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美咲のオヤジの配達記録簿  作者: 空雨 素志


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第十二話 いつもの居酒屋



 繁華街の一角にある、いつもの居酒屋。


 奥のテーブル席には、野上圭司と美咲が先に来ていた。


 圭司は生ビール、美咲はウーロン茶を飲みながら、料理が運ばれてくるのを待っていた。


「そういえばさ」


 美咲が、ふと思い出したように口を開いた。


「上野さんって、いつも圭司の近くにいる気がする」


「まあ、俺が事件に遭遇するからな」


「それにしても、なんか圭司のストーカーみたい」


「確かに、上野さん、この前の事故のときもいたな。交通課でもないのに」


「でしょう? 本当は見張られてるんじゃない?」


 美咲は冗談めかして笑った。


「怖いこと言うなよ」


 そのときだった。


「誰がストーカーですか?」


 突然、後ろから声がした。


「わっ!」


 美咲は驚いて振り返った。


 そこには、いつものスーツ姿の上野が立っていた。


「もう、びっくりした! 冗談きついですよ」


「どっちがですか?」


 上野は苦笑しながら席に座った。


「でも、まあ、警察無線で野上さんらしい話を聞いたら、現場に行くようにはしていますけどね」


「おお、怖っ!」


 圭司が大げさに肩をすくめる。


 三人の間に笑い声が起こった。


「それで、今回は何か進展があったんですか?」


 美咲が尋ねた。


「ええ。長門の件は、ひとまず解決しました。ただ、今回の事件は、いろいろな人間の思惑が絡んでいましたからね」


「荻さんのことも、ようやくわかりましたね」


 圭司が言った。


「そうですね。最初は麻衣さんの元恋人で、復縁を迫っているように見えましたから」


「でも、実際は違った」


 美咲が続けた。


「麻衣さんを新しいクラブのオーナーにするために、仕事の相談をしていたんですよね」


「はい。荻さんは、麻衣さんの能力を評価していた。クラブRAINで経験を積ませ、将来は新店舗を任せようと考えていたんです」


 上野はグラスを手に取った。


「ただ、麻衣さんには、荻さんとは別の考えがあったようです」


「別の考え?」


 圭司が尋ねた。


「荻さんの話では、麻衣さんは、将来、新しい店をエリカさんと二人でやっていきたいと考えていたそうです」


「えっ、二人で?」


 美咲が顔を上げた。


「ええ。荻さんは、まず麻衣さんにオーナーを任せるつもりだった。でも、麻衣さんは一人で店を切り盛りするより、エリカさんと一緒にやっていきたいと話していたそうです」


「そうだったんだ……」


 美咲は、少し寂しそうにうつむいた。


「だから、あの靴を買ったのかな」


「そうかもしれませんね」


 上野が答えた。


「エリカさんが以前から欲しがっていた靴だったそうです。麻衣さんは、それを覚えていてプレゼントしようとしていた」


「二人で新しい店をやるつもりだったのに、最後まで仲直りできなかったんだね」


 美咲の声が小さくなった。


「エリカさんも、相当悔やんでいるでしょう」


 上野は、静かにうなずいた。


     *


「ところで、あの靴のことなんですが」


 圭司が話題を変えた。


「長門は、どうして自分が殺した麻衣さんの靴じゃなくて、持っていた新品の靴を屋上に置いたんでしょうね」


 上野は少し考えてから答えた。


「取り調べで、長門はこう説明しています」


 麻衣がベランダから落ちたあと、長門は自分が何をしたのか理解した。


 そして、どうにかして自殺に見せかけようと考えた。


 そのとき、麻衣が持ってきていた新しい靴に気づいた。


 長門は、麻衣が履いてきた靴を屋上に置くことをためらった。


 自分の部屋に来たときに履いていた靴には、部屋の痕跡が付いているかもしれない。もしそれを屋上に置けば、靴の状態から、どこか別の場所にいたことが疑われるかもしれない。


 しかし、新品の靴なら、まだ履いた形跡がない。


 それなら、自殺するために屋上へ来たときに脱いだ靴だと思わせることができる。


 長門は、そう考えたのだった。


「なるほどな。自分が履いてきた靴を置いたら、余計な痕跡が見つかるかもしれないと思ったわけか」


 圭司がうなずいた。


「ただ、長門はその靴がエリカさんへのプレゼントだとは知らなかった。麻衣さんが自分のために買った靴だと思い込んでいたんです」


「そこが間違いだったんだね」


 美咲が言った。


「ええ。しかも、麻衣さんの足のサイズより少し大きかった。二十三センチと二十三・五センチ。わずかな違いでしたが、そこに気づいたことが、偽装を見破る手がかりになりました」


「長門は、麻衣さんが誰かのために靴を買っていたなんて、考えもしなかったんだな」


「そうですね。自分の都合のいいように解釈して、勝手に利用した。その結果、靴が真相を明らかにすることになったんです」


 上野は、グラスを置いた。


「ただ、靴だけで事件が解決したわけではありません。圭司さんが配達のときに麻衣さんと会っていたこと、荻さんが独自に調べていたこと、エリカさんの証言。いろいろなことがつながったからこそ、長門にたどり着けたんです」


「それにしても、圭司はよく気づいたよね」


 美咲が父を見る。


「何にだよ?」


「麻衣さんが荷物を受け取った直後に亡くなったこと。最初は自殺と考えられていたのに、圭司はずっと納得していなかったでしょう?」


「たまたまだよ。俺は、配達したときの麻衣さんの様子を覚えていただけだ」


「でも、その記憶が大事だったんじゃない?」


 圭司は照れくさそうにビールを飲んだ。


「まあ、配達員だからな。荷物を渡した相手の顔くらい覚えているさ」


     *


 そこへ、もう一人の男がやってきた。


「いやあ、お待たせしました!」


 牧田吾郎だった。


「牧田さん、遅かったですね」


 美咲が言う。


「すみません。会社の仕事が少し長引きまして」


 牧田は席に着くと、すぐにメニューを開いた。


「いやあ、今日は飲みたい気分ですよ」


「牧田さんも、今回の事件にはいろいろと思うところがあるでしょうね」


 上野が言った。


「ありますよ。麻衣さんは、荻から新店舗の話を聞いて、本当に頑張っていたんでしょう?」


「はい。荻さんは、麻衣さんならできると考えていたようです」


「その麻衣さんが、エリカさんと二人で店をやりたいと思っていたとはね」


 牧田は、少し感慨深そうに言った。


「人間関係というのは難しいものです。相手を思って言ったことが、相手にはまるで違う意味に伝わることもある」


「エリカさんは、麻衣さんが長門を好きなんだと思い込んでいたんですよね」


 美咲が言った。


「ええ。でも、麻衣さんが本当に伝えたかったのは、長門が既婚者で、エリカさんを利用しているということだった」


 圭司は、静かにうなずいた。


「麻衣さんは、友達を守りたかっただけなんだ」


     *


 料理が運ばれてきて、テーブルがにぎやかになった。


 四人は、まずグラスを合わせた。


「浜田麻衣さんの冥福を祈って」


 上野の言葉に、全員が静かにうなずいた。


 しばらくして、牧田が口を開いた。


「しかし、荻さんも気の毒でしたね。最初は麻衣さんの元恋人だと思われて、復縁を迫っていたように見られていた」


「本人にしてみれば、仕事の相談をしていただけですからね」


 上野が答える。


「新店舗の計画を進めて、麻衣さんを育てていた。それなのに、麻衣さんは亡くなり、自分まで長門に殺されかけた」


「でも、最後まで麻衣さんの死の真相を追っていたのは荻さんでした」


 美咲が言った。


「麻衣さんが自殺するはずがない。そう信じていたんでしょうね」


 圭司は、グラスを置いた。


「麻衣さんがエリカさんと二人で店をやりたいと思っていたことを、エリカさんが知ったら、どう思うだろうな」


「きっと、喜びよりも後悔の方が大きいでしょうね」


 上野が答えた。


「自分が麻衣さんの話を聞いていれば、何か変わっていたんじゃないか。そう考えてしまうかもしれません」


「でも、エリカさんだけを責めることはできないよ」


 美咲が言った。


「長門が嘘をついていたんだから。エリカさんは騙されていたんだもの」


 圭司は娘の言葉にうなずいた。


「そうだな。人を信じること自体は悪いことじゃない。ただ、相手の言葉だけを信じてしまうと、見えなくなることもあるんだろう」


 牧田が箸を置いた。


「麻衣さんは、それをわかっていたんでしょうね。だから、エリカさんに何度も忠告していた」


「でも、その気持ちは最後まで伝わらなかった」


 美咲は、静かに目を伏せた。


     *


 店を出るころには、夜も更けていた。


 牧田はタクシーを拾い、上野は駅へ向かった。


 圭司と美咲は、並んで夜道を歩いていた。


「今回の事件、何だか切ないね」


 美咲が言った。


「ああ」


「麻衣さんは、最後までエリカさんのことを考えていたんだよね。新しい店を一緒にやりたいと思っていたし、プレゼントまで用意していた」


「そうだな」


「でも、その靴が自殺の偽装に使われてしまった」


 圭司は、夜空を見上げた。


「長門は、靴の意味を知らなかった。麻衣さんが誰のために買ったのかも、何も知らなかったんだ」


「麻衣さんの気持ちなんて、考えもしなかったんだろうね」


 美咲は、少し歩く速度を落とした。


「もし、エリカさんが麻衣さんの話を聞いていたら……」


「過ぎたことを考えても、時間は戻らない」


 圭司は、静かに答えた。


「ただ、伝えたいことがあるなら、後回しにしない方がいいんだろうな」


 美咲は父の横顔を見た。


「圭司らしいね」


「何がだ?」


「何でもない」


 二人は、再び歩き始めた。


 浜田麻衣、二十四歳。


 彼女は、自分の将来だけでなく、友人の未来も考えていた。


 最後に買った靴は、エリカに贈るためのものだった。


 その靴を渡す日は、とうとう来なかった。


 それでも、麻衣がエリカを大切に思っていたことは、靴の真実とともに明らかになった。


 人の気持ちは、言葉にしなければ伝わらないことがある。


 思い込みは、相手の本当の姿を見えなくしてしまうこともある。


 そして、失われた時間は二度と戻らない。


「時間は待ってくれない、か」


 圭司は、いつもの言葉をつぶやいた。


 美咲は、黙ってうなずいた。


 二人の足音が、夜の街に静かに響いていた。


靴の偽装理由を会話で簡潔に描く麻衣とエリカの夢を終盤で強調する

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