第11話 家族の時間は続かない
「ゆうはいつになったら帰ってくるんだ!」
お父さまの怒声が我が家を震わせます。お姉さまは二日前に門限を破ったばかりですから、お父さまのご機嫌も悪くなるというものです。ただ、お父様が怒っていらっしゃる理由は、お姉さまのことが心配だから、という部分が大きいことはここで述べておきたく存じます。
そんなお父さまを懸命に宥めようとなさっているお母さま。先ほどまで、四人分のごちそうを作っていらっしゃいましたが、現在は今にも泣きそうなお顔でお父さまの前に立ち、落ち着かせようと躍起になっていらっしゃいます。ただ、お母さま自身も気が気でないご様子ですので、その説得は大きな意味を持ちえないようです。
お姉さまは、わたくしにメッセージをくださいました。内容は迷子を届けるので帰りが遅くなるとのこと。お父さまとお母さまには、遅くなるということだけ伝え、現在に至ります。正直言って、迷子なんてもののためにお姉さまのお帰りが遅くなること、わたくしも思うところがございますが……今はただ、お姉さまが無事に帰ってくることを祈るばかりです。
しかし、この状態のお父さまの下へお姉さまが帰ってきたら、とてつもない雷が我が家を襲う、もしくはお父さまがお姉さまのことを泣いて抱きしめると考えられます。わたくしとしては、お父さまの愛がお姉さまに伝わることを避けたいので、一つの作戦を実行することにいたしました。
「お父さま。今お姉さまに怒っても仕方がありませんわ。先にお夕飯をいただきませんか?」
「しかしあの子がどこで何をしているのかもわからないのに……」
お父さまの額には汗が浮かんでおり、お姉さまのことを思うと気が気でない様です。このご様子では、今にもお姉さまを探しに飛び出してしまいそうな雰囲気を感じます。
わたくしは強引にお話しを変え、作戦の実行を試みます。わたくしは手をぽん、と叩いてみせました。
「そうだ。先日お父さまはご商談が大成功なされたそうですね?」
「え? あ、ああ……たしかに、先日の商談はうまくいったが……」
お父さまは聡明でございますから、わたくしの強引な話題の変更にもしっかりと耳を傾け、お話しを聞いてくださいます。本当にお優しい、扱いやすい方。
「お母さま、たしか我が家には年代物のワインがございましたね?」
「え、ええ。たしかにあるけれど、それがどうしたの?」
お父さまとお母さまはとてもお酒に弱いのです。ですので、普段は全くと言っていいほどお酒を飲まないのですが、相応の理由があれば、お祝いとして貴重な品を嗜んでくださいます。
わたくしはにっこりと笑みを浮かべ、お父さまとお母さまに一つの提案をします。
「ご商談の大成功を祝って、本日はワインを飲まれませんか? 本日はビーフシチューですし、お食事にもとっても合うとおもうんです!」
「ゆ、ゆうが帰ってきていないのにそんなこと……」
「まあまあ落ち着いてください、お父さま。お姉さまは遅くなるとわざわざご連絡をくださったのですし、すぐに帰ってくるとは思えませんわ。もしかしたらお外でご夕飯を済ませてくるかも。それでしたら、わたくしたちもお夕飯を食べておいた方が、お姉さまに気を遣わせないのではないでしょうか?」
「し、しかし……」
お父さまはなおも食い下がるご様子。よっぽどお姉さまをお大事に思っていらっしゃるのですね。お姉さまを大事に思ってこそのご教育であると考えると、滑稽で笑みがこぼれてしまいそうになります。
「お父さま」
次の言葉を言う前に一息入れ、真剣な眼差しを作り上げてお父さまを見上げます。お父さまは困惑されているご様子。わたくしに見つめられ、生唾をごくりと飲み込んだ音が聞こえました。
「わたくしが間違ったことが一度としてありましたでしょうか?」
「……たしかに、そう、だな」
わたくしの言葉をよくお考えになり、お父さまは納得されたご様子。お母さまはお父さまに従うスタンスをお取りになるので、これで説得は完了とみてもよろしいでしょう。
「さあ、お母さま。お食事のご用意をしましょう? わたくしもお手伝いいたしますわ」
「え、ええ。そうね。帰ってこない子は放っておいてお夕飯にしましょう」
そうしてわたくしはお夕飯の準備を手早く済ませ、お父さまとお母さまと一緒にビーフシチューをいただきました。お姉さまと一緒にとれない食事は味気ないものではございましたが、お姉さまとお話しするためにお二人にお酒を飲ませるのは少し楽しかったです。
わたくしの想定通り、お父さまとお母さまは顔を赤くして、早々にお眠りになられました。
これで久しぶりにお姉さまとお話ができます。
§
「ひとはー! そろそろ帰る時間だぞー!」
パパの声が聞こえる。私は公園の砂場で遊んでいた。
目の前のすなやまからふりかえると、パパが手をふっているのが見える。ぎゃっこうでよくお顔が見えないけど、パパと、手をつないでるママはすっごくしあわせそう。
わたしのおててはすなまみれで、このまえはこのままママにだきついたら、おててのすなをはらってからにしてって言われたんだっけ。
それにしても、パパとママにひさしぶりにあえてすっごくうれしいな。すなばでおててをぱっぱってして、すなをはらった。
……?
パパとママに会うのが、久しぶり?
呼吸が浅くなる。私は急いで振り返った。
そこには、なにもいなかった。
なにも。なんにも。
「パパ……? ママ……?」
私は気が付いたら走り出していた。大人の体で、高いヒールを履いていてものすごく走りづらい。
走っているうちに目線がどんどん低くなっていく。気が付いたら靴はパパが買ってくれたスニーカーになっていた。
目線が低くなる。いつまでたっても大人になれない私は、真っ赤な夕焼けに向かって走り続ける。
影が見えた。大人二人分の影。手をつないでいて、私に背を向けて歩いている。
「パパ! ママ!」
目線が低い。いつまでたっても大人になれない私は、いつまでたっても二人に追いつけない。
それでも。私は走り続ける。足を止めることはできないから。
二人が足を止める。やっと、やっと会えた。足元にはあの日の砂場。いつの間にか、あの公園に戻ってきていた。
「……ぱぱ、まま!」
なみだがあふれだしてくる。ぎゃっこうとなみだでかげがにじむ。
わたしはゆっくり、ゆっくりあるきだして、ふたりのもとへちかづいていく。
そのとき、ふたりのうしろから、まっくろいかげがあらわれた。
「……パパ! ママ!」
二人が、大きな口に飲み込まれた。人間を取り込んでより大きく、より黒く、凶悪に変わっていくメドモににらまれて、私は息ができなくなる。
「あ、あぁ……ああああああああああああ!!!」
私は脇目も振らず逃げ出した。走って、走って、走り続けて。でも、あんなバケモノから逃げられるわけがなかったんだ。
建物と建物の間、路地裏、どこに逃げても、黒いいかいぶつはまわりをこわしながら追ってきていた。
走り疲れて、追いつかれて。もうだめだった。あの日私は消えゆく命だった。
けれど、あの暗黒の怪物は一つの影に切り裂かれた。
鈍色の影。私の憧れ。
私は。私は、早く大人になりたい。だれにもすがらず、一人でも生きていけるようになりたい。
あんなかっこいいひとに、わたしはなりたい。
なんであんなゆめ、みちゃったんだろう。
家族の話、聞いたからかな。
……ん? なんだろう、この匂い。
次回、浮遊嬢は落ちぶれない、第12話。
『流れる涙はとめどない』
お楽しみに。
私のそばにいてくれてありがとう。




