第十話 犯人は現場に戻る
ベルチホールディングスの本社ビルは、繁華街から少し離れたビジネス街にあった。
圭司と美咲は、ビルの受付で来訪の理由を伝え、広報担当者に話を聞いていた。
「浜田麻衣さんについて、お聞きしたいことがあるんです」
圭司がそう切り出すと、担当者は少し表情を曇らせた。
「浜田さんですか。以前、こちらで勤務していた方ですね」
「はい。クラブRAINで働く前は、こちらにいたと聞きました」
「そうですね。仕事はできる方だったと聞いています。ただ、退職されてからは、こちらとの直接的な関係はありません」
美咲が尋ねた。
「新しいクラブの出店計画があると聞いたんですが、浜田さんも関係していたんでしょうか?」
担当者は少し考えた。
「その件については、詳しいことはお話しできません。ただ、新店舗の計画が進められていたのは事実ですよ。荻武志さんが、計画に関わっていました」
「やっぱり」
「ええ。新店舗の運営については、荻さんが中心になって考えていたようですよ」
圭司と美咲は顔を見合わせた。
「その計画、現在も進んでいるんですか?」
美咲が尋ねると、担当者は少し言いにくそうに答えた。
「実は、最近になって計画の内容を変更する話が出ています」
「変更?」
「はい。社内でも意見が分かれているようです。特に、荻さんと徳山さんとの間で、意見が対立していると聞いています」
圭司は身を乗り出した。
「対立というのは、どういうことですか?」
「詳しい内容まではわかりません。ただ、荻さんが以前から温めていた新店舗の計画を、徳山さんが別の方向へ変更しようとしているようです」
「荻さんは、それに反対している?」
「そう聞いています」
美咲は眉を寄せた。
「どうして、徳山さんが新店舗の計画に口を出すんでしょう?」
「その方は、会社に対しても一定の影響力を持っています。出資や事業計画にも関わっているようですから」
担当者は、そこで話を切り上げるように資料をまとめた。
「申し訳ありませんが、これ以上はお答えできません」
「わかりました。ありがとうございました」
二人は礼を言って、受付の方へ戻った。
*
「どういうことだ?」
ビルの外に出ると、圭司がつぶやいた。
「荻さんとエリカさんのおじさんが対立していたんだよね」
「ああ。新店舗の計画をめぐってな」
「でも、荻さんは麻衣さんをクラブに紹介した人でしょう? その麻衣さんも、新店舗と何か関係があったはず」
「そうだな」
圭司は腕を組んだ。
「エリカさんのおじさんが計画に口を出していることと、麻衣さんの死がどうつながるんだ?」
「もしかして、麻衣さんが新店舗の計画に関係していたから、何かを知ってしまったのかな」
「まだわからない。荻が何を考えているのかもな」
二人がそんな話をしていると、ビルの正面玄関から一人の男が出てきた。
美咲が先に気づいた。
「あ……圭司」
「どうした?」
「見て。あの人」
男は携帯電話を耳に当て、何か話しながら歩いていた。
圭司も、その姿を確認した。
荻武志だった。
「荻……」
美咲は声を潜めた。
「電話してるね。誰と話してるんだろう」
「わからない。少し様子を見よう」
二人は、気づかれないように距離を取って後を追った。
荻は電話をしながら、何度か周囲を確認していた。
やがて通話を終えると、足早に歩き始めた。
「どこへ行くんだろう?」
美咲が小声で尋ねる。
「わからない。とにかく追ってみよう」
*
荻が向かったのは、見覚えのある場所だった。
「あれ……」
美咲が立ち止まった。
「ここって、浜田麻衣さんのマンションじゃない?」
「ああ。間違いない」
荻は周囲を気にするように一度振り返ると、マンションの中へ入っていった。
圭司と美咲は、少し離れた場所からその様子を見ていた。
「どうして、ここに来たんだろう?」
「わからない。でも、何かあるはずだ」
圭司はマンションの入口を見つめた。
「犯人は現場に戻る、とはこういうことか……」
「圭司、まだ犯人と決まったわけじゃないよ」
「わかってる。だから、確かめるんだ」
二人はマンションの中へ入った。
エントランスには人影がなかった。
エレベーターの扉が閉まろうとしていたが、荻の姿は見えない。
「上に行ったのかな」
「エレベーターを使ったなら、そうだろうな」
二人は階段を上がった。
麻衣の部屋の前を通り過ぎ、さらに上へ進んでいく。
そして、屋上へ続く扉の前にたどり着いた。
圭司は美咲に目配せをした。
扉は、完全には閉まっていなかった。
隙間から、風の音とともに男の声が聞こえてきた。
「……どういうつもりだ」
荻の声だった。
二人は息を潜めた。
「お前が徳山を使って麻衣を!」
荻の怒鳴り声が響いた。
もう一人、男の声が聞こえた。
「麻衣は勝手にここから落ちたんだよ!」
「嘘をつくな!」
「そしてお前も落ちるんだよ」
「くそっ……!」
その直後、何かがぶつかる音がした。
圭司と美咲は顔を見合わせた。
「圭司!」
「ああ!」
二人は、勢いよく屋上の扉を開けた。
*
そこには、荻ともう一人の男がいた。
男は荻の胸元をつかみ、フェンスの近くへ押しやっていた。
「やめろ!」
圭司が叫んだ。
男が振り向く。
荻も驚いたように圭司たちを見た。
「あなたは、……!」
「何をしているんだ!」
圭司は男に向かって駆け寄った。
美咲も荻の方へ走る。
「大丈夫ですか、荻さん!」
「あなたたち、どうしてここに……」
荻が言い終える前に、男は圭司を突き飛ばそうとした。
圭司は腕をつかんで踏ん張った。
「逃がすか!」
男は激しく抵抗した。
屋上の風が吹き抜ける。
フェンスの向こうには、マンションの下の道路が見えていた。
圭司は男の腕を押さえながら、必死に体勢を保った。
「美咲! 荻さんを頼む!」
「わかった!」
美咲は荻を支え、フェンスから離れさせた。
男は圭司の手を振りほどこうとする。
「離せ!」
「何を言ってるんだ! 人を落とそうとしておいて!」
そのとき、階段の方から足音が響いた。
「動くな!」
上野真一の声だった。
上野の後ろには、徳山エリカの姿もあった。
上野は男の様子を確認すると、すぐに駆け寄った。
「野上さん、代わります!」
上野が男を取り押さえた。
男は抵抗を続けていたが、やがて腕を押さえられ、身動きが取れなくなった。
「上野刑事……」
圭司は息を切らしながら、上野を見た。
「どうして、ここが?」
「徳山さんの動きを追っていたらまさか、こんなことになっているとは思いませんでした」
上野は、取り押さえられた男を見た。
「徳山さんも一緒です。彼女から話を聞き、ここへ来ました」
エリカは、荻のそばに駆け寄った。
「荻さん、大丈夫ですか?」
「……ああ。助かったよ」
荻は、苦しそうに息を吐いた。
そして、取り押さえられた男を見つめた。
「もう終わりだ。麻衣のことも、徳山のことも、全部話してもらう」
男は、何も答えなかった。
上野は男の前に立った。
「あなたが、浜田麻衣さんの転落について何を知っているのか。ここで話してもらいます」
男は、ゆっくりと顔を上げた。
圭司は、その男を見つめた。
麻衣の死。
屋上に置かれた靴。
エリカの秘密。
ベルチホールディングスの新店舗計画。
そして、荻が追っていた真実。
それらが、ようやく一つにつながろうとしていた。
しかし、まだ誰も知らなかった。
屋上に置かれた靴が、なぜ麻衣の足に合わなかったのか。
そして、麻衣が最後まで守ろうとしていたものが何だったのかを。
その答えは、これから明らかになる。




