第十一話 屋上の真実
屋上には、張り詰めた空気が流れていた。
圭司と美咲が駆けつけ、荻を襲っていた男を取り押さえようとする。そこへ上野が到着し、男の腕を押さえた。
「動くな! 警察だ!」
上野の声が響く。
男は抵抗を続けたが、やがて観念したように力を抜いた。
「荻さん、大丈夫ですか?」
美咲が駆け寄った。
「ああ、何とかね」
荻は息を整えながら答えた。
圭司は男を見た。
「いったい、どういうことなんだ? 荻さんを殺そうとしていたのか?」
上野が男に向き直る。
「あなたは長門和也さんですね」
男はしばらく黙っていたが、やがて答えた。
「はい...」
上野は手帳を取り出した。
「長門和也さん。クラブRAINの責任者ですね」
圭司と美咲は顔を見合わせた。
そして、長門の後ろから、一人の女性が姿を見せた。
徳山エリカだった。
「エリカさん……」
美咲が声をかけた。
エリカは、長門と荻を交互に見ていた。
「やっぱり……そういう事だったんですね」
上野は周囲を確認し、屋上にいた全員に話をすることにした。
「ちょうどいい機会です。ここで、これまでのことを整理しましょう」
*
「まず、ベルチホールディングスの新店舗計画についてです」
上野は荻に目を向けた。
「荻さん、説明してもらえますか」
荻はうなずいた。
「俺は、クラブRAINを含めたクラブ事業の経営を任されていました。以前から、次の新店舗をどう展開するか、計画を温めていたんです」
「その新店舗のオーナー候補が、浜田麻衣さんだったんですね」
圭司が言った。
「そうです。麻衣は以前、ベルチホールディングスで働いていた。仕事もできたし、経営者としての素質もあると思っていました」
「でも、麻衣さんは水商売の経験がなかった」
美咲が続ける。
「そのため、荻さんはクラブRAINで働くように勧めたんですね」
「そのとおりです。接客だけでなく、店の運営や売り上げの管理も覚えてもらうつもりでした。ナンバーワンという実績があれば、新店舗のオーナーにすることも周囲に説明しやすくなる。麻衣には、それだけの力があると思っていました」
荻は、少し視線を落とした。
「最初はうまくいっていました。麻衣は努力して、エリカとも仲良くなった。ところが、新店舗の計画に妙な圧力がかかり始めたんです」
「徳山さんのおじさんですね?」
上野が尋ねた。
「はい。ベルチホールディングスと関係の深い人物です。ところが、その人が突然、新店舗の計画を別の方向へ変えようとし始めた」
「それで、なぜエリカさんが関係するんですか?」
圭司が尋ねる。
荻は長門を見た。
「この男です」
長門は黙っていた。
「長門は、エリカが自分に好意を持っていることに気づいていました。そして、エリカの叔父が会社に大きな影響力を持っていることも知っていた」
美咲はエリカに目を向けた。
「エリカさん、あなたと長門さんは、交際していたんですね?」
エリカは小さくうなずいた。
「……はい」
「そのことを、麻衣さんには秘密にしてほしいと頼んでいた?」
「はい。長門さんはクラブの責任者でしたから、店の人たちに知られるのが嫌だったんです」
エリカは、長門を見つめた。
「私は、本気でした。長門さんが結婚しているなんて、知りませんでした」
長門は何も言わなかった。
「長門は、エリカにこう話していたんです」
荻が続けた。
「次の新店舗は自分がオーナーになり、エリカと麻衣に店を任せたい。だから叔父さんに話をしてくれないか、とね」
「私は……長門さんのためになると思って、叔父に話しました」
エリカの声が震えた。
「それが、新店舗計画の変更につながっていたんですね」
上野が確認する。
「そうです。俺は不思議だった。なぜ、徳山さんが新店舗の話に口を出しているのか。どうして、これまで自分が進めてきた計画が、急に変わろうとしているのか」
荻は美咲を見た。
「そこで、エリカのことを調べ始めました。麻衣にも相談したんです」
「麻衣さんは、最初はエリカさんを疑いたくなかったんですね」
「ええ。二人は本当に仲がよかった。麻衣は、エリカを信じていました」
*
「でも、調べていくうちに、麻衣さんは別のことに気づいた」
圭司が言った。
荻はうなずいた。
「そうです。エリカ本人が新店舗を乗っ取ろうとしているわけではなかった。裏にいる男に利用されているんじゃないかと考え始めたんです」
エリカは、長門の顔を見た。
「この人は……私を利用していたんです」
長門は答えなかった。
「麻衣は、長門が既婚者であることも突き止めました。エリカを本気で付き合っていると思わせながら、実際には自分の都合のいいように利用していたんです」
荻の言葉に、エリカの顔が青ざめた。
「はい……」
「それだけじゃありません。長門は、エリカの親戚関係を利用して、新店舗の計画にも自分の都合を通そうとしていた」
エリカは、ゆっくりと首を振った。
「信じられない……」
*
上野は、長門に向き直った。
「あなたは麻衣さんが自分のことを調べていると知っていたんですね?」
長門は少し間を置いて答えた。
「……ああ」
「麻衣さんは、あなたにエリカさんを傷つけるなと話をした」
「そうだ。関係ないことに口を出すなと言った」
「それで、どうなったんですか?」
長門は視線を落とした。
荻が口を開いた。
「もう一つ、エリカが誤解していたことがあるんです」
「誤解?」
美咲が尋ねる。
「エリカは、麻衣も長門のことが好きなんじゃないかと思っていた」
エリカは唇をかんだ。
「だって……麻衣は何度も長門さんとの関係をやめろって言ってきたんです。私には、そうとしか思えなかった」
「麻衣は、あなたを守ろうとしていたんです」
荻が静かに言った。
「でも、エリカは麻衣の言葉を聞かなかった」
「私は……」
エリカの声がかすれた。
「麻衣に、ひどいことを言いました。あなたも長門さんが好きなんでしょうって。私から取ろうとしているんじゃないかって……」
美咲は、エリカの肩にそっと手を置いた。
「麻衣さんは、エリカさんを嫌っていたわけじゃないと思います」
エリカは涙をこらえていた。
*
「事件当日のことを話してください」
上野が長門に尋ねた。
長門は、しばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「あの日、麻衣が俺の部屋に来た」
「どうしてですか?」
「エリカのことで話があると言っていた」
荻が続けた。
「麻衣は、長門が結婚している証拠を持っていました。それをエリカに見せて、関係を終わらせるよう説得するつもりだったんです」
「エリカさんも呼んでいたんですね?」
上野が尋ねる。
エリカはうなずいた。
「麻衣から連絡がありました。でも、私はすぐには行きませんでした。あのときは、まだ麻衣を信じられなかったんです」
「それで、麻衣さんは一人で四階の部屋へ行った」
圭司が確認した。
「ああ」
長門は短く答えた。
上野は続けた。
「あなたは、麻衣さんと口論になった」
「……そうだ」
「その結果、ベランダから麻衣さんを落としたんですね?」
長門は顔を上げなかった。
屋上に風が吹いた。
しばらくして、長門は小さくうなずいた。
「……押したつもりはなかった。言い争って、もみ合いになって……気づいたら、落ちていた」
「本当に事故だったんですか?」
上野の声は厳しかった。
長門は答えなかった。
「あなたは、その後、屋上に靴を置いた。麻衣さんが自殺したように見せるためですね?」
「……ああ」
その言葉に、美咲が息をのんだ。
*
「でも、あの靴はおかしかったんです」
美咲が口を開いた。
「麻衣さんの足のサイズより、少し大きかった」
長門は、美咲を見た。
「何が言いたい?」
「麻衣さんの部屋には、ほかにも新しい靴がありました。でも、屋上にあった靴は、サイズが違ったんです」
圭司が続けた。
「麻衣さんは二十三センチだった。屋上の靴は二十三・五センチ。わずかな違いだけど、本人の靴だと考えるには引っかかる」
長門は黙っていた。
エリカが、屋上の靴の話を聞いて、突然顔を上げた。
「……その靴」
「どうしたんですか、徳山さん?」
上野が尋ねた。
エリカは、靴の写真を見つめていた。
「これ、麻衣が私に買ってくれていたものだと思います」
「え?」
美咲が驚いた。
「以前、二人で買い物をしたとき、私が気に入っていた靴があったんです。麻衣は、そのことを覚えていてくれたんだと思います」
エリカの目から涙がこぼれた。
「私にプレゼントしてくれるつもりだったんだ……」
圭司は、あの日の配達を思い出した。
麻衣が受け取った荷物。
それが、あの靴だったのかもしれない。
「つまり、長門さんは、その靴を麻衣さん自身のものだと思い込んで、屋上に置いたんですね」
上野が言った。
長門は、うつむいたままだった。
「麻衣さんの靴だと思ったんだ。それを置けば自殺に見えると思った」
「でも、実際にはエリカさんへの贈り物だった」
圭司が言った。
「麻衣さんの足には少し大きかったんです」
美咲は、エリカを見た。
「麻衣さんは最後まで、エリカさんのことを大切に思っていたんですね」
エリカは、声を押し殺して泣いた。
「麻衣……ごめんね。私、何もわかっていなかった」
*
上野は、改めて長門に向き直った。
「あなたは麻衣さんが亡くなった後、荻さんが自分の周辺を調べていることを知った。それで、今日、荻さんを殺そうとしたんですね」
「……あいつが余計なことを調べるからだ」
「麻衣さんの死を隠すために、今度は荻さんまで殺そうとしたわけですか」
長門は何も答えなかった。
荻は、長門を見つめた。
「俺が麻衣のために何をしていたか、お前にはわからないだろう」
「……」
「麻衣は新しい店を任されることを、本気で考えていた。俺も、あいつならできると思っていた。なのに、お前はその人生をダメにした」
荻の声が震えた。
「麻衣を返せよ……」
上野は荻の肩に手を置いた。
「荻さん。ここから先は警察に任せてください」
警察官たちが長門を連れていく。
長門は最後まで、エリカの方を見ようとはしなかった。
エリカは、その背中を見つめていた。
好きだった人が、実は自分を利用していた。
そして、自分を心配してくれていた友人が、その男の手によって命を奪われた。
すべてを知った今、エリカに残ったのは、取り返しのつかない後悔だった。
*
屋上には、圭司、美咲、上野、荻、エリカが残っていた。
「麻衣さんは、あなたを嫌ってなんかいなかったんですよ」
美咲がエリカに言った。
「わかっています……。今なら、わかります」
エリカは、涙を拭いた。
「麻衣は、私が傷つかないようにしてくれていた。なのに私は、麻衣を信じなかった」
荻は、屋上の床を見つめていた。
「麻衣は、最後までエリカのことを心配していた。」
圭司は、静かにマンションの下を見下ろした。
あの日、ここで何が起きたのか。
麻衣は四階の部屋から落とされた。屋上にあった靴は、自殺を装うために置かれたものだった。
その靴は、麻衣が友人に贈るために選んだものだった。
自分の死を飾るためではなく、誰かを喜ばせるために買ったものだったのだ。
「……何とも、やりきれないな」
圭司がつぶやいた。
上野は、ゆっくりとうなずいた。
「ええ。ですが、真実は明らかになりました」
屋上の風が、静かに吹き抜けていった。
浜田麻衣、二十四歳。
彼女が最後に届けようとしていたのは、友人へのプレゼントだった。
そして、その小さな贈り物が、彼女の死の真相を明らかにすることになった。




