第十話 最後の買い物
警察署の自席で、上野真一は飯塚孝志の事故当日の記録を広げていた。
机の上には、配送記録、事故現場の写真、鑑識から届いた報告書が並んでいる。その中には、事故の衝撃で破損したドライブレコーダーの復元データもあった。
これまでの捜査で、飯塚の周囲にはいくつもの疑わしい事情が見つかっていた。
金銭をめぐって揉めていた運行管理者の桂川。事故直前に口論していた荒木。そして、事故当日に飯塚へ鎮痛薬を渡していた後輩の中間。
だが、誰にも飯塚を殺害したと裏づける証拠はなかった。
「……そもそも、飯塚さんは事故の直前、何をしていたんだ」
上野は配送記録を最初から確認し直した。
飯塚は事故当日、中間の配送ミスを引き受け、予定外の再配送を行っていた。そのため、帰りが遅くなったことはわかっている。
しかし、最後の配送を終えてから事故に遭うまでの行動には、まだ空白が残っていた。
上野は紙に時刻を書き出していった。
配送先への到着時刻。荷物の受け渡しが完了した時刻。車両が配送先を離れた時刻。
記録を照らし合わせていくと、一つ気になる点が浮かび上がった。
「おかしいな……」
上野は、ペンを止めた。
飯塚は最後の配送を終えたあと、そのまま自宅へ向かっていなかった。
途中で、別の場所に立ち寄っていた可能性がある。
*
「上野さん、ドライブレコーダーのデータが一部復元できました」
鑑識担当の職員が、解析結果を持ってきた。
「衝突の衝撃で本体が破損していて、記録が失われた部分もあります。ただ、事故直前までの映像の一部は取り出せました」
「見せてもらえますか」
上野はモニターの前に移動した。
映像はところどころ乱れ、音声も途切れていた。
それでも、道路の様子やトラックの進行方向は確認できた。
画面の中で、飯塚のトラックは配送先から出発し、いくつかの交差点を通過していく。
しばらくすると、トラックは商店街に近い道路へと入った。
「ここですね」
上野は画面を指さした。
「配送先から自宅へ直行せず、この付近に立ち寄っている」
「はい。映像の時刻も、配送記録とおおむね一致しています」
「何のために立ち寄ったのかは、まだわからないんですね」
「そうです。残念ながら、映像が途切れている部分がありまして。飯塚さんが車を降りたかどうかも、はっきり確認できません」
「わかりました。ありがとうございます」
職員が部屋を出ていくと、上野は再び映像を見つめた。
配送を終えたあとに寄り道をしていた。
仕事の都合だったのか。それとも、個人的な用事だったのか。
その答えを探すように資料をめくっていたとき、遺留品の一覧が目に入った。
財布、携帯電話、鍵、衣類。
その中に、気になる品があった。
事故現場で回収された、しわくちゃになったレシートだった。
*
レシートは事故の衝撃で強く折れ曲がり、文字も一部が読みづらくなっていた。
鑑識が丁寧に広げて印字を確認した結果、購入した店と品名、時刻の一部が判明していた。
上野は写真を手に取り、目を細めた。
「……惣菜店か」
記載されていた店は、あの商店街にある小さな店だった。
さらに、商品名の欄が読めない。
上野は、レシートとドライブレコーダーの映像を見比べた。
購入時刻は、トラックが商店街付近を通過した時間帯と矛盾していない。
つまり、飯塚は配送を終えたあと、商店街に立ち寄り、そこで買い物をしていた可能性が高い。
「どうして、わざわざ……」
上野はつぶやいた。
その店に、何か特別な理由があったのだろうか。
誰かに頼まれたのか。それとも、自分が食べるためだったのか。
現時点では、わからない。
だが、事故の前に飯塚が何をしていたのかを知るためには、確かめておく必要があった。
上野は、レシートに記載された店の住所を確認した。
「現地へ行ってみるか」
*
午後、上野は商店街を訪れていた。
昔ながらの店が並ぶ通りは、夕食の買い物をする人々で賑わい始めていた。惣菜の香ばしい匂いが漂い、自転車を押す人や、店先で立ち話をする人の姿があちこちに見える。
上野はレシートに書かれた住所を頼りに、小さな惣菜店を見つけた。
店先には、揚げ物や煮物が並んでいる。
「いらっしゃいませ」
店員が声をかけた。
上野は警察手帳を提示した。
「警察の者です。少し、お聞きしたいことがあるのですが」
店員の表情が変わった。
「警察……ですか?」
「先日、こちらで買い物をされた方について確認したいんです。飯塚孝志さんという男性ですが」
店員は少し考えてから、うなずいた。
「ああ……飯塚さん。覚えていますよ」
「ご存じなんですか?」
「ええ。この辺りの配送を担当している方ですよね。何度か見かけたことがあります」
「事故に遭う日のことも覚えていますか?」
店員の顔から笑みが消えた。
「……あの日、亡くなられたんですよね。ニュースで知りました」
「はい。事故の日、こちらで購入された記録が残っています。間違いないでしょうか」
上野がレシートの写真を見せると、店員はそれを確認して、はっきりとうなずいた。
「間違いありません。これうちのエビの唐揚げです」
「エビの唐揚げ?飯塚さんご本人が買いに来たんですか?」
「はい。私が対応しました。夕方でしたね。いつもみたいに配達の仕事の途中だったのか、作業着を着ていました」
「何か、いつもと違う様子はありませんでしたか?」
店員は記憶をたどるように、少し視線を上げた。
「そうですね……。特に変わったことはなかったと思います。商品を受け取って、お金を払って、そのまま帰られました」
「誰かと一緒でしたか?」
「いえ、お一人でした」
上野は手帳に記録した。
飯塚は、事故当日、配送を終えたあとに商店街へ立ち寄り、エビの唐揚げを購入していた。
それは、遺留品のレシートだけでなく、店員の証言によっても確認できた。
「ご協力ありがとうございました」
上野は礼を述べ、店を出た。
夕暮れの商店街を歩きながら、もう一度、手帳の記録を見つめた。
飯塚孝志は、事故当日、帰宅する前にエビの唐揚げを買っていた。
なぜ、それを買ったのか。
誰のために買ったのか。
そして、その買い物は、事故と何か関係があるのだろうか。
今は、まだわからない。
しかし、飯塚が最後に立ち寄った場所と、最後に買ったものは、ようやく明らかになった。




