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浮遊嬢は落ちぶれない  作者: 七色
第六章 幕間の日々は色褪せない
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第25話 追憶の日々は滲まない

 人間はなんと愚かなのでしょうか。

 未だ六歳の少女でしかないわたくしによりも知能が高いと言える人間が、この地球上に何人存在するのでしょうか。

 わたくしの両親に当たる方は、中流階級なりにお仕事に励み、二人の子供を立派に育て上げることに全力を注いでいらっしゃいます。ただ、両親のお二人はどう贔屓目に見ても凡人の域をでません。

 どうしてわたくしはお二人の間から生まれてしまったのでしょうか。わたくしがもっと愚鈍に生まれていれば、わたくしの両親がもっと優秀であれば、この出生は合理的だと考えられるのですが。

 お二人の仕事は簡単な改良で効率が大幅に改善し、業績はみるみるうちに伸びていきました。わたくしがすこしお力添えしたならば、お二人の人生は目に見えて好転していったのです。

 あぁ。しかしながら。

 わたくしが両親よりも優れていたせいで、愚鈍でなかったせいで、わたくしは人間としては扱われなかったのです。

 ”神童”・”天才”として、ほかの方々とは一線を画する存在として。わたくしの人生は運命づけられてしまったのです。

 

 その日もわたくしは、この世界を退屈に思っていました。

 日の当たる窓辺で、日課になっていた読書をしていたのです。分厚い小説を一文字一文字、丁寧に読み解き、この世界にない空想を享受することは、毎日の楽しみとなっていたのです。

 そんな時、わたくしの姉に当たる人物――浮世ゆうさまがわたくしにけたたましく……失礼。元気いっぱいに話しかけてきました。

「かいちゃんかいちゃん! いっしょにおでかけしない!?」

 青くて小さい、がま口の財布をもった少女は、満面の笑みでわたくしを誘います。

 つい先日、お母さまがお姉さまにおこづかいをお渡ししているところを目撃していたわたくしは、お姉さまの言葉が、なにかお買い物に連れて行こうという意図であることを瞬時に察することができました。

 ただ、わたくしとしては小説を読んでいたかったので、なんとか言いくるめないかと考えました。

「お姉さま。本日はお日柄……お天気もよく、絶好のお出かけ日和だとは思うのですが、こうして窓辺で日向ぼっこをするのも心地よいですよ」

 わたくしの言葉にぶんぶんうなづくお姉さまは笑顔でおっしゃいました。

「うんうん! だからね! いっしょにおでかけしようよ!!」

 ……これはてこでも動かない、というやつですね。わたくしは嘆息を漏らし、薄緑色の栞を挟んで小説を閉じました。

「わかりました。では、おでかけの準備をいたしますので、少々お待ちいただけますでしょうか」

「はーい! はやくじゅんびしてね!」

 なにが彼女をそうまでして突き動かすのでしょうか。わたくしは水色のリボンが特徴的な小さな麦わら帽子をかぶり、白いワンピースに着替えました。室内は空調の影響で快適な湿度、温度に保たれておりますが、現在は八月の半ば。外はうだるような暑さです。

 わたくしは、お母さまに水筒をご準備いただくようにお願いいたしました。

「お母さま。お姉さまと外で遊びに行ってまいりますので、水筒をご準備いただけますでしょうか」

「あら、ゆうちゃんとお外で遊ぶの? お姉ちゃんと一緒とはいえ、気を付けてらっしゃいね」

 お母さまが水筒の準備をなさっている間に、わたくしは日焼け止めを準備することにいたしました。

 以前、お母さまが使用しているところを知っていたため、わたくしは日焼け止めをリビングまでもっていき、お姉さまにも塗っていただくよう言います。

「お姉さま。お外はとても日差しが強いですわ。お姉さまも一緒に日焼け止めをお塗になりませんか?」

「え!? たしかにそうかも! かいちゃんありがとう!」

 いつものように、ほめていただきました。わたくしは、当然のことをするだけで、ほかの方々から褒めていただけます。もはや、そのような言葉に意味など感じなくなっていました。

「かいちゃ~ん! ゆうちゃ~ん! お茶の用意できたわよ~!」

 わたくしたちが一緒になって日焼け止めを塗っていると、お母さまがお茶を持ってきてくださいました。

 お母さまは、わたくしたちにお茶を持たせると、そっと頭をなでました。

「気を付けてね。なにかあったら、すぐ帰ってくるのよ」

「ご心配なさらないでください。あまり遠くには行きませんから」

「おねえちゃんがついてるからね! だいじょうぶだよ!」

 わたくし達がお母さまに告げると、お母さまはにっこりと微笑みました。

「今日のお夕飯はクリームシチューよ。楽しみにしておいてね」

 お母さまのお言葉に、お姉さまはわーい! と無邪気に喜びました。わたくしたちは、二人でおでかけへと出発いたしました。


「かいちゃん! おててをつないでいこうね!」

 お外へでると、お姉さまはそう言ってわたくしの手をつないできました。わたくしははぐれるリスクを理解しているので、手をつながなくてもお姉さまから離れることはないのですが、ここは素直に従っておくことにします。お姉さまがどこかに行ってしまっては困りますから。

「ええ。では参りましょうか。本日はどこへ行くのですか?」

「よくぞきいてくれました! かいちゃん! きょうはね、すーぱーにいきます!」

 わたくしの手を握ったお姉さまは高らかに宣言しました。スーパーはわたくしたちの自宅から一キロほど距離があります。幼いわたくしたちにはあまりにも遠い場所だと考えました。

「お姉さま、スーパーで何をご購入なさるつもりなのですか?」

 わたくしが尋ねると、お姉さまは空いている左手を顎に当てて考え始めました。

「うーんとね、う~ん……そうだ! かいちゃんがほしいもの買ってあげる!」

 まあ、予想通りではあるのですが、お姉さまはただおこづかいを使ってみたいだけで、特に買うものを決めていなかったようです。それならば、わたくしが適当なものを提案して、もう少し近い距離の場所へと誘導できないかと考えました。

「そうですね。わたくしは……チョコレートが食べたいです」

 わたくしの言葉にお姉さまはにっこりと笑顔になり、わたくしの左手をぎゅっと握りしめました。

「ちょこれーと! かいちゃんあまいものすきなの?!」

 にこにこと無邪気に笑いながら、大股で歩くお姉さま。わたくしは彼女の歩みについていきながら、目的地の誘導を試みます。

「ええ、甘いものを食べると考えが明瞭になりますから。そういえば、チョコレートならばスーパーでなくとも買うことができるのですが、目的地はスーパーのままなのですか?」

 お姉さまは目を輝かせ、頷きました。

「たしかに! すーぱーじゃなくてもいいじゃん! かいちゃんあたまいい!」

 わたくしはにぱぁっと笑顔を張り付け、お姉さまにさらなる提案をします。

「チョコレートを買うならば、コンビニでもいいのではないでしょうか。すこし下ったところにあるコンビニならば、スーパーよりも近い距離にありますよ。スーパーではなく、コンビニに向かいませんか?」

「かいちゃんすごい! それじゃあこんびににいこっか!」

 わたくしとお姉さまは三百メートルほどの距離にあるコンビニに向かって歩き始めました。

 お姉さまは身長が百二十五センチあるのに対してわたくしは百十五センチ。すこしだけ歩幅が違うのですが、お姉さまはなにも考えずずかずかと歩いていきます。わたくしは歩き方を工夫して、お姉さまに遅れないようついていきます。

 本当にお出かけ日和の陽気です。暖かく、それでいて最近の低気圧の影響で涼しい風が吹いており、とても過ごしやすいのです。

 二百メートルほど進んだ時でしょうか。コンビニが前方に見える坂を下っている時、後方から風を裂くような音が聞こえました。何やら車輪が回転するような音が聞こえますし、歩道を自転車が走ってきているようです。

 まったく。自転車による歩道の走行は禁止されていますのに。嘆息を吐きながら、わたくしは歩道の脇に

「かいちゃん! あぶない!!」

 ……?

 ……!

 ……!!!!!!

 わたくしは、気が付いたらお姉さまに抱き寄せられていました。

 ああ、なんだか甘い香りがします。見上げたお姉さまの瞳は煌めいており、その瞳はこの世の不条理に立ち向かう正義の味方のようでした。

「かいちゃん、けがはない?」

 自転車が通り抜けたあと、お姉さまはこの世のものとは思えない、美しい声でわたくしの安否を確認しました。

 わたくしは自転車が来ていることがわかっており、お姉さまに抱き寄せられずとも自転車を避けることができたのです。

 それなのに。

「どうして……?」

「え?」

「どうして、わたくしを、助けようとしてくれたのですか?」

 わたくしの問いかけに、きょとんとした顔をするお姉さま。こんな顔を見ることは初めてではないのに。今は胸がどきどきして仕方がありません。

「あたりまえでしょ? だって、おねえちゃんなんだから」

 そんなあたりまえのことですら頭から抜け落ちるほどにわたくしの心は揺れ動いてしまって、真っ白な脳みそを必死に回してさらに問いかけました。

「どうして、どうしてですか? わたくしはあなたよりも頭がいい。それにきっと運動神経だって優れています。あなたよりもきっと優れている人間です。お父様によればわたくしは天才、お母さまによればわたくしは神童とのことです。それに比べてあなたはただの凡人。わたくしよりも両親に近くて、わたくしよりもよっぽどあの家を生きるのにふさわしい。それなのに。どうしてわたくしのような異物をたすけてくださったのですか?!」

「かんけいないよ。そんなの」

 不思議そうな顔をしながら、お姉さまはおっしゃいました。その肌は白く透き通り、黒く短い髪は絹のように滑らかで、風に揺られるその繊維ひとつひとつが陽光を反射してキラキラと輝いています。

「わたしはかいちゃんのおねえちゃんだから。おねえちゃんっていうのは、いもうとのことがだいすきなものなんだよ」

 ドクン。ドクン。ドクン。

 早鐘のように打つ心臓がうるさくって、もっともっとお姉さまの声を、吐息を、心音を感じていたいのに。こんなことなら心臓なんて止まってしまえばいいのに。

 わたくしを離して、先ほどと同じように右手でわたくしの左手を握るお姉さま。わたくしはお姉さまの右手を先ほどよりも強い力で握りしめ、決して離さないようにしました。

 ああ。わたくしは悪い子です。こんなこと考えちゃダメなのに。今までに感じたことのない独占欲が溢れ出てきて止まりません。

 この方が、欲しい。わたくしのものだけにしたい。わたくしのことだけ考えてほしい。

 それからのことはあまり覚えていません。

 さしておいしくもない、かわいらしいヒーローのキャラクターチョコレートを二人で買って、ずっとずっと一緒にいたいから、遠回りして帰りました。

 途中、迷子になったと考えてしまったお姉さまが涙をこらえながらわたくしを励ましてくださったことが、とてもとてもうれしくて、お姉さまが愛おしくってたまらなかったのです。

 暗くなる前に、お姉さまと一緒に帰ったのですが、お姉さまを抱きしめるお母さまに嫉妬してしまいました。けれど、けれど。

 今まで無彩色だった世界が、お姉さまという存在一つで、一気に彩づいていくことを感じていたのです。

 かい、なんか私のほうを見つめてぼーっとしてる……?

 っていうか、なんで私妹に勉強教わってるんだろ……

 まあ毎日夜になったらお話しするって言ったのは私だし明日は小テストがあるからいいんだけどさ。

 次回、浮遊嬢は落ちぶれない、第26話!

『行間の日々はくすまない』

 お楽しみに!

 だめ、だめだよ。そんなの。

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