第四話 事故の可能性
翌日の午後、圭司のスマートフォンが鳴った。
画面に表示された名前は、上野真一だった。
「もしもし、上野さん?」
『野上さん、今、お時間はありますか。飯塚さんの事故について、少しお話ししたいことがあります』
上野の声は、いつもより慎重だった。
「何か分かったんですか?」
『ええ。できれば、美咲さんも一緒に聞いていただきたいのですが』
圭司は隣にいた美咲を見た。
「分かりました。今から会えますか?」
『警察署まで来ていただけますか』
電話を切った圭司は、美咲に事情を説明した。
「飯塚さんの事故、何か進展があったみたい」
「事故の原因が分かったの?」
「それを聞きに行くんだ」
二人はすぐに警察署へ向かった。
*
上野は、会議室で二人を待っていた。
机の上には、事故現場の写真と、飯塚孝志の検視に関する資料が置かれている。
「急にお呼びして申し訳ありません」
上野は二人に椅子を勧めた。
「実は、飯塚さんの事故について、当初の見立てを見直す必要が出てきました」
「見直す、というのは?」
圭司が尋ねた。
「これまでは、単独事故として調べていました。飯塚さんが運転中に何らかの原因で操作を誤り、トラックが道路脇に衝突した。そう考えられていたわけです」
「飯塚は長時間働いていたそうですね。運転中に疲れが出た可能性もあると聞きました」
「その点も調べています。実際、勤務記録には問題がありました。ただ、それだけでは説明できないことが分かってきたんです」
上野は、机の上の資料に視線を落とした。
「飯塚さんの遺体を詳しく調べたところ、事故による外傷だけでは説明しにくい所見が見つかりました」
美咲が身を乗り出した。
「それは、どういうことですか?」
「事故の衝撃を受ける前に、何らかの異変が起きていた可能性があるということです。現在、医師や鑑識と連携して、詳しく調べています」
圭司の表情が険しくなった。
「つまり、運転中に意識を失っていた可能性がある?」
「その可能性もあります。しかし、原因はまだ特定できていません」
上野は一度言葉を切った。
「そして、もう一つ。体内から検出された物質についても、確認が必要になっています」
「体内から……?」
美咲がつぶやいた。
上野は、二人の顔を順に見た。
「現段階では、毒物の可能性も否定できません」
会議室が静まり返った。
圭司は、すぐには言葉を返せなかった。
毒物。
その言葉は、事故という説明を根本から揺るがすものだった。
「待ってください。毒物が原因だとしたら……飯塚は、誰かに何かを飲まされたということですか?」
「まだ、そこまでは分かりません。検出された物質が事故に関係しているのか、どのような経路で体内に入ったのか、現在確認しているところです。現時点で、誰かが故意に摂取させたと判断することはできません」
「でも、もし毒物が原因なら、事故じゃなくて殺人の可能性もある……」
美咲の声が、かすかに震えた。
「そうです。だからこそ、慎重に調べなければなりません」
上野は静かに答えた。
「飯塚さんが亡くなる直前、荒木という男性と口論していたことも把握しています。ですが、荒木さんが事故に関与したという証拠は、今のところありません」
圭司は、事故現場で見た光景を思い出した。
大破したトラック。
運転席で動かなくなっていた飯塚。
そして、救急隊が到着しても、もう目を覚ますことのなかった男。
あのときは、ただの事故だと思っていた。
しかし、もし飯塚が事故の前に何らかの異変に襲われていたのなら、すべての見方が変わってくる。
「上野さん。飯塚が亡くなる前に、何を食べたり飲んだりしたのか、分かっていますか?」
圭司が尋ねた。
「現在、勤務先や家族にも確認を進めています。ただ、まだ全容は分かっていません」
「飯塚は、誰かを恨んでいたり、トラブルを抱えていたりしたんでしょうか」
「それについても調べています。職場での人間関係、事故当日の行動、立ち寄った場所。すべて確認する必要があります」
上野は資料を閉じた。
「野上さん。飯塚さんと親しかったあなたに、一つお願いがあります」
「何でしょう?」
「飯塚さんが普段どんな人だったのか、最近、何か変わった様子がなかったか。思い出したことがあれば、教えていただきたいんです」
「分かりました。何か思い出したら連絡します」
圭司は力強くうなずいた。
*
警察署を出ると、空は薄い雲に覆われていた。
美咲は、しばらく黙って歩いていたが、やがて口を開いた。
「圭司……飯塚さん、殺されたのかな」
「まだ分からない」
「でも、毒物が検出されたんでしょう?」
「検出された物質が何なのか、どこから入ったのか。それが事故と関係しているのかも、まだ確認中だ。今は、決めつけるわけにはいかない」
そう答えながらも、圭司自身、胸の奥に不穏なものを感じていた。
飯塚は、後輩の失敗を助けるために、予定外の配達を引き受けた。
運行管理者の桂川は、勤務時間の問題を隠していた。
そして、事故の直前には、荒木という男と口論していた。
それぞれの事実が、今になって違う意味を持ち始めている。
「もし、誰かが飯塚を殺したのなら……」
美咲が言いかけた。
「動機が必要になるな」
圭司は、その先を引き取った。
「飯塚を殺す理由があった人間がいるのか。それとも、何か別の事情があったのか」
二人は足を止めた。
飯塚の死を事故として片づけるには、疑問が増えすぎていた。
しかし、殺人だと決めるには、まだ証拠が足りない。
圭司は、もう一度、事故現場の光景を思い浮かべた。
あのとき、飯塚は何を考え、何を感じながらハンドルを握っていたのだろう。
そして、最後に口にしたものは何だったのか。
答えは、まだ闇の中にあった。




