↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
美咲のオヤジの配達記録簿  作者: 空雨 素志


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

85/91

第一話 帰り道の火


朝の食卓。


圭司はテーブルの上に置かれた古い腕時計を眺めていた。先日、上野と飲んだ居酒屋に忘れられていたものだ。店から連絡があり、圭司が預かっていた。


文字盤には年月を感じさせる傷があり、ベルトにも使い込まれた跡がある。


「これ、どっかで見たことあるな……」


圭司が腕時計を手に取って、裏返した。


「うーん、結構古い腕時計だよね。誰かの贈り物とかかな?」


向かいで朝食を食べていた美咲が言った。


「いや、昔に……」


圭司は時計を見つめたまま、少し考え込んだ。


「昔に?」


「いや、なんでもない。まぁいっか。上野さんに今度会ったら返しとくよ」


「大事なものじゃないの? そんな簡単に預かってていいの?」


「上野さんのことだから、忘れたことにも気づいてないかもしれないぞ」


「それはないでしょ」


美咲が笑う。


圭司は腕時計を箱に戻すと、いつものように立ち上がった。


「さて、仕事に行くか」


「いってらっしゃい。今日は早く帰ってきてね」


「時間は待ってくれないからな」


そう言い残し、圭司は家を出た。


その日の仕事を終えた圭司は、配送を済ませ、いつもの道をトラックで走っていた。


日も傾き始めている。


交差点を抜け、住宅街へ続く道に入ったときだった。


前方の空に、黒い煙が立ち上っているのが見えた。


「ん……?」


最初は、どこかで何かを燃やしているのかと思った。


しかし、近づくにつれて煙の量が増えていく。


その先に、赤い炎が見えた。


「火事か!」


圭司はトラックを安全な場所に停めると、すぐに現場へ向かった。


一軒の家が燃えていた。


窓から炎が噴き出し、屋根のあたりまで火が回っている。周囲にはまだ人影がほとんどない。


その家の前に、一人の老人が立ち尽くしていた。


ただ、燃え盛る家を見つめている。


「お爺さん!」


圭司は駆け寄った。


「危ない! ここから離れましょう!」


老人は圭司の声に反応したが、足が動かない。


「お爺さん、聞こえますか! しっかりしてください!」


圭司は老人の身体を支え、火元から離れた場所へ連れていった。


そのときだった。


視界の端に、人影が映った。


現場から離れていく、一人の人物。


暗くなりかけた住宅街。顔までは見えない。体格もはっきりとは分からない。


ただ、走り去る姿は男のように見えた。


「おい!」


圭司が声を上げたが、人影は振り返らず、そのまま角を曲がって消えてしまった。


今は追いかけている場合ではない。


圭司は老人を安全な場所に座らせ、携帯電話を取り出した。


「火事です! 住宅が燃えています。場所は……」


消防へ通報し、救急車も要請する。


「お爺さん、怪我はありませんか?」


老人は何も答えなかった。


ただ、燃える家を見つめている。


「ご家族は? ほかに誰か家の中にいるんですか?」


老人の目がわずかに動いた。


「……かあさんが」


かすれた声だった。


「え?」


「かあさんが……家の中に」


圭司の表情が変わった。


「誰か、家の中にいるんですか!」


老人は答えない。


圭司はもう一度、燃え盛る家を見た。


消防車のサイレンが遠くから聞こえ始めていた。


消防隊が到着し、消火活動が始まった。


圭司は警察から事情を聞かれることになった。


「あなたが最初にこの方を保護したんですね?」


「ああ。家の前に立っていたんです。火を見て、動けなくなっていたみたいで」


「ほかに何か見ませんでしたか?」


圭司は少し考えた。


「一人、人影を見ました。現場から離れていくところでした」


「人物の特徴は?」


「暗くて顔は見えませんでした。ただ、男のような体つきだったと思います」


「年齢は?」


「そこまでは分かりません」


警察官はメモを取りながらうなずいた。


やがて、消防隊員の一人が警察官に近づいてきた。


何かを報告している。


警察官の表情が変わった。


「……人が?」


圭司の耳にも、その言葉が届いた。


焼け跡から、人が発見されたという。


しばらくして、警察官が圭司たちのところへ戻ってきた。


「残念ですが、家の中から女性の遺体が見つかりました」


老人は、ゆっくりと顔を上げた。


「……かあさん?」


警察官は答えなかった。


その場にいた誰もが、言葉を失っていた。


発見された女性の名前は、江津恵子。七十八歳。


圭司が助けた老人、江津正男の妻だった。


正男は、燃え尽きていく自分の家を見つめたまま、動かなかった。


圭司はその横顔から目を離せなかった。


そして、先ほど走り去った人影のことを思い出していた。


あの人物は、いったい何者なのか。


なぜ、火事の現場から逃げるように去っていったのか。


この火事は、本当に事故なのだろうか。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。