第六話 大山出雲
江津家の火事から数日が経った。
住宅街には、焼け焦げた家の跡がまだ残っていた。周囲には規制線が張られ、近所の人たちも、通りかかるたびにその場所を気にしていた。
上野は、現場周辺の住民から話を聞いていた。
「火事が起きる前、江津さんの家に誰か出入りしていたのを見たことはありませんか?」
上野が尋ねると、近所に住む女性が少し考えてから答えた。
「そういえば、よく来ている男の人がいましたよ」
「男の人ですか?」
「ええ。何度も見かけました。年齢は三十代か四十代くらいだったと思います」
「その人の顔は覚えていますか?」
「顔までは、ちょっと……でも、何度も来ていたので、近所では見かける人だなって話になっていました」
「どんな用事で来ていたか分かりますか?」
「そこまでは分かりません。ただ、江津さんのお宅に入っていくのを何度も見ました」
上野は手帳にメモを取った。
「その人の名前は分かりますか?」
「ああ、大山さんだったかな。介護の仕事をしている人だと聞いたことがあります」
「大山さん……」
上野は、その名前を繰り返した。
「ありがとうございます。もう少し詳しく調べてみます」
警察署に戻った上野は、大山出雲について調べた。
出雲は介護福祉士として働いており、江津家の一人息子である孝雄とは幼い頃からの友人だった。
上野は、出雲の連絡先を確認すると電話をかけた。
「もしもし、大山さんでしょうか。警察の上野と申します」
『はい、大山です』
「江津正男さん、恵子さんの件で、少しお話を伺いたいのですが」
『ああ……火事のことですね』
「はい。ご都合のよい時間に、お会いできますか?」
『分かりました。仕事が終わってからなら大丈夫です』
「ありがとうございます。では、こちらから伺います」
電話を切った上野は、手帳を閉じた。
現場から立ち去った人物。
近所の住民が見かけていた男。
そして、江津家に頻繁に出入りしていたという大山出雲。
まだ何の証拠もない。
しかし、確認しておく必要があった。
翌日。
上野は、大山が指定した場所で話を聞いていた。
出雲は落ち着いた様子で、上野の質問に答えていた。
「江津さんのお宅には、以前からよく行かれていたんですか?」
「はい。正男さんご夫妻のことは、以前から気にかけていました。孝雄とは昔からの友人ですし、近くに住むお年寄りのことも、放っておけませんでしたから」
「火事の当日も、江津さんのお宅に行かれたそうですね」
「ええ。午前中に伺いました」
「何か用事があったんですか?」
「恵子さんの様子が少し気になっていたんです」
上野は顔を上げた。
「恵子さんの様子?」
「以前と比べて、話がかみ合わないことがあったり、同じことを何度も尋ねたりすることがありました。認知症の症状が出ているんじゃないかと思ったんです」
「それを正男さんには伝えたんですか?」
「はい。一度、病院で診てもらった方がいいと話しました」
「正男さんの反応は?」
出雲は少し表情を曇らせた。
「否定されました。『恵子はそんなことない』って。長年一緒に暮らしてきた奥さんですから、認めたくなかったのかもしれません」
「それでも、病院に行くよう勧めたんですね?」
「ええ。本人も家族も、早く気づいた方がいいと思いましたから」
上野はうなずき、さらに質問を続けた。
「その日、午前中に江津さんの家を出た後は、どちらへ?」
「自宅に戻りました」
「火事が起きた時間もですか?」
「はい。ずっと家にいました」
「誰か一緒にいましたか?」
出雲は一瞬だけ考えた。
「いえ、一人でした」
「では、その時間に自宅にいたことを証明できる方はいないということですね?」
「そうなりますね」
上野は出雲の顔をじっと見た。
「火事のことは、どのように知りましたか?」
「近所の人から連絡を受けました。まさか、あんなことになるとは思っていませんでした」
「火事の現場には行かれましたか?」
「すぐに行きました。ただ、もう消防や警察の方が来ていたので、近くで様子を見ていました」
「そうですか」
上野は手帳に目を落とした。
「最後にもう一つ。火事が起きる前、江津さんご夫妻と何か変わった話をしませんでしたか?」
「特にはありません。ただ、正男さんは恵子さんの状態を心配しているようには見えませんでした。私が何度か病院を勧めても、なかなか聞いてもらえなかったんです」
「分かりました。今日はありがとうございました」
出雲は軽く頭を下げた。
「正男さんは今、どうされていますか?」
「入院されています。まだ精神的なショックが大きいようです」
「そうですか……」
出雲は心配そうに目を伏せた。
「早く元気になってほしいですね」
上野は、その言葉に返事をせず、出雲の様子を見つめていた。
聞き込みを終えた上野は、車に戻った。
エンジンをかける前に、手帳を開く。
大山出雲。
事件当日の午前中、江津家を訪問。
午後、火事が発生した時間には自宅にいたと証言。
しかし、その証言を裏付ける人物はいない。
上野は、火事の現場から立ち去った男のことを思い出していた。
圭司が目撃したのは、暗くなりかけた時間帯だった。
顔は確認できていない。
もし、あの人物が大山だったとしたら……。
上野は手帳を閉じた。
まだ決めつけることはできない。
その日の夕方。
圭司は仕事を終え、事務所で伝票を整理していた。
そこへスマートフォンが鳴った。
画面には上野の名前が表示されている。
「もしもし、上野さん?」
『野上さん、少し分かったことがあります』
「何かあったのか?」
『江津家に頻繁に出入りしていた人物がいたことが分かりました』
「誰なんだ?」
『大山出雲という男性です。介護福祉士で、孝雄さんの幼なじみでもあります』
「大山……」
圭司は、聞き覚えのある名前を繰り返した。
『事件当日の午前中にも、江津家を訪問していたそうです』
「それで、火事の時間は?」
『本人は、自宅にいたと話しています。ただし、それを証明できる人はいません』
圭司は黙り込んだ。
「上野さん、まさか……」
『まだ何とも言えません。ただ、野上さんが見た人物と大山さんが同一人物である可能性もあります』
「そうか……」
『引き続き調べてみます』
電話が切れた。
圭司はスマートフォンを置き、しばらく考え込んだ。
火事の現場から逃げた男。
江津家に何度も出入りしていた大山出雲。
そして、誰にも証明できない火事当日の行動。
圭司は窓の外に目を向けた。
「……あの男は、本当に誰だったんだ?」




