第1話 飛び降り少女は死にたくない
私は、屋上に立っていた。どこにでもある公立高校。偏差値もぎりぎり50いくかいかないかくらい。地方の公立高校といえばこんなものだし、隣町にだって同じような高校があった気がする。今やどうでもいいことだが。
蝉の声は鳴りを潜め、空気がひんやりとしてきている。空気はひどく乾燥していて、深く吸い込めば喉や肺を痛めてしまうのではないだろうか。
吹き付ける風は少し冷たくて、長袖を着ていてよかった、なんてどこか他人事のように考えていた。
フェンスの向こう、振り返ると家への帰り道。眼前に広がるのは土へと還る道。
高い場所ってやっぱりなんだか怖いな。私は目を閉じて、できるだけ恐怖と向き合わないことにした。
今から空を飛ぼうというのに、驚くほど心は澄んでいて、つらつらと思いを巡らせられる。
「ちょっと、そこのお嬢さん」
私に友達はいない。止めてくれる人はいないんだ。底知れない孤独感は、いつものように私の心に訪れる。でも、こんな思いとも、もうすぐお別れできる。そう思えば、いつだってそばにいてくれた孤独感が、名残惜しくなるなんてことは百歩譲ってもありはしないけど。
「ねえ、ねえってば」
止めてくれる人がいない。そこまで思い至って、この期に及んで誰かに止めてもらいたがっていることに気がついた。くだらない本能は生にしがみつこうとしているらしくって、そんな生存本能に嫌気がさす。でも、こんな生存本能のおかげで、今まで苦しみながら生き抜いてこれたのだろう。憎たらしいったらありゃしないね。
「ちょっと、耳聞こえないの?」
かわいらしい幻聴が聞こえる。どうやら私の心は相当に病んでしまっているらしい。でないと、こんな幻想的な声は聞こえないだろう。最期に聞く声が、大嫌いな人たちの声ではなかったのは救いだろうか。幻聴という妄想の産物を、最期に聞く声とするかどうかは議論の余地があるかもしれないが。
ため息を一つついて、右足を一歩、空中へ踏みだ
「えい!」
「!?」
いきなりおでこの辺りに柔らかな感触が伝わり、思わず目を見開いてフェンスを強く握る。びっくりした、倒れるかと思った!
「あ、気が付いた? 初めまして。ボクの名前はダモ! いきなりで悪いけど、君、魔法少女になってみない?」
「え……魔法少女?」
何を言ってるんだこの謎の動物は。なぜ目の前にいるんだ。いつからいたんだ。なぜ気付かなかったんだ。なぜ空を飛んでいるんだ。
茶色い犬のような、空中に浮かぶ小さな獣はその小さな喉から弦楽器のような声を鳴らした。
「あ~……ごめんごめん。いきなりそんなこと言われても困るよね。まずは君の名前を教えてくれるかな?」
私の名前? っていうか、この子……の名前はダモ、って言ってたっけ。まあ、聞かれたからには名前、答えた方がいい……のかなぁ?
私は動揺を隠して、目の前の謎の生物に名前を答えてみる。異常な状況に適応するには、きっと深いことは考えない方がいいから。
「えーと……私の名前は浮世ゆう。魔法少女になる気はないよ。ほっておいて」
「そっか、いきなりごめんね。ゆうちゃん。じゃあ自殺をするのをやめてくれるかな?」
私は動揺して小さく息をのんだ。見透かしたような言葉に内心イラっとする。自殺するな、言葉にするだけなら誰にだってできる。今この瞬間に自殺をしようとしている私にすら、赤の他人に対して言うことは容易い。
「……それをやめる気もない。私、もう嫌になっちゃったの」
「そんなこと言われても困るよ! 君が今死んじゃったら大勢の人が傷つくんだ!」
続けて、ダモと名乗った手のりサイズの謎生物は、「近くにあの子たちもいないし……」と、小さくもらした。
何が大勢の人が傷つく、だ。私のこと、なんにも知らないくせに。目の前の謎の生物だって、ほかの人間と変わらない。私のことを腫物扱いして、ちゃんと見ようともしないで、ダメな子の烙印を押して。そうして憔悴した私にかけるきれいごとはさぞ気持ちがいいことだろう。
「私が死んで傷つく人なんていない。お母さんもお父さんも、私に興味なんてないし、今まで友達ができたこともない」
小さな茶色い獣は、少し困った顔になった。私にかかわろうとした人は、みんながみんな、こんな風に困った顔をして離れていく。この子もおんなじだ。私がいい子じゃないから、優秀な子じゃないから、自殺なんてしようとするダメな子だから、めんどくさいから見なかったことにするんだろう。いつものことだ。でも、それももうおしまい。
「う~んそういう傷つくっていう意味じゃないんだけど……でも、私は傷つくよ」
これまでとは打って変わって真剣な面持ちでダモは言った。まるで本心から私のことを心配するような、私の行動を悲しんでくれているかのように感じた。
ヴァイオリンのようなキレイな声は、まるでおとぎ話にでてくるおヒメ様を思わせるものだった。いや、世界を救うメガミ様だろうか。
「今この辺りには、すごい量のオリが満ちてる。君自身、心が傷ついていて、オリをたくさん吸収している」
「な、なんのはなし?」
どうやらどんなにキレイな声でも、とんちんかんなことを言われたら混乱してしまうようで、私の頭上には無数の疑問符が浮かんでいる。さっきまでの心の揺れも、混乱にかき消されてしまった。
「君が死ぬと、オリをたくさん吸収した君の魂がこのあたりのオリをさらに吸収して、巨大な精神怪物になってしまうんだ」
意味が分からない。こいつは何を言っているんだ? やっぱり私の傷ついた心が見せている幻覚なのかな。それにしては、やけに小難しい話をしてきて、いちいち話を聞くのが面倒くさい。手で払ったらぱっと消えてくれないだろうか。
「混乱しているのはわかる。それでも、君の死が、バケモノを作り出してしまって、それがこのあたりの人みんなを傷つけるんだ。だから……」
瞬間、巨大な黒い影が下から飛び出してきた。
「きゃあ!」
風圧でよろめきそうな体を、フェンスを強く掴むことで支えた。
黒い影の正体は、百足と蛇が合わさったような黒い怪物。明らかに異常なバケモノは無数に生える足をうねうねと動かし、生まれ堕ちた世界の感触を確かめているかのようだ。
三階建ての校舎よりも長く、大きい異形はこちらを一瞥すると、大きな口を開けて襲い掛かってきた。
「! メドモ?! もう実体化したのか! しかも、大型?!」
茶色い犬のぬいぐるみのような謎生物はそう叫ぶと、小さい体で私に突進してくる。そのとき、なぜか掴んでいたフェンスの感覚がなくなった。
そのまま、フェンスのあった方へ倒れこみ、しりもちをついた。痛みに目を閉じた直後、さっきまで立っていたフェンスの向こう側を黒い怪物が破壊する。もし、あのままフェンスの向こう側にいれば、ひとたまりもなかっただろう。
「大丈夫?! けがはない? 早く逃げるよ!」
そう促されるまま立ち上がり、屋上の入り口へと走り出す。もつれそうな足を必死に動かす。転べばひとたまりもない。なんとかあともうすこしで屋内へ入ることができる! そう思った刹那、無情にもバケモノが私たちのもとへと突っ込んできた。
運よく直撃を避けられたものの、衝撃で私は派手に吹っ飛んだ。背中に押し付けられるかのようなフェンスの感触に、もう逃げ場がないことを自覚する。
「うぅ……」
足が痛くて立ち上がれない。絶体絶命だ。今日死んじゃうのかな。数メートル先で黒い異形が頭を持ち上げる。今襲われたら今度こそ一巻の終わりだ。
「ゆうちゃん。お願い。魔法少女になって」
折れかけた心に謎生物は語り掛けてくる。ひどく真剣だなぁ。もうどうやったって無駄なのに。かわいらしい謎の生物は、胸中を満たす絶望を、それでもキレイな声で溶かそうとしてくる。
「君が魔法少女になってくれないと、君は、このあたりの人はみんなこのバケモノにやられちゃうんだ」
「そんなこと、いったって……」
謎生物の向こうで、怪物はこちらをにらみつけている。もう次の瞬間には食べられているかもしれない。ここでなにもしなければ、十中八九、私もダモもあの世行きなんだろうな。
「もう時間がない。君じゃないと、だめなんだ」「……分かった。なるよ。魔法少女」
襲い掛かってきた黒い怪物を眺めながらうわごとのようにつぶやく。死にたくない。あんなおかしな怪物に食べられて人生が終わるなんて絶対嫌だ。
「……ありがとう。よろしくね。浮遊嬢のゆうちゃん」
迫りくる怪物を背にして、ダモは私のおでこに触れる。柔らかい肉球の感触と暖かさを感じた次の瞬間、私はダモとつながった。
ようやく死ねると思ってたのに、変な生き物はでてくるし、バケモノは出てくるし、今日はなんなの?!
それに、魔法少女って……でも、こんなことになっちゃったからには、やるしかないよね。
理想の私が、宙を舞う!
次回、浮遊嬢は落ちぶれない、第2話!
『浮遊嬢は落ちぶれない』
お楽しみに!
変わることは、案外悪いことじゃないんだよ。




