9章・帰還−1
教皇庁の襲撃事件は瞬く間に諸国会議に参加した各国へと広まった。
死者こそ出なかったが、開始前から強気に各国からの入国者を制限していたゾゾに対する反応は容易に想像できるものだった。
普段はどれほど強力な軍事力を有していても宗教国家であるゾゾには頭が上がらない国々が、ここぞとばかりに非難を浴びせたのだ。
当日の顛末を仔細に纏めあげ、帰国する要人達への警護を付けると共に使節も付けて謝罪をしたが、まるで効果は無かった。
何よりもゾゾが頭を抱えたのがゼルファード、アルセリアの両国である。
特にゼルファード帝国から会議に参加予定であったセルディスは事件の最中、危険を察知して現場から脱出しており、ただただ使節を送るしかなかった。
加えて帝国から公式に入国していたのは護衛を含めて二人のみ。
ゾゾといえどもそれ未満、つまりたった一人で帝国へ赴き、
「貴国からの参加者を安全に返すことができませんでした。」
と謝罪せねばならなかったのだ。
揃って頭を抱えたゾゾのトップ達は一人しか思い当たらず、今はゾゾの町にある教会の一つに勤めている男を呼び出したのだった。
誰もが震え上がる役割だが、白髪が混じりながらも綺麗に背筋の伸びたその神父は微笑みを絶やさないまま引き受け、帝国へと旅立った。
年配に見えた男は容易く帝都までの道のりを踏破し一週間後には間違いなくその情報を皇帝、元老院に届けたのだった。
怒号を覚悟していた男だったが、その場を包んだのは静寂だった。
何より意外だったのは最もショックを受けたように見えるのがヴォルミンだった事だ。
実父であるはずの皇帝その人は変わらない表情で男を見つめていた。
男の短くない人生経験が育てた直感は、皇帝は本当に動じていないと結論づけた。
ルギウスは声色も変えず男に確認した。
「で、マティアス殿。セルディスは逃げ仰せたんだな?」
「はい。目下捜索中ですが、恥ずかしながら状況は芳しくないようです。」
ルギウスの回答はさらにマティアスの予想を超えるものだった。
「良い事だな。」
「……はい?」
流石のマティアスも真顔を崩され、呆気に取られた表情を浮かべた。
「問題はその姫君か。」
ルギウスが視線を天井に向け考えにふけり始めた。
「陛下。」
ヴォルミンは声をかけたが、それ以上何を言えるわけでもなく言葉は途切れた。
だが、その不安は察したルギウスは答えを返した。
「捜索が上手くいかんのは上手く逃げたからだ。連れ去られたなら死ぬ気で痕跡を残したはずだからな。相手が相当の腕だった可能性もあるが……。」
ルギウスの言葉に納得したヴォルミンはすぐに平静を取り戻し、ルギウスの言葉を待った。
「護衛は『あの男』だ。」
にやりとしたルギウスにつられてヴォルミンにも余裕が生まれた。
「そうでしたな。」
交わされた笑みの意味が分からないままのマティアスを置いて会話は進む。
「ゾゾにに着いた日付を聞くに随分とのんびり向かったようだが、流石に帰りは遊ぶまい。」
「この状況で遊ばれては困ります。」
「ソウシと違って気軽に扱える相手ではないからな。」
「共にいる相手は関係ありません。襲撃の手から逃れて早々に遊んでは困るのです。」
「ハッハッハ。まぁまだ一週間ほどだろう?上手く隠れながらでも、もう二、三日はかかると見たな。」
「陛下。私も道すがら情報を集めておりましたが、男女どころか二人連れの旅人の目撃情報すら一切なく。」
マティアスの言葉にルギウスは興味深そうに、
「ほう。」
と声を漏らした。
セルディスが未だ帰らない以上何処かで追い抜いたはずだが、情報が一切無いのは想定外だった。
「そこまで見事に隠れ切るのは俺でも無理だ。何か良い手があるのか?町の衛兵の目すら掻い潜るのは容易ではないぞ?」
完全に人の目を断って移動するのは難しい。
人里を避ければ可能だが、土地勘のない国外で街道を外れては簡単には帰ってこれないだろう。
ルギウスを始め誰もが黙り込んだ部屋の扉が突然開いた。
「陛下!」
親衛隊の一人だった。
「騒がしい。来客中だぞ。」
咎めたヴォルミンだったが、入ってきた隊員が普段から冷静な男であることは承知しており、何かが起きたことは明白だった。
「は!申し訳ありません。」
その声で誰もが朗報であることを察した。
「殿下が、お帰りになられました。」




