ。きっと、世界を救うことさえできる素晴らしいものなのだろう。

 ああ、けれど。

 最期に聴く声が、こんなにも美しいものでよかった……

「……大丈夫? まだ生きてるよね?」

 硬い地面に倒れた私の体を何かが、誰かが揺さぶる。それが浮世離れした声の持ち主であることは栄養の足りていない頭でもすぐにわかった。

 私を揺さぶる手はとても柔らかかったが、夜の闇に冷やされた地面と同様に熱を感じない、屍人のような手だった。

 硬い地面にこすりつけるかのような体の揺さぶりに辛抱ならず、ついに目を開く。

 そこにいたのは、真っ白い女性。背は私と変わらないだろうか。幼さを残す表情は物憂げに眉を曲げており、地面に倒れ伏す私のことを慮っていることは容易に想像できた。

 真っ白い女性、と先ほど思ったが、ただ白いだけではない。淡く輝いている(・・・・・・・)。夜の闇の中でこんなにもはっきりと白を認識できるのは、それゆえだ。

「あ、気が付いた! 大丈夫? どうしてこんなところに?」

 すごくきれいな女性だ。真っ白い着物に紅や金色の帯を巻いている姿は単なる着物ではなく、かんなぎの方なのではないかと錯覚させる。いや、もしかしたら巫どころか、神様そのものなのかもしれなかった。

「あな、たは?」

「私がここにいる理由? えーっと、オリが溜まってたから……って言ってもわかんないよね!」

 私は目の前の神秘性を帯びている女性が何者なのか尋ねたつもりだったが、目の前の女性は顔をくしゃりと歪ませて笑った。

 すこしだけ頭の中が明瞭になってきた。先ほどまで疲労と凍えで倒れていたが、私の命は最期の力を振り絞ってこの女性に付き合うことにしたらしい。

「ねえねえ、あなたはどうしてここにいるの?」

 先ほどと同じ問。私が質問したのだから、今度は私が答える番だ。

 少しだけ黙り込んで、どう説明したものか考えてみる。けれど、数日間何も食べていないからか、利口な答えは浮かばない。

 ほどなくして、私の腹が音を鳴らす。なんとも間抜けた音を聞いた目の前の女性は小首をかしげながら疑問を投げる。

「腹が、空いているの?」

 優しくて、つぶらな瞳が私の中身を覗き込む。それが耐えきれなくて、私は暗い地面に目を落として小さく頷いた。

「ふふふ、な~んだ。そんなことなら初めから言ってくれればよかったのに!」

 彼女は、心底楽しそうな声で言うと、瞼を閉じて、祈るようにつぶやく。

「『美味しいものを出す奇跡』」

 次の瞬間、目の前には竹の皮の上に置かれた二つのおむすびがあった。麦ごはんや玄米ではない、白米。

「こ、これ」

「へぇ~、君にとっての美味しいものっていうのは、こういうものなんだ」

 目の前にはおいしそうなおむすび。三日月の薄明りを浴びて、米粒一つ一つが輝いているかのように見える。

「……どうしたの? 食べないの?」

 白い女性の言葉にビクリと肩を震わせる。目に涙が浮かぶことを感じながら、女性の方を向いて尋ねた。

「……いいのですか?」

「もちろん! あなたのために出したんだから!」

 満天の星空のような笑顔を浮かべた女性。私は「ありがとうございます」と短く告げ、目の前のおむすびのひとつを震える手でつかんだ。

 ふと頭の中に一つの言葉が浮かんだ。

 よもつへぐい。小学校にいたときに本で読んだものだ。曰く、死者の国の食べ物を食べたものは、現世に帰ることができなくなると。

 目の前の女性は、明らかに尋常ならざる存在だ。白く輝く体、屍人のような冷たい手、そして何もないところから食べ物を生み出したという奇跡。もしかしたら私は生と死の境にいて、このおむすびを食べることで現世に帰ることができなくなるのかもしれない。

 けれど、それでいいのかもしれない。私に、現世への未練などない。あの家への未練なんて。

 私は、掴んだおむすびをそっと口に運んだ。

「……! おいしい」

「ほんと?! よかった~! お口に合わないかと思ったよ! 奇跡で出したものなんだけどさ!」

 ケタケタと楽しそうに笑う女性。そんな様子を見ていると、先ほどまでの懸念……死者の国の住民なのではという不安はただの杞憂だったのではないかと思ってしまう。

 わたしはそのまま、白いご飯のおむすびをもそもそと食べる。目の前の女性はにこにこと笑みを浮かべながら私が食べ終わるのをじっと待っていた。

「……ごちそうさまでした」

「うん! ……え~っと、おそまつさまでした? だっけ」

 女性は頭をひねりながら謙遜を示す。

 先ほどから言葉遣いに多少の違和感がある。そもそもこの女性は一体何者なのか。

 そんなことを考えていると、女性の方からキレイな声で先ほどの質問が繰り返される。

「ねえ、どうしてあなたは、ここに倒れていたの?」

 飯を頂いた手前、なにも教えないというわけにもいくまい。私は、少し前の出来事を思い返しながら、目の前の女性に事情を話す。

「……家を出てきたんです。私は、あの家では暮らせないから。あの家は、私には狭いから」

「え~!? せっかく住む家があるのに、そこからでてきちゃったの?!」

「……あなたには、関係ないでしょう」

 神経を逆なでするような言葉に、私は思わず突き放すように冷たい言葉を吐いた。

「……そっか、人間にもいろいろあるもんね。ごめんね、変なこと言って」

 目の前の女性は、肩をすくめて、少し悲しそうな瞳を浮かべた。そんな女性に、私は罪悪感を覚えて、話題を変えることにした。自分に都合のいいように。

「あなたは、いったい何者なのですか? 名前を、教えていただきたいです」

「私が何者か? う~ん、私自身もよくわかっていないし……それに私の名前ね~、みんなに聞かれることなんだけど、どう答えたものかな」

 女性は、しばらく思案した後で、結局思いつかなかったのか、頭を振って告げる。

「う~ん。好きなように呼んでくれていいよ」

 私はその時、一つの単語を思いついていた。地面に倒れ伏し、空腹で死にかけていた私を救ってくれたこの方にぴったりの言葉を。

「……かみさま」

「え?」

 真っ白い女性、改め私の神様はきょとんとした表情を浮かべて私を見つめる。この世の造形物とは思えないほど美しいその顔はまさに神様にふさわしいものだといえた。

「神様って、呼んでもいいでしょうか」

「やめて」

 しかし、私の問いかけに帰ってきた言葉は、拒絶。先ほどまでの笑顔が嘘のように、神様は暗い表情を浮かべた。

「私は神様じゃない。私は……」

 そこで、神様はハッとしたように顔を上げて、下手な作り笑いを浮かべた。

「あ、ごめんなさいね! 好きに呼んでって言ったのに! そうだ! 私のことは、イミゴって呼んでくれたらいいよ!」

「イミゴ……?」

「うん! 昔そう呼ばれていたんだ! 神様よりはそっちのほうがぴったりだと思うから!」

 イミゴ……忌子。彼女は、もしかしてその言葉の意味を知らないのではないか。その忌を知っていたのなら、こんな風に名乗ることはないのではないか。

「ねえ、あなたはこれからどうするの?」

 神様は、私に向き直ってそう問いかけた。当惑していた私は、ハッとして神様を見つめ返す。

「わた、しは……えっと」

「……行く当てがないなら、いっしょにこない?」

 神様は、行き詰った私の言葉を聞いて、まっすぐとした顔で右手を差し出してきた。

「……よろしいのですか?」

 神様は、静かに頷く。

 私は、その手を取って、立ち上がる。立ち上がってみてみると、神様は私よりも一回り小さい、五尺と一寸ほどの大きさだった。

 握った手は、生きているとは思えないほど冷たいのに、不思議と温かみを感じる。

 神様はにっこりと笑うと、私の手を握って歩き出した。

「どこへ行くのですか?」

「う~ん、別に行く場所があるわけではないんだけれど……そうだなぁ。ここのオリをなんとかしないと、メドモがでてきちゃうからなぁ。……そうだ!」

 私の手を握って前を歩いていた神様はいたずらな笑みを浮かべながら私の方を振り返り、思ってもみないことを言い出した。

「ねえ、『奇跡』に興味はある?」


 §


 白衣を着た女性は椅子の背もたれに体を預けている間、なぜだか昔のことを思い出していた。

 彼女は眠らない。魔法化が中途半端に進んだ身体は、人間という生物を逸脱し、睡眠、食事、などを不要としていた。

 いや、摂ることができないと、そう表すべきであろうか。

 しかしながら彼女は、瞳を閉じ、瞼の裏に追憶を幻視していた。それはまるで、夢を見るかのように。彼女の先達たる小さな獣すら見ることのない、夢を見るかのように。

 白い部屋には、彼女以外の存在はない。つい先日までせわしなく床を這いずっていたメドモは、より強大なメドモを生み出すためのリソースを節約するためすでに処分されていた。

 机の上には、いくつもの研究成果が書類として散乱している。オリとはなにか、メドモとは、そして、『奇跡』改め『魔法』とはなんなのか。

 彼女は、オリとメドモについては彼女自身の魔法、その残滓によって解き明かすことができていた。近年この町はオリにあふれており、メドモは腐るほど湧いて出てくる。

 メドモを解明すれば、その量や大きさ、能力を制御することは容易だった。あるいは、彼女が与えられた魔法が違うものであったならば、こんなにもうまくことが運ぶことはなかったかもしれない。最も、与えられた魔法が違うものであったならば、とうの昔に杖と化していたのであろうが。

 彼女は、魔法と魔法化については未だ解明ができていない。得られるサンプルが限られるからだ。

 それならば、最高のサンプル(・・・・・・・)を手に入れてしまえばいい。

 彼女は目を開き、立ち上がる。

 時刻は十五時。初冬の日差しは傾きはじめ、もうすぐ逢魔が時がやってくる。

 彼女の神を真の姿へ戻すための聖戦。その開戦はまもなく。

 初冬の夕暮れ。気の短い逢魔が時。

 私の神様を取り戻す。

 慢心はしない。恐怖もしない。ただ、遂行する。

 次回、浮遊嬢は落ちぶれない、第42話。

『彼女は手段を選ばない』

 お楽しみに。

 どうして連れて行ってくれなかったのですか。

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