第九話 靴
午後、圭司と美咲は上野と待ち合わせていた。
場所は、警察署近くの喫茶店だった。
テーブルには、浜田麻衣の事件に関する資料が広げられている。
「これまでの話を整理すると、麻衣さんと徳山エリカさんは、以前から親しい関係だった。しかし、最近は言い争うこともあった」
上野が資料を見ながら話した。
「それに、荻武志という男も関係している。麻衣さんと親しかったようですが、どういう関係だったのか、まだはっきりしません」
「店の人たちは、二人が付き合っているように見ていたんですよね」
美咲が確認した。
「ええ。最近は復縁を迫っていたという話もあります。ただ、本人から直接話を聞けていません」
「荻という男、何か隠している気がするな」
圭司がコーヒーを口に運んだ。
「それは私も気になっています。ベルチホールディングスの新店舗計画にも関わっているようですし、単なる常連客というわけではなさそうです」
「麻衣さんが以前働いていた会社も、ベルチホールディングスでしたよね」
美咲が言った。
「そうです。荻と麻衣さん、それに徳山さん。この三人の間に何かあるのかもしれません」
上野は資料を閉じた。
「まずは、それぞれの関係をもう少し調べる必要がありますね」
圭司は、しばらく考え込んでいたが、ふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、屋上にあった靴って、俺が届けたやつなのかな?」
「え?」
美咲が圭司を見る。
「配達したときのことを思い出したんだ。浜田さんの部屋に届けた荷物、もしかしたら靴だったんじゃないかと思ってな」
上野は、鞄から現場写真を取り出した。
「これでしょうか。屋上に置かれていた靴の写真です」
圭司と美咲は、写真をのぞき込んだ。
「うーん……」
圭司が首をかしげる。
「写真だけじゃ、俺にはわからないな。箱の中身までは確認していないから」
「配達記録を調べれば、送り主はわかるかもしれませんね」
上野は写真をテーブルに置いた。
そのときだった。
「あーーーーーっ!?」
突然、美咲が大きな声を上げた。
圭司と上野は、びっくりして美咲を見た。
「な、なんだよ!」
「どうしたんですか、美咲さん?」
美咲は、写真を指さした。
「これだ! おかしいと思ったの!」
「何がだよ?」
「浜田さんの部屋!」
美咲は興奮気味に話し始めた。
「この前、部屋を調べたとき、クローゼットの中にスーツがあったでしょう?」
「ああ。ベルチホールディングスで働いていたころのものだろうって話したな」
「そう! そのスーツの横に、新しい靴が何足か置いてあったの!」
上野が身を乗り出した。
「新しい靴ですか?」
「うん。私、そのとき何か変だと思ったんだけど、何がおかしいのか、はっきりわからなかったんです」
美咲は屋上の靴の写真をもう一度見た。
「今、これを見て思い出した。屋上にあった靴、少し大きかったんじゃない?」
圭司は写真を手に取り、じっくりと見た。
「サイズまでは写真じゃわからないだろ」
「そうだけど、鑑識で確認していないのかな?」
上野は、すぐに警察署へ連絡を入れた。
*
しばらくして、上野のもとに確認結果が届いた。
屋上で発見された靴のサイズは、二十三・五センチだった。
さらに、麻衣の部屋で保管されていた靴を確認すると、普段履いていたものの多くは二十三センチだった。
「二十三と二十三・五か……」
圭司が数字を見比べた。
「たった五ミリだけど、少し大きいね」
美咲が言った。
「そうですね。もちろん、靴のサイズだけで持ち主を判断することはできません。普段より大きな靴を履くこともありますから」
上野は慎重だった。
「ただ、気になるのは、浜田さんの部屋にあった新しい靴と、屋上に置かれていた靴の関係です」
「つまり、屋上の靴は浜田麻衣の靴とは違う可能性があるってことか?」
圭司が尋ねた。
「まだ確認が必要です。しかし、屋上の靴が本人のものではなかったとすれば、話は変わってきます」
美咲は、写真を見つめていた。
「自殺する人が、自分の足に合わない靴をわざわざはいていくかな……」
「そう考えると、誰かが自殺に見せかけるために置いた可能性がありますね」
上野の表情が引き締まった。
自殺を示すものとして考えられていた靴が、逆に他殺を疑わせる証拠になり始めていた。
*
「でも、屋上には争った形跡はなかったんですよね?」
美咲が尋ねた。
「はい。少なくとも、現場からは明らかな争いの痕跡は確認されていません」
「じゃあ、誰かに屋上まで連れていかれて、そこから落とされたわけじゃないのかな」
圭司は腕を組んだ。
「待てよ。そもそも、麻衣さんは本当に屋上にいたのか?」
上野は圭司を見た。
「どういう意味です?」
「屋上に靴があったからって、麻衣さんが屋上から落ちたとは限らないだろ。靴だけ置いて、別の場所から落とすこともできるんじゃないか?」
美咲の表情が変わった。
「そうか……。屋上の靴は、誰かが置いたものかもしれないんだ」
上野は、しばらく黙っていた。
「確かに、その可能性は考える必要がありますね。遺体の状況と建物の構造を、もう一度照合してみます」
「それに、屋上で争った形跡がないのも気になる」
圭司は続けた。
「麻衣さんが自分から屋上へ行ったという証拠も、今のところ靴だけなんだろ?」
「そうですね」
上野はメモを取り始めた。
屋上に置かれた靴。
麻衣の足のサイズとは少し違う。
そして、屋上には争った形跡がない。
自殺という見方を、もう一度考え直す必要があった。
*
「それで、これからどうするんですか?」
美咲が尋ねた。
「まずは徳山さんと荻武志について、もう一度調べます」
上野は資料を二人の前に置いた。
「麻衣さんの周囲で、事件に関係しそうな人物は限られています。二人が何を知っているのか、確認する必要があります」
「荻については、俺たちも調べてみるよ」
圭司が言った。
「野上さん、あまり無理をしないでくださいよ」
「わかってるって」
「その返事は、あまり信用できませんね」
美咲が横から口を挟んだ。
「圭司は、気になるとすぐ動くからね」
「お前まで何を言ってるんだ」
上野は苦笑した。
「とにかく、今回は慎重にお願いします」
三人は喫茶店を出た。
それぞれが、徳山エリカと荻武志の関係を追うことになった。
エリカは何を知っているのか。
荻はなぜ、麻衣の死に疑問を抱いているのか。
そして、屋上に置かれていた靴は、本当に麻衣のものだったのか。
圭司は、もう一度マンションを振り返った。
あの日、自分が荷物を届けた女性は、普通に笑って礼を言った。
その女性が、なぜ屋上から飛び降りたと判断されているのか。
圭司の疑問は、少しずつ確信に変わり始めていた。
麻衣は、本当に屋上から落ちたのだろうか。




