22章・勇者が現れ、エルフは揺れる−1
アルセリア王国南部には大森林と呼ばれる場所がある。
中に入ってもいつの間にか入った場所に返される、迷う事すら許されない森であり、宗絃が聞けば妖精やムーンがいた山を囲う森を思い出すだろう。
中は人間社会の市場に出回れば高値で取引される貴重な動植物の宝庫であるが普通の人間ではそもそも出入りすらできない領域であり、そこを抜けた先の半島には魔族に溢れ人間が生活できる環境ではない。
それと同時に大森林の中には多数のエルフの集落が存在している。
森と共に生きる種族を自負するエルフはそこで自給自足の生活を営み、外界と接触する事はほとんどなく、ごく一部のエルフにとっての変わり者が森を出て人間社会で生活するのである。
大森林と人間の国との境界線を引いた時、その九割がアルセリア王国との線になるのだが、エルフ達が人間界に出る時はほぼ十割がもう一つの境界に接する国、ゼルファード帝国を目指す。
ゼルファード帝国が地形的ではない意味で容易に国境を越えられる事もそうだが、それ以上にアルセリア王国が閉鎖的であるためだ。
皇帝の後退程度とはいえ自ら情報を流し、求められれば可能な限り交換もする帝国と、大森林で採取される動植物が必要な時だけ遣いをよこすものの最低限しか接しようとしない王国ではエルフ側からの印象も接触の難易度も段違いなのである。
今回も王国の使者来訪という報を受けたエルフ達によぎったのは、今度はどんな希少素材を求めているのだろうという疑問だった。
だが、アルセリアからの要求は彼らの予想を大きく裏切った。
「魔王に対抗する軍備を整えるために資源をよこせ、道を開けよ、か……。」
少し前に来た使者の要求を反芻したのはエルフの部族長会議を束ねるババである。
今はまさにその部族長会議が行われている最中なのだ。
議題は先日断ったアルセリアの要請について再び使者が訪れ、今度は勇者を名乗った事である。
見た目は三十前後の美しい女性だが、他の老いて見えるどのエルフよりも長齢であり、実年齢は自分でも数えるのを止めたために分からないという。
当然会議でも最年長であり、全ての部族長が彼女に敬意を払う。
口を開いた男も見た目だけなら彼女よりも年上だったが当然のように敬語だった。
「前回はババ様のおっしゃる通り『魔王誕生の確証がない』と断りましたが、よもや勇者が直々に現れるとは思いませんでした。ですが、どの部族の老翁も魔王の誕生は感じておりませぬ。この矛盾はどうしたものでしょう?」
彼の言葉に他の参加者も頷く。
アルセリアのもたらした情報は不確かだが無視はできない内容だったし、使節の誰もがその情報を信じて疑っていなかった。
その姿故にエルフ達も動揺し、森の精霊の声に耳を傾けたのだが、誰一人そんな情報を得る事はできなかった。
魔人が住む領域は大森林のすぐ南側であり、大森林を南下するのが最短ルートであり、大森林を大きく西へ迂回するルートとの差は五日をゆうに超える。
魔王討伐のためならばエルフの助けを得て大森林を抜けたいと考えるのは理解できたが、王国が主張する魔王に関する情報の不確かさがエルフ達を迷わせる全ての根源だった。
「……応じぬ。」
一言を発してババは目を開いた。
「勇者を名乗る者達にはこちらでも魔王について調べておる最中であると伝えよ。魔王の存在が確認でき次第、希求に応えるとな。」
「良いのでしょうか?」
上がった疑問に反論の声は上がらなかった。
森にヒトを入れることを嫌うのは全てのエルフに共通することだが、魔王が現れ森にも被害が及ぶならばその選択は避けられない。避けてはいけない。
これまでの魔王が現れた時もヒトとの共闘を厭わず森を守り抜いてきた。
勇者の存在は同時に魔王の存在を証明している。
これまで一人ずつしか現れなかった勇者が複数いる事はイレギュラーだが、来訪した彼らを見たエルフの同胞は並々ならない魔力を感じたと言う。
勇者を見た者達から、
「少なくとも勇者は現れた。」
という情報が広まり始めた今、これまでと同様に王国の主張を退けるのが難しくなりつつあるのも事実である。
「此方の確認が取れるまでだ。」
ババの決定は変わらなかった。
「若い者から動揺が広がっておるのは分かっておる。が、確証のないままヒトを森に入れる訳にはいかぬ。」
王国には一度その通り回答するとして、勇者が実在すると動揺する者達をいかに抑えるかと部族長達が考えを巡らせ始めたが、ババは言葉を続けた。
「期間は半月。それを過ぎれば道は開ける。それ以外は受け入れん。」
「資源の話は一切受け入れないと?」
「そちらの条件は道を開けるという条件を通しやすくするためだろう。あわよくば、程度にしか考えておらぬはずだ。今回は最低限のみ受け入れる事としよう。」
反論する者は誰もおらず、王国との接触を担当している集落にこの決定が伝えられた。




