第五話 私が殺した
翌日の午後。
上野真一は、クラブ「RAIN」の責任者を通じて、徳山エリカと連絡を取っていた。
浜田麻衣の死について、詳しい話を聞きたいと伝えると、エリカは少し迷ったあと、会うことを承諾した。
指定されたのは、繁華街から少し離れた喫茶店だった。
上野が店に入ると、窓際の席に一人の女性が座っていた。徳山エリカ、二十六歳。クラブRAINで働くキャバ嬢で、麻衣に次ぐナンバーツーの売り上げを持つ女性だった。
「徳山さんですか?」
上野が声をかけると、エリカは顔を上げた。
「……はい。警察の方ですよね」
「上野と申します。お時間をいただいて、ありがとうございます」
上野が向かいの席に座ると、エリカは落ち着かない様子でカップに手を伸ばした。
「浜田さんのことで、お話を聞きたいんです」
「麻衣のこと……ですよね」
エリカは小さく息を吐いた。
「亡くなったことは聞いています。お店の人から連絡があって……」
「驚かれたでしょうね」
「はい。でも……」
エリカは言葉を切り、うつむいた。
「私、もしかしたら、こうなることを予想できたのかもしれません」
上野は、彼女の表情を注意深く見つめた。
「それは、どういう意味ですか?」
エリカはしばらく黙っていた。
そして、顔を上げると、静かに言った。
「……私が麻衣を殺したんです」
上野の手が止まった。
「今、何とおっしゃいました?」
「私が、麻衣を殺したんです」
エリカの目には、涙が浮かんでいた。
*
「徳山さん。落ち着いて、詳しく話してください」
上野は声を荒らげず、静かに促した。
エリカは何度か息を整えたあと、話し始めた。
「麻衣とは、昔から仲がよかったんです。店で働き始めたころから、ずっと一緒でした」
「親しい友人だったんですね」
「はい。私が落ち込んでいるときは麻衣が励ましてくれたし、麻衣がつらいときは、私が話を聞いていました。どちらか一方が支えるんじゃなくて、お互いに支え合っていたんです」
エリカは懐かしむように目を伏せた。
「麻衣がナンバーワンになったときも、最初は本当にうれしかったんです。あの子が頑張っていたのを知っていたから」
「それから、関係が変わっていった?」
「……少しずつです」
エリカは、カップの縁を指でなぞった。
「麻衣がナンバーワンになってから、いろいろ口を出すようになったんです。もっとこうした方がいいとか、あのお客さんにはこう接した方がいいとか。最初は、私のことを心配してくれているんだと思っていました」
「違ったんですか?」
「わかりません。でも、だんだん、それだけじゃなくなっていったんです」
エリカの声に、少しずつ感情がこもっていった。
「仕事のことだけじゃなくて、私生活にまで口を出してくるようになりました。誰と会っているのか、誰と連絡を取っているのか。何かあるたびに、私にあれこれ言ってくるんです」
「浜田さんは、何と言っていたんですか?」
「私のためだって……。私が傷つかないように、心配しているんだって言っていました」
エリカは苦笑した。
「でも、私はもう子どもじゃありません。自分のことくらい、自分で決められます。それなのに、麻衣は私のことを何もわかっていないみたいに、いつまでも口を出してくるんです」
「それで、言い争いになった?」
「はい」
エリカはうなずいた。
「麻衣は、私が何かを隠していると思っていたんだと思います。それに、私が誰かと親しくしていることを、よく思っていなかったように感じました」
「嫉妬していた、と?」
「……私は、そう思っていました」
上野は、手帳を開いた。
店の関係者も、二人が言い争っていたことを証言していた。
ただ、何について争っていたのかは、誰もはっきりとは知らない。
「徳山さんは、浜田さんに何かひどいことを言ったんですか?」
エリカの表情が曇った。
「……はい」
「どんなことを?」
エリカは、長い沈黙のあと、声を絞り出した。
「もう、私に関わらないでって言いました」
「それだけですか?」
「いいえ……」
エリカの目から、涙がこぼれた。
「『私のことを何もわかっていないくせに、偉そうなことを言わないで』って。『あなたがナンバーワンだからって、私の人生まで決めないで』って……」
彼女は唇をかんだ。
「最後に、『もう友達でも何でもない』って言ってしまったんです」
上野は黙って聞いていた。
「麻衣は、何も言い返しませんでした。ただ、悲しそうな顔をして……。そのまま、帰ってしまったんです」
「それは、いつごろのことですか?」
「事件の少し前です」
「そのあと、浜田さんとは会っていない?」
「……はい」
エリカは顔を覆った。
「まさか、本当にあんなことになるなんて思わなかったんです。あのとき、ちゃんと話を聞いていれば……。あんな言い方をしなければ……」
声が震えた。
「私が、麻衣を追い詰めたんです」
*
上野は、慎重に言葉を選んだ。
「徳山さん。浜田さんが自殺したと考えているんですか?」
エリカは、涙をぬぐいながらうなずいた。
「屋上に、麻衣の靴がそろえて置いてあったと聞きました。警察も自殺の可能性を調べているんですよね?」
「その可能性も含めて、調べています。ただ、まだ自殺と決まったわけではありません」
「……でも、あの子、つらかったんだと思います」
エリカは、うつむいたまま続けた。
「仕事も、私との関係も、何もかもうまくいかなくなっていたんじゃないでしょうか。私が最後に、あんなことを言ったから……」
「浜田さんが、仕事や人間関係で悩んでいたということですか?」
「はい。少なくとも、私にはそう見えました」
上野は手帳に記録を残した。
エリカは、自分の言葉が麻衣を追い詰め、自殺へと向かわせたのだと思い込んでいるようだった。
しかし、上野は一つの疑問を抱いていた。
エリカの話は、あくまで彼女自身の解釈だった。
麻衣が何を考えていたのか。本当に自殺するつもりだったのか。それは、まだ何も確認されていない。
「徳山さん。もう一つ、聞かせてください」
「……何ですか?」
「浜田さんが亡くなる前、彼女と連絡を取ったことはありますか?」
エリカは少し考えてから答えた。
「何度か、メッセージが来ていました。でも、私は返事をしませんでした」
「なぜですか?」
「……腹が立っていたからです。麻衣が私のことに口を出すのが嫌で、しばらく距離を置こうと思っていました」
「最後のメッセージには、何と書かれていたんですか?」
エリカは、ためらいながら携帯電話を取り出した。
「これです」
上野は画面を確認した。
そこには、麻衣からの短いメッセージが残されていた。
――エリカ、お願いだから、一度だけ私の話を聞いて。
それだけだった。
上野は、しばらく画面を見つめていた。
「……このメッセージに、返事はしなかったんですね?」
「はい」
エリカは、泣きそうな顔でうなずいた。
「今思えば、麻衣は私を心配してくれていたのかもしれません。でも、そのときの私は、そう思えなかったんです」
上野は携帯電話から目を離した。
エリカの話には、後悔があふれていた。
彼女は、麻衣を傷つけたと思っている。そして、そのことが麻衣の死につながったのだと信じている。
だが、それは本当に真実なのだろうか。
*
喫茶店を出ると、午後の日差しが二人を照らした。
エリカは、最後にもう一度、上野に頭を下げた。
「刑事さん……。私があの子を殺したんです。直接手を下したわけじゃなくても、私の言葉が、麻衣を死なせたんだと思います」
上野は、静かに答えた。
「徳山さん。今は、ご自身を責めすぎないでください。何があったのかは、警察がきちんと調べます」
エリカはうなずいたが、その表情は晴れなかった。
上野は彼女を見送ると、携帯電話を取り出し、圭司に連絡した。
『もしもし、上野さん?』
「野上さん。徳山エリカさんに話を聞いてきました」
『何かわかったんですか?』
「ええ。彼女は、浜田麻衣さんと事件の少し前に言い争っていたそうです。そして、自分の言葉が麻衣さんを追い詰め、自殺させてしまったのではないかと考えているようでした」
『自殺……か』
「ただ、本人の思い込みだけで死因を判断することはできません。まだ調べる必要があります」
電話の向こうで、圭司が考え込む気配がした。
『俺は、どうも腑に落ちないんだよな』
「何がですか?」
『配達のとき、麻衣さんは普通に荷物を受け取った。あのあと、いったい何があったんだろうって』
上野は、マンションの屋上にそろえられていた靴を思い浮かべた。
「……そうですね。まだ、わからないことがあります」
自殺なのか、他殺なのか。
エリカは自分が麻衣を死なせたと思っている。
しかし、彼女の告白が示しているのは、二人の間にあった感情のもつれだけなのかもしれない。
上野は、次に調べるべきことを頭の中で整理した。
浜田麻衣が最後に誰と会い、何をしようとしていたのか。
そして、屋上に置かれた靴は、本当に彼女自身がそろえたものなのか。
その答えは、まだ見つかっていなかった。




