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美咲のオヤジの配達記録簿  作者: 空雨 素志


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第六話 荻武志



 野上家の一階にある小さな事務所で、圭司と美咲は向かい合っていた。


 机の上には、浜田麻衣に関するメモが何枚も広げられている。


「エリカさん、かなり自分を責めていたね」


 美咲が言った。


「ああ。麻衣さんにひどいことを言ったから、自殺させてしまったんじゃないかってな」


「でも、本当にそれだけが理由なのかな」


 圭司は腕を組んだ。


「屋上には靴がそろえて置かれていた。警察は自殺の可能性を考えているけど、俺にはどうも引っかかるんだ」


「配達したときのこと?」


「ああ。麻衣さんは普通に荷物を受け取った。もちろん、それだけで自殺じゃないとは言えない。でも、あのときの様子を思い出すと、どうしても気になるんだよ」


 美咲は、机の上のメモに目を落とした。


 クラブRAIN。


 浜田麻衣、二十四歳。


 徳山エリカ、二十六歳。


 そして、店の関係者が話していた、もう一人の男。


「そういえば、クラブで逃げた男がいたでしょう?」


「ああ。荻武志とかいう男だな」


「麻衣さんの常連客だったんだよね。最近は店に来ていなかったのに、あの日はどうして来ていたんだろう」


「そこだな」


 圭司はメモを引き寄せた。


「警察が追っているだろうが、俺たちも麻衣さんがどんな生活をしていたのか、もう少し調べてみよう」


「うん。まずは荻という人が、どういう男なのかだね」


     *


 美咲が調べ始めると、荻武志という男について、意外なことがわかってきた。


 荻は、夜の店ではそれなりに知られた存在だった。


 キャバクラの経営者や店長、常連客の中にも顔見知りが多い。店を移った女性のことを知っていたり、別の店の客を紹介したりすることもあるらしい。


 ただし、会社の役職や、普段どこで何をしているのかといった私生活については、ほとんど情報が出てこなかった。


「変な人だね。顔は広いのに、荻のことは誰も知らないなんて」


 美咲はパソコンの画面を見ながら言った。


「人付き合いがうまいだけかもしれないだろ」


「それにしても、情報が少なすぎるよ。店の人も、荻さんがどんな仕事をしているのか、はっきり知らないみたい」


「そういう人間もいるさ。だが、麻衣さんとの関係は気になるな」


 二人は、クラブRAINで聞いた話を整理した。


 荻は、以前は頻繁に店へ通っていた。


 麻衣の指名客で、彼女がナンバーワンになるまでにも、何らかの形で関わっていたらしい。


 そして、最近は店に姿を見せなくなっていた。


「麻衣さんが亡くなる前に、何かあったんじゃないかな」


 美咲がつぶやいた。


「可能性はある。上野刑事にも伝えておこう」


 圭司は携帯電話を取り出した。


     *


 その日の夕方、二人はクラブRAINで聞いた話をもとに、麻衣の以前の生活についても調べることにした。


 そこで浮かび上がったのが、ベルチホールディングスという企業の名前だった。


 麻衣は上京したばかりのころ、ベルチホールディングスの本社で働いていたという。


 当時の知人に話を聞くと、麻衣は意外なほど仕事ができる女性だったらしい。


 書類の整理だけでなく、数字の管理や取引先との連絡にも手際よく対応していた。周囲からの評判も悪くなかったという。


 ところが、麻衣は長く勤めず、会社を辞めてしまった。


「仕事ができたのに、すぐに辞めたんだね」


 美咲は、資料を見ながら首をかしげた。


「何か事情があったのかな」


「そこまではわからない。本人が何も話していなかったら、周りも知らないだろう」


 圭司は資料を読み進めた。


 麻衣が会社を辞める前後に知り合ったのが、荻武志だった。


 荻は麻衣に、クラブで働いてみないかと勧めたらしい。


 当初、麻衣は夜の仕事になじめなかった。接客の距離感もつかめず、客との会話にも苦労していたという。


 そんな彼女が少しずつ店に慣れていったきっかけは、徳山エリカとの出会いだった。


 二人は同じ店で働くうちに仲良くなり、仕事の悩みを相談し合うようになった。


 美咲は、ふと手を止めた。


「……麻衣さんとエリカさんって、最初からライバルだったわけじゃないんだね」


「そうだな。最初は、お互いに支え合っていたんだろう」


「それなのに、どうして関係が変わっちゃったんだろう」


 圭司は、しばらく考えていた。


「ナンバーワンになって、周りからの見られ方が変わったのかもしれない。本人たちにしかわからない事情もあったんだろうが」


 麻衣は、やがて店のナンバーワンになった。


 エリカはナンバーツーだった。


 その順位が二人の間にどんな影響を与えたのか。エリカの話だけでは、まだ判断できなかった。


     *


「圭司、もう一つ、気になることがあるんだけど」


 美咲は、パソコンの画面を圭司に向けた。


「ベルチホールディングスって、クラブRAINも経営しているんだよ」


「同じ会社が?」


「うん。グループでいくつか事業をやっているみたい。クラブRAINも、同じベルチホールディングスの傘下なんだって」


 圭司は、画面の企業情報を見つめた。


「ということは、麻衣さんは一度会社を辞めてから、同じグループの店で働くようになったのか」


「そういうことになるね」


「荻に勧められて、か……」


 圭司は、腕を組み直した。


 偶然なのかもしれない。


 会社を辞めた女性が、知り合いの勧めで別の仕事に就く。それ自体は、何も不自然ではない。


 しかし、荻が夜の世界で顔が広いこと。麻衣がベルチホールディングスで働いていたこと。そして、同じグループのクラブRAINでナンバーワンになったこと。


 それらが一つにつながると、何かが隠されているようにも思えた。


「麻衣さんは、なぜ前の会社を辞めたんだろうな」


「仕事ができたのに、すぐ辞めたんだもんね」


「その理由と、荻がクラブを勧めたことに関係があるのかもしれない」


 圭司は、メモに新しい項目を書き加えた。


 ベルチホールディングス。


 荻武志。


 浜田麻衣の退職理由。


 まだ、これらが事件に関係していると決まったわけではない。


 だが、麻衣の過去をたどることで、彼女がどんな人間関係の中にいたのかが、少しずつ見えてきた。


     *


 夜、圭司は上野に電話をかけた。


「上野さん。麻衣さんについて、少し気になることがわかりました」


『何ですか?』


「荻武志という男です。クラブRAINの常連客で、麻衣さんがナンバーワンになるまでにも関わっていたらしい」


『ええ。荻については、こちらでも確認を進めています』


「それから、麻衣さんは上京したばかりのころ、ベルチホールディングスの本社で働いていたそうです」


『ベルチホールディングス……』


「クラブRAINも、その会社のグループが経営しています。麻衣さんは一度会社を辞めてから、荻の勧めでクラブで働くようになったようです」


 電話の向こうで、上野が黙り込んだ。


『なるほど。単なる元交際相手というだけではない可能性がありますね』


「まだ、どこまで事件に関係しているかはわかりません。でも、麻衣さんが会社を辞めた理由も、荻が彼女を店に勧めた理由も、気になっています」


『わかりました。こちらでも調べてみます』


 通話が終わると、圭司は携帯電話を机に置いた。


 美咲は、壁に掛かった時計を見上げていた。


「荻さんって、いったい何者なんだろうね」


「さあな」


 圭司は、メモに記された名前を見つめた。


 荻武志。


 麻衣の元交際相手なのか、それとも仕事を紹介しただけの知人なのか。


 彼は夜の世界で顔が広い一方、普段の生活がほとんど知られていない。


 そして、麻衣が亡くなった日に、久しぶりにクラブRAINへ姿を現していた。


 偶然と考えることもできる。


 だが、圭司はどうしても気になっていた。


 麻衣は、ベルチホールディングスで働いていたころに何を知ったのだろう。


 そして、荻はなぜ、彼女にクラブで働くよう勧めたのだろうか。


 答えは、まだ見つからなかった。


 ただ一つ確かなのは、浜田麻衣の過去には、警察もまだ十分に把握していない人間関係が隠されているということだった。

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