13話:傲慢検問官の誤算。半年前の着任と一変した日常
この国がかつての繁栄から音を立てて崩れ落ち、地方のインフラが野ざらしになって久しい2080年――。
都市部を支配する特権階級の老人たちは、地方住民を「外国の侵略から国土を守るための人間の盾」としか見ていなかった。
その中で、国営の農作物買取機関『GAA』(Governmental Agricultural Agency)」という組織が存在した。
元々は「地方の食料を全国に安定して販売し、都市部と地方との格差を是正する」という救国の崇高な理念を掲げて発足した組織だったが、長い年月の中でその志は失われ、いつしか地方から富を吸い上げるだけの腐敗の温床へと変貌していった。
一部の職員たちは、地方の生産者が手塩にかけて育てた農作物を買い叩き、その利ざやで私腹を肥やし、中央での出世の道具にすることしか考えていなかったのだ。
その『GAA』の新任の検問官として配属された男が、この地方の麓の集落へ初めて「着任の挨拶」にやってきたのは、今から半年ほど前のことだった。
初夏の青葉が眩しい山道を、古参の職員に運転を任せた黒塗りの高級セダンが滑るように進んでいく。車窓の外には、コンクリートが剥がれ落ちてアスファルトが沈み込み砂利道となった主要道と、どこか諦念に支配された荒涼たる里山の風景が広がっていた。
その景色を視察するべき男はふかふかの後部座席で優雅に足を組みながら、超高級品となりつつあるコーヒーを飲みながら物静かな笑みを湛えていた。
一人称は常に「私」。言葉遣いはあくまで丁寧で上品だったが、その言葉の端々には地方の人間を見下すエリートとしての選民思想と傲慢さが隠しきれずに滲み出ていた。
「……まったく。なぜ私が、このようなド辺境にまで顔を出さなければならないのでしょうか。新任の挨拶はこちらから出向くというこのくだらない慣習を、どうにかして終わらせたいものですね」
車内で不機嫌そうに吐き捨てる男の脳裏には、歪んだ野望が渦巻いていた。
(まぁいいでしょう。どうせこの辺の土壌じゃ、栄養のない痩せた野菜しか作れまい。綺麗な言葉を尽くして買い叩いてやるさ。吸えるだけ金を吸い上げて、そいつを使って一刻も早く中央に返り咲いてやる)
『GAA』の職員で花や野菜に興味が無く、甘い汁を吸う者たちを侮蔑の意味を込めて『蜜蜂』と呼ぶのだが、新任の検問官はまさしく『蜜蜂』であった。
その日から、男の「買い叩き」の日々が始まった。
責任回避に長けた、丁寧でよく分からない文脈の敬語を駆使して作物の価格交渉をおこない、生産者たちから安値で買い上げる。それからというもの、納入の前倒しや無理な順延、不当な価格調整などを『GAA阿由知支部』は電話一本で穏やかに、しかし高圧的に押し付けるようになっていった。
丁寧な口調で行われる価格交渉とは名ばかりの悪質な買い叩きに、義春を可愛がってくれる老人たちや、父母世代の人々はいつも唇を噛み締めて耐えるしかなかった。
農作物の収穫の手伝いや、壊れたトラクターの修理、果樹から果実を取る全自動果実収穫機の改造や建物の解体などで義春が集落を訪れるたびに、皆が愚痴や相談をするようになっていた。
――だが、そんな搾取の日常が半年ほど続いたある日、世界を根底から揺るがす「異常事態」が起きる。
この国の各地で大規模な自然環境の変化が起きたのだ。
それまで見慣れていた野山の一角が、一夜にして太古の原生林のような毒々しい色彩の森へと変貌を遂げた。この時点では、世界中の誰もそれが「フィールド型ダンジョン」であることなど知る由もなく、ただ「森や岩山が変質した異常事態」という認識しかなかった。
そして、その不気味な森の周辺からは、異様な気配を放つ未知の生物――魔物が姿を現し始めていた。
その影響は日に日に深刻となり、国中で食料やエネルギーの確保を最優先とする風潮が出始めた頃、中央政府から『GAA』の検問官の元へと厳命が下る。
「速やかな農作物の確保と、例年の2倍の購入量を達成するように鋭意努力せよ」
この厳命に検問は、ほくそ笑んだ。
(ふふ、好都合ですね。この国家的な混乱に乗じて、いつも以上に安く買い叩いて、さらに量を増やせば、私に入るポケットマネーは天井知らずというわけです)
すっかり傲慢さが板についていた男は、いつものように穏やかな口調と丁寧な物腰のまま、麓の集落へと緊急の作物の納入を命じる電話を入れた。だが、電話口から返ってきたのは、これまでにない冷徹な拒絶だった。至急の納入依頼に対しては。
「申し訳ないがお断りします。最近この辺りに見たこともない奇怪な生き物が跋扈するようになり、緊急での納入など物理的に不可能です。現在、大型トラックと警護車の準備をしているのでしばらくお待ちください」
購入量増加の依頼に対しては。
「これ以上の増産も納入も出来ません。例年残る作物に関しては周辺地域や準工業都市 や周辺の地方都市よる買取契約が締結されておりますので、例年以上の出荷に応じることはできません」
と電話口で淡々と告げられた拒絶の言葉に、男の額にわずかに青筋が浮かんだ。だが、外面の丁寧なトーンは崩さない。
「……おや。双方に認識の違いがあるようですね(私に向かってよくそのような言葉が吐けるな)可能な限り迅速に、そちらに顔を出させていただきますので、主要な方のお時間の調整をお願いします(すぐにそっちへ行くから首を洗って待っていろ)」
電話を静かに置くと検問官は古参の職員を呼び出した。
「至急、あの集落に行きたいので車を回してください。多少の接触等は不問としますので可能な限り急いでください。国家危急の案件です」
男には珍しく怒りがわずかばかり漏れ出ていた。新任の挨拶に向かう時も車を運転していた古参の職員に命じて現地へと車を走らせた。
だが、その傲慢な男は知らなかったのだ。半年前の着任時に通った時とは比べものにならないほど速度で、街の外の道路を走ることがいかに過酷なのかを。




