第二話 最後の目撃者
翌朝、警察署の一室では、飯塚孝志の事故に関する映像の確認が続いていた。
上野真一は、机に広げられた資料に目を落としながら、モニターに映る映像を見つめていた。
「もう一度、事故現場の手前から再生してください」
担当の刑事が映像を巻き戻す。
道路脇に設置された防犯カメラには、事故の少し前に走行する飯塚のトラックが映っていた。トラックは交差点を通過し、少し先の路肩に停車する。
その数分後、一人の男がトラックの運転席付近に近づいた。
映像の画質は決して鮮明ではなかった。だが、男は濃い色の上着を着ており、目撃者が証言した服装と一致している。
男は運転席の窓のそばに立ち、飯塚と向かい合っている。二人が何を話しているのかまでは分からない。しかし、互いに身振りを交え、口論しているように見えた。
「この映像だけでは、相手の顔までははっきりしませんね」
担当刑事が言った。
「ほかのカメラはどうですか」
「少し離れた店舗のカメラに、同じ服装の男が映っていました。そちらでは顔が確認できます。周辺への聞き込みも進めたところ、男は荒木という人物だと分かりました」
「荒木……」
上野は資料に目を落とした。
事故の直前、飯塚と口論していた男。
事故そのものを目撃した人間はいなかった。しかし、飯塚が一人で運転していたはずの時間帯に、彼と接触した人物がいたことは確かだった。
「荒木の住所は?」
「こちらです」
上野は資料を受け取ると、立ち上がった。
「直接、話を聞いてきます」
*
荒木の住むアパートは、駅から少し離れた住宅街にあった。
上野は玄関前で足を止め、呼び鈴を押した。
しばらくして、三十代半ばほどの男が顔を出した。
「荒木さんですか」
「そうですけど……」
「警察の上野です。少し、お話を伺いたいのですが」
警察手帳を見せると、荒木の表情がわずかにこわばった。
「何かあったんですか?」
「先日、飯塚孝志さんという方がトラックの事故で亡くなりました。事故の少し前、あなたが飯塚さんと話をしていたことが、防犯カメラの映像から分かりました」
荒木は一瞬、目を伏せた。
「ああ……あのトラックの人ですか」
「覚えているんですね」
「そりゃあ、覚えてますよ。ちょっと揉めたんで」
上野は、荒木の顔を見た。
「どのようなことで揉めたのですか」
荒木はためらうように視線を泳がせ、それから玄関の外へ出てきた。
「ここじゃ何ですから。中で話します」
部屋に通された上野は、勧められた椅子に腰を下ろした。荒木は向かい側に座ると、落ち着かない様子で両手を組んだ。
「事故の日、何があったのか、最初から聞かせてください」
上野が促すと、荒木は小さく息を吐いた。
「その日、車で走っていたら、あのトラックが気になったんです。走り方が妙で、こっちに寄ってくるように見えた。あおられているんじゃないかと思いました」
「それで、トラックを止めたのですか」
「ええ。頭にきて、先で止まったところに行ったんです。運転手に、危ない運転をするなって言いました」
「飯塚さんは、何と?」
「それが……よく覚えてないんですよ。こっちも腹が立っていましたから」
荒木は額に手を当てた。
「向こうも何か言い返してきて、しばらく言い合いになりました。でも、殴ったりなんかしてません。手も出してない」
「口論が終わったあと、飯塚さんはどうしましたか」
「トラックに戻りました。自分も、もう関わりたくなかったんで、その場を離れましたよ」
「そのあと、飯塚さんを見ましたか」
「いいえ。あれが最後です」
上野は手帳に記録を取りながら、荒木の様子を観察していた。
「飯塚さんの運転が危険だと思ったのは、具体的にどのような点ですか」
「ふらついていたように見えたんです。普通の運転じゃないと思った。だから、危ないだろうって注意したんですよ」
「ふらついていた……」
上野は、その言葉を繰り返した。
飯塚は長年トラックを運転してきたドライバーだ。少なくとも、野上圭司が知る飯塚は、運転に慎重な男だった。
もちろん、どんなベテランドライバーでも、事故を起こすことはある。
だが、荒木が目にしたという不自然な運転は、本当に荒木の言うとおり、乱暴な運転だったのだろうか。
「もう一つ、確認させてください」
上野は手帳から目を上げた。
「口論の最中、飯塚さんの様子に何か変わったところはありませんでしたか。顔色が悪かったとか、苦しそうにしていたとか」
「さあ……」
荒木は考え込んだ。
「怒っているようには見えましたけどね。顔までは、そんなに気にしてなかったんで」
「そうですか」
「でも、俺は本当に注意しただけですよ。まさか、あのあと事故を起こすなんて……」
荒木の声が、そこで小さくなった。
上野はしばらく黙っていた。
荒木は確かに、飯塚と口論していた。事故の直前に接触した人物である以上、当時の状況を詳しく調べる必要はある。
しかし、今の話だけで、彼が事故に関与したと判断することはできなかった。
「分かりました。今日は、事故の日のことを確認するために伺いました。追加でお話を聞くことがあるかもしれません。その際は、ご協力をお願いします」
「……はい」
上野は立ち上がり、玄関へ向かった。
外に出ると、住宅街には穏やかな午後の空気が流れていた。
荒木の話が事実なら、彼は飯塚の運転を危険だと思い、腹を立てて注意しただけなのかもしれない。
だが、上野の頭には、ひとつの疑問が残っていた。
飯塚は、なぜ事故の直前、ふらつくような運転をしていたのか。
単なる疲労だったのか。それとも、荒木には分からなかった別の理由があったのか。
答えは、まだ見つかっていなかった。




