第一話 雨の帰路
夜の道路を、圭司のトラックが走っていた。
助手席では、美咲がスマートフォンを眺めている。今日は大学の帰りに圭司の配達を少し手伝い、そのまま一緒に帰るところだった。
「やっと終わったね。今日、けっこう走ったんじゃない?」
「そうだな。予定より少し遅くなった」
圭司は前方を見ながら答えた。
「でも、全部届けたんでしょ?」
「当たり前だろ。荷物を待ってる人がいるからな」
「はいはい。さすが、配送屋さん」
「なんだ、その言い方は」
圭司が横目で美咲を見ると、美咲は笑った。
「褒めてるんだって」
「だったら、もう少し気持ちを込めろ」
いつものやり取りを交わしながら、二人は街の外れへ差しかかっていた。
雨は上がっていたが、路面はまだ濡れている。街灯の光が水たまりに反射し、対向車のヘッドライトが白く伸びていた。
そのときだった。
「……あれ?」
美咲がフロントガラスの向こうを指さした。
「圭司、あそこ。トラックが変なところに止まってる」
道路脇に、一台のトラックが乗り上げていた。
車体はガードレールにぶつかり、運転席側が大きくへこんでいる。前輪は縁石を乗り越え、荷台も斜めに傾いていた。
「事故か……?」
圭司はハザードランプを点け、後続車に注意しながら少し離れた場所にトラックを停めた。
「美咲ちゃん、ここで待ってろ」
「私も行く」
「危ないかもしれないだろ」
「だったら、余計に二人で確認したほうがいいじゃん」
美咲はシートベルトを外した。
圭司は一瞬、言い返そうとしたが、すぐに諦めた。
「……絶対に無理するなよ」
「分かってる」
二人は車を降り、事故車両へ向かった。
近づくにつれて、車体の損傷がはっきり見えてきた。運転席の窓越しに、男がハンドルへ身体を預けるようにして倒れている。
圭司が窓を覗き込んだ。
その瞬間、足が止まった。
「……飯塚?」
美咲も運転席を覗き込んだ。
「えっ……飯塚さん?」
間違いなかった。
飯塚孝志。三十五歳。協力運送会社のドライバーで、牧田の物流倉庫で何度か顔を合わせたことがある人物だった。
口数は多くないが、仕事には真面目な男だった。荷物の受け渡しで顔を合わせれば、いつもきちんと挨拶をしてくれる。
その飯塚が、今は返事ひとつしない。
「飯塚さん! 聞こえますか!」
美咲が窓越しに呼びかけた。
返事はなかった。
圭司はすぐにスマートフォンを取り出し、救急車と警察を呼んだ。
通報を終えると、二人は周囲の安全を確かめながら、運転席の様子をうかがった。
「……動かないね」
美咲の声から、いつもの明るさが消えていた。
「ああ。救急隊が来るまで、できることを確認しよう。ただ、無理に車内へ入るのは危険だ」
圭司は運転席を見つめた。
「しっかりしろよ、飯塚……」
つい先日まで、倉庫で普通に働いていた男だ。
こんなところで倒れていていいはずがない。
*
救急車のサイレンが近づいてきた。
続いて、パトカーが現場に到着する。
救急隊員が運転席の男を確認し、必要な処置を試みた。しかし、やがて隊員のひとりが首を横に振った。
飯塚は、すでに息を引き取っていた。
美咲は口元を押さえ、圭司は静かに目を伏せた。
「……間に合わなかったか」
やがて、現場に上野がやって来た。
「野上さん」
声をかけられ、圭司は顔を上げた。
「上野刑事……」
「たまたま、通りかかったらうちの交通課の警察がいたので、もしかして、野上さんが通報したんですか?」
「ええ。帰り道に、トラックが突っ込んでいるのを見つけたんです。運転席を確認したら、知っている人でしたんで、多分、事故かと。」
美咲も話に加わった。
「私も一緒にいました。飯塚さんとは、物流倉庫で何度か会っています」
「美咲さんも一緒なんですね。」
上野は二人に頷き、事故車両へ目を向けた。
「現場を確認しているところですが、今のところ、ほかの車両が巻き込まれた形跡は見当たりません。単独事故の可能性が高そうです」
「単独事故……」
圭司は、壊れたトラックを見つめた。
確かに、周囲に別の車両がぶつかった跡は見えない。
しかし、何かが引っかかっていた。
飯塚は、こんな無茶な運転をする男だっただろうか。
もちろん、圭司は飯塚の運転をいつも見ていたわけではない。今の段階で事故の原因が分かるはずもなかった。
そのとき、現場の端にいた男が、警察官に声をかけられて近づいてきた。
「あの……事故の少し前のことで、話しておきたいことがあるんですが」
上野が男に向き直った。
「警察の上野です。何を見たんですか?」
「事故が起きる少し前、あのトラックの運転手が、別の男と言い争っているのを見ました」
圭司と美咲は顔を見合わせた。
「言い争っていた?」
上野が聞き返す。
「はい。道路脇で、二人が向かい合っていました。少し離れたところから見ていたので、何を話していたのかまでは分かりません。ただ、普通に話しているようには見えませんでした」
「相手の男は、どんな人物でしたか?」
男は少し考えてから答えた。
「若い男だったと思います。暗い色の上着を着ていました。ただ、顔までは、はっきり覚えていません」
「その男は、そのあとどうしましたか?」
「そこまでは、よく見ていません。私が気になって見たときには、二人が言い争っていて……そのあと、事故が起きたんです」
上野は手帳に記録した。
「分かりました。ありがとうございます。ほかに、気づいたことはありませんか?」
「いえ。それだけです」
男はそう答えると、少し離れた場所へ戻っていった。
上野は、手帳を閉じずに事故車両を見つめていた。
事故の直前、飯塚は誰かと言い争っていた。
だが、相手が誰なのかも、何を話していたのかも分からない。
その口論が事故につながったのか、それとも無関係だったのか。
今の段階では、判断できなかった。
美咲が小さな声で言った。
「……飯塚さん、誰と揉めてたんだろう」
「さあな」
圭司は、壊れたトラックを見つめた。
「ただ、あいつが何も理由もなく、こんなところで事故を起こすとは思えないんだよな」
上野が二人に向き直った。
「周辺の防犯カメラを確認します。目撃者の証言と照らし合わせれば、何か分かるかもしれません」
「お願いします」
圭司は頷いた。
上野は、もう一度事故現場を見渡した。
飯塚が言い争っていた相手。
そして、その直後に起きた事故。
まだ、二つの出来事がつながっているとは限らない。
しかし、確かめずに済ませるわけにもいかなかった。




