第七話 残された
警察署では、浜田麻衣の転落について、鑑識による現場調査が進められていた。
上野真一は、報告書に目を通していた。
遺体の損傷状況や現場の状況から、現時点では高所からの転落死とみられていた。屋上には麻衣の靴もそろえて置かれている。
警察は、屋上から転落した可能性が高いと考えていた。
事故なのか、自殺なのか。
いずれにしても、麻衣が転落して命を落としたことに変わりはなかった。
「……やはり、屋上から落ちた可能性が高いか」
上野は報告書を閉じた。
しかし、まだ納得できないことがあった。
なぜ麻衣は、あの日、屋上へ行ったのか。
自殺を考えていたのか。それとも、屋上に何か用事があったのか。
そして、圭司が配達した直後に転落したことも気になっていた。
*
その日の午後、圭司と美咲は警察署を訪ねていた。
「上野刑事、ちょっとお願いがあるんだけど」
圭司が切り出すと、上野は嫌な予感がしたように顔を上げた。
「……何でしょうか」
「浜田さんの部屋を、もう一度調べたいんだ」
「またですか?」
「またって、まだ何もしてないだろ」
「野上さんたちが来ると、いつもそうなるんですよ」
上野は困ったように眉間を押さえた。
「事件のことは警察で調べています。お二人まで無理に関わる必要はないでしょう」
「でも、浜田さんがどうして屋上に行ったのか、部屋を見れば何かわかるかもしれないじゃない」
美咲が横から口を挟んだ。
「そうだよ。本人がどんな暮らしをしていたのか、何か悩みを抱えていたのか。俺たちにも気づけることがあるかもしれない」
「……まったく」
上野は深いため息をついた。
「どうして、毎回こうなるんですかね」
「頼むよ、上野さん」
「わかりました。ただし、勝手に物を触らないこと。確認が済んでいる場所だけにしてください」
「わかった」
「本当にお願いしますよ」
上野は、渋々二人を連れていくことにした。
*
浜田麻衣の部屋は、警察による初期の現場確認が済んでいた。
上野の案内で室内に入ると、美咲はゆっくりと周囲を見回した。
「きれいな部屋だね」
「そうだな。一人暮らしにしては、かなり片づいている」
圭司はリビングを見渡した。
テーブルの上には雑誌が置かれ、化粧品はきちんと整理されている。キッチンにも、特に散らかった様子はなかった。
「生活に困っていたようには見えないね」
美咲が言った。
「以前も話したけど、経済的に追い詰められていた形跡はなさそうです」
上野が答える。
「クラブでもナンバーワンだったんだろ? それなりに稼いでいたんじゃないか」
「そうですね。ただ、収入については、今後もう少し確認する必要があります」
圭司は部屋の奥へ進んだ。
寝室にはベッドとクローゼットがあり、棚にはバッグやアクセサリーが並んでいた。
「少し見てもいいですか?」
上野が確認すると、圭司はうなずいた。
「もちろん。確認が済んだ範囲でな」
美咲がクローゼットの扉を開けた。
中には、普段着やワンピース、仕事で使っていたと思われる衣装が並んでいる。
その奥に、一着のスーツがあった。
「これ、仕事用かな?」
美咲がスーツを見つめた。
派手な装飾はなく、落ち着いた色合いのシンプルなデザインだった。キャバクラで働く麻衣の服装とは、少し雰囲気が違う。
「会社勤めをしていたころのものじゃないか?」
圭司が言った。
「前にいたころの?」
「そうだ。以前は会社員だったんだろ」
美咲はスーツから手を離し、クローゼットの中をもう一度眺めた。
「あれ?」
「どうした?」
圭司が振り返る。
「なんか、おかしい」
「何がですか?」
上野も近づいてきた。
「うーーーん……」
美咲は首をかしげた。
「何だろう。なんか変だけど、何なのかわからない」
「何だよ、はっきり言えよ」
「だから、わからないって言ってるじゃない」
圭司は苦笑した。
上野も、少し困ったような表情を浮かべた。
「何か気づいたら、また教えてください」
「うん……」
美咲は、もう一度スーツを見た。
何かが引っかかる。
けれど、それが何なのか、まだ言葉にできなかった。
*
そのとき、圭司は棚の上に置かれた写真立てに気づいた。
「あれ? これ、写真か」
手に取って見る。
そこには、麻衣と一人の男性が並んで写っていた。
男性はスーツ姿で、麻衣も先ほどクローゼットで見たような落ち着いた服装をしている。
二人とも、カメラに向かって笑っていた。
「浜田さんと、男の人ですね」
上野が写真をのぞき込んだ。
「荻武志という男でしょうか」
「たぶんそうだ。店の人たちが話していた、麻衣さんと親しかった男だろう」
圭司は写真をしばらく眺めていた。
「恋人だったみたいだから、写真の一つくらいあるでしょう」
上野が言った。
「いや……これじゃないのか」
「何がです?」
「美咲がさっきから気にしていることだよ」
圭司は写真を美咲に渡した。
「なんか、恋人同士の映り方か、これ?」
「どれどれ……」
美咲は写真を受け取り、じっくりと見た。
「あ、本当だ」
「だろ?」
「なんか、上司と部下っぽい」
二人は改めて写真を見つめた。
男性は麻衣の肩を抱いているわけでもなく、二人の距離も特別近いわけではない。
どちらかといえば、仕事関係の記念写真のように見える。
上野は肩をすくめた。
「こういう仲もあるでしょう。恋人同士だからといって、必ずしも親しげに写るとは限りません」
「まあ、それはそうだけど」
圭司は写真の裏側を確認した。
日付や場所を示すものは見当たらない。
「これ、いつ撮った写真なんだろうな」
「ベルチホールディングスで働いていたころじゃない?」
美咲が答えた。
「スーツ姿だし、仕事関係の写真かもしれない」
上野は写真を元の場所に戻すよう促した。
「写真だけでは何とも言えません。荻さんについては、引き続き調べる必要がありますね」
*
部屋を出る前に、美咲はもう一度、振り返った。
やはり、何かが気になる。
麻衣は会社を辞めて、クラブで働くようになった。
それなのに、以前の仕事の服を大切に残している。
そして、荻との写真も、どこか恋人同士という雰囲気ではなかった。
「圭司、麻衣さんって、本当に荻さんと付き合っていたのかな?」
「店の人たちは、そう思っていたみたいだけどな」
「でも、あの写真を見ると、ちょっと違う気がする」
圭司は少し考えた。
「まだ何か事情があるのかもしれないな」
上野は二人の話を聞きながら、玄関へ向かった。
「とにかく、荻武志については確認してみます。あの男性が誰なのか、どういう関係だったのかも含めて」
「頼むよ」
「野上さん、これは警察の仕事ですからね」
「わかってるって」
上野は、また小さくため息をついた。
三人は部屋を後にした。
麻衣はなぜ会社を辞めたのか。
荻との写真は、なぜ恋人同士という雰囲気ではなかったのか。
そして、美咲が感じた違和感は何だったのか。
まだ答えは見つからない。
ただ、浜田麻衣という女性は、周囲が思っていた以上に、複雑な過去と人間関係を持っていたのかもしれなかった。




