第三話 クラブ「RAIN」
マンションの前には、規制線が張られていた。
救急隊員による対応が終わり、浜田麻衣の遺体は警察の手続きに従って搬送されることになった。現場では鑑識が写真を撮影し、警察官たちがマンションの住人への聞き込みを始めていた。
上野真一は、同僚の刑事とともにエレベーターへ乗り込んだ。
「まずは屋上を確認しましょう。靴が置かれていたという話でしたね」
「はい。発見した警察官が、現場を保存しています」
二人は最上階で降り、屋上へ続く扉を開けた。
屋上には、給水設備や空調の室外機が並んでいた。周囲を見渡すと、フェンスの近くに一足の靴が置かれている。
確かに、きちんとそろえて並べられていた。
「これが、被害者の靴か」
上野は、鑑識が確認している様子を見つめた。
「ここから飛び降りた可能性がある、ということですね」
「現時点では、その可能性があります。ただ、靴が置かれていたというだけで、自殺と決めつけることはできません」
上野は屋上を見回した。
ほかに、争った形跡や、誰かが残したものはないか。フェンスや出入口の状況も含めて、慎重に確認していく必要があった。
「靴以外に、目立ったものは?」
「今のところ、これといったものはありません」
「そうですか。引き続き調べてください」
上野は屋上をあとにした。
自殺なのか、それとも別の何かが起きたのか。
まだ、判断するには早かった。
*
続いて、警察は浜田麻衣の部屋を確認した。
室内は、ひとり暮らしの女性の部屋としては、きれいに片づいていた。
化粧品が並んだドレッサー。整理された衣類。テーブルの上には、飲みかけのペットボトルと、雑誌が数冊置かれている。
上野は室内を見回した。
「身の回りのものは、きちんと整理されていますね」
「ええ。少なくとも、生活に困っていたようには見えません」
同僚の刑事が、クローゼットや収納の中を確認していた。
衣類やバッグは比較的質のよいものが多く、化粧品も決して安価なものばかりではない。財布の中身や口座の情報など、経済状態を判断するにはさらに確認が必要だが、部屋の様子からは、生活費に困窮していたような印象は受けなかった。
「自殺の動機につながりそうなものは、今のところ見当たりませんね」
「そうですね。ただ、部屋が整っているからといって、悩みがなかったとは限りません」
上野は、机の上に視線を向けた。
書類や郵便物の中に、名刺が一枚置かれていた。
手に取って確認すると、そこには店名と女性の名前が印刷されていた。
クラブ「RAIN」
そして、その下に――。
浜田麻衣。
「クラブ……RAIN?」
上野は名刺を見つめた。
「キャバクラかもしれませんね」
「ええ。本人の職業がわかる手がかりになりそうです」
上野は名刺を記録に残すよう指示した。
「勤務先を調べましょう。麻衣さんがどんな生活をしていたのか、交友関係も含めて確認したい」
「わかりました」
名刺一枚だったが、事件の背景を知るための手がかりになるかもしれなかった。
*
マンションの住人への聞き込みも進められていた。
上野は、麻衣の部屋の近くに住む女性に話を聞くことにした。
「浜田さんについて、何かご存じのことはありませんか? 普段の様子や、訪ねてくる人など」
「そうですね……。あの方、ひとり暮らしでしたよね。以前は、男の人が訪ねてくるのを何度か見かけました」
「男性ですか。どんな方でしたか?」
「若いというほどでもないですけど、浜田さんと親しそうな感じでした。何度か見たので、恋人なのかなと思っていました」
「最近も、その男性を見かけましたか?」
女性は首を横に振った。
「いえ。そういえば、最近は見かけませんね。いつからだったか、はっきりとは覚えていませんけど」
上野は手帳に記録した。
「ほかに、浜田さんを訪ねてくる人はいましたか?」
「もう一人、女性を見かけたことがあります。浜田さんと同じくらいの年齢だったと思います」
「その女性とは、親しそうでしたか?」
「顔を合わせたのを見ただけなので、そこまではわかりません。ただ、何度か見かけた気がします」
「その方も、最近は?」
「最近は、見ていませんね。そもそも、同じ職場の人なのかどうかもわかりませんし……」
「わかりました。ありがとうございます」
上野は礼を述べ、次の部屋へ向かった。
別の住人からも、似たような話が聞けた。
麻衣のもとには、以前、男性が通っていたらしい。だが、最近はその姿を見かけなくなっていた。
そして、麻衣と同じくらいの年齢の女性も、マンションを訪ねていたことがあるという。
その女性が誰なのか、男性とはどんな関係だったのか。今の段階では、まだわからない。
*
マンションの外へ戻った上野は、聞き込みの内容を整理した。
浜田麻衣、二十四歳。
クラブ「RAIN」で働いていた可能性が高い。
部屋の様子からは、経済的に追い詰められていたような印象はない。自殺の動機につながる明確なものも見つかっていなかった。
以前、麻衣の部屋を訪ねていた男性は、最近になって姿を見せなくなっている。
さらに、同年代の女性も何度か訪ねていたらしい。
「……人間関係を調べる必要がありそうですね」
上野がつぶやいた。
そこへ、先ほど屋上の確認に向かった同僚が戻ってきた。
「上野さん、屋上の確認はひとまず終わりました。靴は、引き続き鑑識で調べます」
「ありがとう。こちらは、勤務先がわかりました。クラブ『RAIN』です」
上野は名刺を見せた。
「明日、店に聞き込みへ行きましょう。麻衣さんがどんな人物だったのか、誰と親しかったのか。そこから調べていきます」
同僚はうなずいた。
「自殺かどうかも、まだ断定できませんからね」
「そうです。現場の状況だけで決めつけることはできません」
上野はマンションを見上げた。
屋上に置かれた靴。
以前、麻衣のもとを訪ねていた男性。
そして、もう一人の女性。
それぞれが、何かを知っているのかもしれない。
しかし、今はまだ、どの手がかりが事件につながるのかもわからなかった。
まずは、浜田麻衣が働いていたクラブ「RAIN」。
そこに、彼女の知られざる人間関係が残されているはずだった。




