第三話 早上がり
午後三時を過ぎたころ、野上圭司と美咲は、牧田の物流倉庫を訪れていた。
広い敷地には、何台ものトラックが並んでいる。荷物を積み込む作業員の声や、フォークリフトの走行音が絶え間なく響いていた。
圭司は、出入りするトラックを眺めながら、ふと飯塚孝志のことを思い出した。
飯塚は、運転に関しては慎重な男だった。だからこそ、あの事故が気になって仕方がない。
単なる不注意による事故なのか。
それとも、事故の直前に何かがあったのか。
「圭司、こっちだよ」
先に歩き出した美咲が声をかけた。
「ああ、今行く」
二人は事務所へ向かった。
中に入ると、牧田吾郎が机の前で書類を確認していた。圭司たちに気づくと、手を止めて顔を上げた。
「おう。どうした、二人そろって」
「ちょっと聞きたいことがあってな」
圭司は遠慮なく椅子を引いた。
「飯塚の事故のことだ」
牧田の表情がわずかに変わった。
「……まだ調べてるのか」
「気になることがあってな。今日は運行管理をしている桂川さんに話を聞きに来た」
「桂川に?」
「飯塚が、どうしてあんな時間までトラックを運転していたのか知りたいんだ」
牧田は圭司の顔をしばらく見つめていたが、やがて椅子から立ち上がった。
「桂川なら、今いるはずだ。俺が声をかけてくる」
「助かる」
牧田は事務所の奥へ歩いていった。
その背中を見送りながら、美咲が小声で尋ねた。
「圭司は、飯塚さんが事故を起こすような運転をしたとは思えないんだよね?」
「少なくとも、俺が知ってる飯塚はな」
「じゃあ、やっぱり何か理由があったのかな」
「それを確かめに来たんだ」
圭司は腕を組んだ。
*
しばらくして、牧田が一人の男を連れて戻ってきた。
「紹介する。運行管理を担当している桂川さんだ」
桂川は四十代半ばほどの男だった。きっちりとした身なりで、表情には少し疲れが見える。圭司たちを見ると、軽く会釈した。
「警察の方ですか?」
「いえ、違います。野上圭司といいます。こちらは娘の美咲です」
圭司が答えると、桂川は不思議そうに眉を寄せた。
「飯塚さんとは、以前から知り合いでして」
「その飯塚さんのことで、何か?」
「事故の日の勤務状況について、お聞きしたいんです」
圭司は、できるだけ穏やかな口調で切り出した。
「飯塚は、あの日、いつもより遅くまで仕事をしていたようです。何か事情があったんでしょうか」
桂川は一度、牧田の方へ視線を向けた。それから圭司に目を戻した。
「特に変わったことはありませんでしたよ」
「本当に?」
「ええ。いつもどおり仕事をしていただけです」
返事は早かった。
まるで、それ以上の話をするつもりはないと言っているようだった。
圭司は納得できず、もう一歩踏み込んだ。
「飯塚は、あの日は早く上がれる予定だったんじゃないんですか?」
「配送の仕事は、予定どおりにいかないこともあります。荷物の状況や道路の混み具合によって、帰る時間がずれることは珍しくありません」
「それは分かります。でも、何か予定外の仕事が入ったんじゃないかと思って」
「記録を確認しないと、何とも言えませんね」
桂川は淡々と答えた。
美咲が口を開いた。
「飯塚さんが誰かの仕事を代わりに引き受けた、ということはありませんか?」
その瞬間、桂川の目がわずかに動いた。
ほんの一瞬だった。
だが、美咲は見逃さなかった。
「さあ、私は把握していません」
桂川はすぐに視線をそらした。
「そもそも、今回の事故は単独事故なんですよね? ほかの車が巻き込まれたわけでもない。運転中に何かあって、ハンドル操作を誤った。それだけの話ではないんですか」
その言葉に、圭司は顔をしかめた。
「事故の直前に、飯塚と口論していた男がいたそうです」
「男?」
「ええ。警察も確認しているはずです」
桂川は少し黙ったあと、肩をすくめた。
「運転中にほかのドライバーと揉めることくらい、あるでしょう。それが事故につながったという証拠があるんですか?」
「今は、まだ分かりません」
「なら、憶測で疑うのはどうかと思いますよ」
桂川の声には、かすかな苛立ちが混じっていた。
圭司は反論しかけたが、言葉を飲み込んだ。
確かに、今の段階で桂川を責める理由はない。
しかし、彼の態度には、どこか引っかかるものがあった。
飯塚の勤務状況を聞かれているだけなのに、なぜ、これほど早く話を終わらせようとするのか。
「分かりました。今日は、ありがとうございました」
圭司はそう言ったものの、納得したわけではなかった。
桂川は軽く頭を下げると、その場を離れようとした。
そのときだった。
事務所の奥から、一人の若い男が書類を抱えて歩いてきた。
桂川が声をかける。
「中間君、その書類はあとで確認するから、そこに置いておいてくれ」
「はい」
中間と呼ばれた男は、二人に気づくと軽く会釈した。
圭司は、その男を見つめた。
何かが頭の片隅に引っかかった。
飯塚の事故について調べる中で、聞いたことがある名前だった。
「すみません。中間さん、ですよね?」
圭司が声をかけると、男は足を止めた。
「はい。そうですけど」
「飯塚と、一緒に仕事をしていたんですか?」
「……ええ。先輩ですから」
「事故の日、飯塚と何か話しましたか?」
中間は書類を持つ手に力を入れた。
「何かって……普通に仕事の話をしたくらいです」
「飯塚が遅くまで残っていた理由は知っていますか?」
「いえ、分かりません」
返事は短かった。
圭司は中間の表情を見た。
視線が落ち着かない。こちらを見たかと思うと、すぐに目をそらす。言葉を選んでいるようにも見えた。
「飯塚が、誰かの配達を代わりに引き受けたことはありませんか?」
「……さあ。分かりません」
同じ答えが返ってきた。
桂川のときと同じだった。
圭司は美咲と目を合わせた。
美咲もまた、何かを感じ取ったように、小さくうなずいた。
「そうですか。仕事中にすみませんでした」
圭司が言うと、中間は会釈をして、足早にその場を離れた。
その後ろ姿を、圭司はしばらく目で追っていた。
「……何か隠してるな」
思わず漏らした言葉に、牧田が反応した。
「おい。決めつけるなよ」
「分かってる。まだ、何も分かってない」
圭司は腕を組んだ。
「でも、桂川さんも中間も、飯塚が遅くまで仕事をしていた理由を聞くと、急に歯切れが悪くなった」
「仕事のことなら、言いにくい事情があるのかもしれない。だが、それが事故と関係しているとは限らん」
牧田の言うことはもっともだった。
勤務上の問題を隠しているのかもしれない。あるいは、単に事故のことを話したくないだけなのかもしれない。
圭司には、まだ判断できなかった。
ただ、二人の反応が気になった。
美咲が静かに口を開いた。
「もし、飯塚さんが誰かをかばっていたとしたら?」
「かばう?」
「わからないけど」
圭司は、娘の言葉を頭の中で繰り返した。
飯塚なら、あり得る話だった。
自分が困っているわけでもないのに、誰かのために動く。そんな男だった。
「……もう少し調べてみるか」
圭司がつぶやくと、牧田はため息をついた。
「お前は昔から、一度気になったら放っておけないんだな」
「悪いか?」
「いや。そういうところは変わらんなと思っただけだ」
牧田は少し笑ったあと、真剣な顔に戻った。
「俺も、飯塚の勤務記録や配送の状況を確認してみる。何か分かったら電話するよ」
「頼む」
「ただし、まだ犯人がいると決まったわけじゃない。そこは忘れるな」
「分かってる」
圭司はうなずいた。
*
倉庫を出ると、夕方の風が頬をかすめた。
駐車場へ向かう途中、美咲が圭司の隣に並んだ。
「圭司、どう思う?」
「何が?」
「桂川さんと中間さん。二人とも、何か知ってる気がする」
「俺もそう思う」
圭司は足を止め、事務所の窓を振り返った。
ガラスの向こうでは、作業員たちがいつもどおり仕事を続けている。
飯塚が生きていたころと、何も変わらない日常。
けれど、その中に、誰にも話していない何かが隠れているのかもしれない。
「飯塚が、わざわざ遅くまで仕事をしていた理由があるはずだ」
「それが分かれば、事故のことも見えてくるかな」
「ああ」
圭司は車のドアを開けた。
「時間は待ってくれないからな。早いところ確かめよう」
美咲は小さく笑い、助手席に乗り込んだ。
エンジンがかかり、トラックがゆっくりと動き出す。
そのころ、事務所の中では、桂川が一人、机の前に座っていた。
手元には飯塚の勤務記録がある。
桂川はしばらくその紙を見つめていたが、やがて引き出しを開け、記録をしまい込んだ。
誰にも見られないように、静かに。
そして、少し離れた場所では、中間がスマートフォンを握りしめていた。
画面に表示された名前を見つめたまま、電話をかけることも、しまうこともできずにいた。
二人は、それぞれ別の事情を抱えていた。
そして、その事情が飯塚の死とどうつながっているのか




