第14話傲慢検問官の誤算:地獄のドライブと、牙をむく異世界の洗礼
『GAA』(Governmental Agricultural Agency)の阿由知支部の建物は中世ヨーロッパの砦にも、コンクリート製の近代ダムのようなにも見える堅牢なものであった。
その建物を出てほんの数分後。後部座席に座る検問官は、早くも尋常ではない体調不良と、後悔に襲われていた。
「っ……おぇっ、ぐっ……!」
強烈な乗り物酔いだ。
道路はすでに十分な舗装を失い、穴や崩落した箇所には地域住民が砂利や粘土、土を詰めて応急処置を施しているだけの悪路となっている。
その路を往く検問官を乗せた高級セダンは揺れに揺れた。悪路走行に慣れている古参の職員はオートクルージングをオフにして自ら右へ左へと激しくハンドルを切っている。まるで洗濯機に放り込まれたスニーカーのように、検問官は車内でのたうち回った。
着任の挨拶の折の往復や、他の地域への移動時は、古参職員が検問官が惰眠を貪る間にオートクルージングを使いつつも丁寧な運転を心がけてくれていたからこそ快適だったのだ。
しかし、現場を見ようともせず、人間を見ようともしていなかった男には、古参職員がこれまでどれほど自分に合わせた優しい運転をしてくれていたのかなど、理解できるはずもなかった。
それらをしっかり見ていれば、可能な限り早く車を走らせろ等と口が裂けても言わなかっただろう。
そして古参職員の運転が通常より少し荒く、指示以上に高速で車を走らせていることにも気づけたはずなのだが――。
ボロボロの雑巾のようになりながらも麓の集落にたどり着き、古参職員の介助を受けて何とか車外に降り立った検問官の周りを、鍬や鋤、ツルハシや金属バットを手に持った男たちが取り囲んだ。
自分は暴徒に襲われるのかと醜態を晒す検問官に、地元住民のまとめ役である老人、小木曽から落ち着いた声が掛かる。
「おや、あんたかね。悪いが今はかまっとる暇はないでね。そこでおとなしくしとりゃぁて」
「なっ……!」
検問官が顔をこの地方特産の地ダコを茹でたように紅潮させ、怒りの声を上げるより早く、若者の声が響いた。
「悪い! 取り逃がしたで。そっちに三羽、『角あり』が行ったでよぅ。よろしく頼むわ〜!」
「了解だて! 皆、気つけて駆除するでね」
「おーーっ!!」
あちこちから聞こえる打撃音や、住人たちの鬼気迫る怒号と緊迫した雰囲気に圧倒され言葉を失う検問官の目の前に、一羽の兎が飛び出してきた。
あまりの事に理解が追いつかず、一瞬動きを止める検問官だったが――。
「はっ? ウサギですか……。ふふ、まったく。大の大人が寄って集ってウサギ狩りですか。環境変化で国家存亡の危機だと言うのに、私の要請も聞かずに食肉欲しさの狩りとは、私のアポイントはどう扱われているのか……これだから地方の方々は……」
ふと下を見ると未だに自分の近くにいながらなぜか逃げ出さない兎がいる。
その小動物に優雅な笑顔で隠した自らの怒りをぶつけるべく、検問官は綺麗に伸びた蹴りを放った。都市内の学校で教わったサッカーのシュートのキックだ。革靴の割には綺麗なフォームで、これが授業ならそこそこの評価だろうと、冷めた目で麓の集落の人々は眺めていた。
自身で蹴りを放ちながら、兎が微動だにしない光景をようやく疑問に思う検問官。そして正面からでは気づかなかった、その兎の特徴にはたと気が付く。
兎の額から、黒く尖った十センチほどの突起物――角が生えていることに。
(なんだ、この生き物は……!?)
疑問は恐怖へと変わり、慌ててキックを止めようとするが、勢いよく振り抜かれた脚は簡単には止まらない。
ツッシャァァ――ッ!!
兎の様な小さな生き物に似合わない、野太い鳴き声をあげるそれ。その迫力に気圧され、検問官は無様に転げ回った。
だが、それが幸いした。本来検問官が立っていた位置を目掛けて、兎の様な生き物がとんでもない速度で突き進んでいったのだ。
ガンッ!! ベジャッ!!――
検問官が転げ落ちたことで、すかされる形になった突進は、検問官がいた後方に停まる黒塗りの高級セダンの横っ腹へと激突し、角が深く突き刺さった。
「よし」
言うが早いか、小木曽が角が車に突き刺さり身動きの取れない兎に鍬を突き立てる。
シャリン――
「ひっ……!」
その衝撃的な光景に、検問官は思わず小さく声を上げた。
兎の様な生き物は討伐時の血だけをあたりに残し、その体は淡い光の粒子となって消えた。
だがその跡には、兎の毛皮でくるまれた何かがコトリと残されていた。
「こりゃあラッキーだがね。ドロップ品の『ウサギ肉』だて。検問官さんは中々の幸運の持ち主だがねぇ」
小木曽の穏やかな言葉に、集落の人間は失笑する。
「立てるかね?」
小木曽が差し出した手を、検問官は反射的に払いのけ、「け、結構です!」と虚勢を張って立ち上がった。震えて笑いそうになる膝を必死に抑えながら、彼は小木曽に尋ねる。
「あの……あれは、一体何なんですか?」
視線を送るその先には遺骸は残ってはいない。ドロップ品を集落の若者と思わしき青年が拾っている。
「よくわからんけどよ、若い者に訊くと本やらゲームに出てくる『ホーンラビット』とか言う魔物にそっくりらしいわ。直訳すると『イッカクウサギ』が正しいのかね。わしら老人には呼びにくい名前だで、『角あり』と呼んどるがね」
「『一角兎』……マモノ――魔物なのですか?!ウソでしょう……?」
「今さら、そう言われても困るが。今日も電話で話せなんだか?それに何日も前から役所には報告したでよぅ。あれ以外にも色々な魔物が出るがね。そちらには情報は回っておらんかね?」
「……っ」
電話の時は正直、作物が入らない。量が増やせないとの回答に気持ちが言ってしまい、他のことは覚えていない。役所からそれらしき情報が上がっていたような気もする。だが、所詮は外の――こんな辺鄙な田舎の話だから自分には関係ないと、気にも留めていなかったのだ。
小木曽はそんなことだろうと百も承知だが
、さして気に止めた風もなく話を続けた。
「それにしても、よくここまでそんな高級セダンで来やぁしたなぁ。うん?あぁ、佐久間さんが運転しとりゃあしたかね。それならかなり飛ばして来られるでね、魔物が飛び出すより早く道を抜け出せるわなぁ」
車から降りてくる古参の職員の姿を見て、小木曽や周りの住人も納得したように頷く。
「小木曽さん。この辺の『角あり』はあらかた駆除し終えたで、一旦集会所に戻ろまいか」
「おお、わかった。ありがとね、ヤッちゃん。わしらは集会所に戻るけど、検問官さんはどうされるかね? こんなとこで立ち話をするよりは多少は安全だがね」
不安そうにあたりを窺って、検問官はスーツの汚れを払いながら答える。
「……そうですね。立ち話をするよりはその方が……。同行させてもらいます」
「佐久間さん。沓掛の集会所はわかるかね?」
「もちろんです」
「ほんなら、そこまで移動するかね。佐久間さん、くれぐれも安全運転で来てちょうよ」
「ふふふ。もちろんですよ」
話がつくと集落の人間は老若男女問わず、高さ十メートルはあろうかという野面積みの石垣の壁面を降りて登っていく。そこには石とコンクリートで石垣に差し込むように作られた、幅五十センチにも満たない階段をはねるように軽々と登っていく。
その光景を唖然と見ている検問官に、古参の職員が穏やかに声を掛けた。
「検問官殿。車にお乗りください。集会所までご案内しますよ」
「あなたは佐久間さんと言うのですね」
「はい。佐久間泰尚と言います」
「では佐久間さん、確認ですが。公用車の破損は落石が原因でよろしかったですね?」
「……はい。私の運転技術が未熟なもので……検問官殿には恐ろしい思いをさせて申し訳ございません」
「あなたのせいではありませんよ。自然災害はどうしようもありませんからね。それでは、集会所までのご案内をよろしくお願いしますよ」
「はい」
この後の佐久間の車の運転は往路以上に激しく高速となり、検問官の三半規管と体を容赦なく痛めつけていく。
「ぐっ……おぇっ……! もう少しゆっくり走れないのですかっ!」
「あまりのんびり走りますと、魔物たちが近付いてきますので難しそうですね」
そう答えると佐久間はさらに速度を上げ、たまに意味もなくハンドルを細かく揺らし続けた。




