第八話 なくなったもの
大村家。
上野は再び、幸子と琴のもとを訪れていた。
今回は、圭司と美咲も一緒だった。
壱岐康太の証言だけでは、事件の全体像は見えてこない。幸子と琴からも、改めて話を聞く必要があった。
「先日もお話を伺いましたが、もう少し確認させてください」
上野がそう告げると、幸子は静かに頷いた。
「はい。私に答えられることでしたら」
琴は母親の隣に座っていたが、何も言わなかった。
上野は、まず幸子に事件当日のことを確認した。
「壱岐さんからもお話を伺いました。琴さんが家から逃げてきたあと、あなたたちは大村さんの様子を見に戻ったそうですね」
「はい。琴がひどく怯えていたので、心配になって……」
「そのとき、ご主人はいなかった?」
「ええ。家の中を探しましたが、主人の姿はありませんでした」
幸子の説明は、康太の証言と一致していた。
しかし、上野には気になることがあった。
二人は、どこか肝心なことを避けているように見える。
事件そのものを隠しているのか。それとも、琴をかばおうとしているのか。
琴に目を向けても、彼女は俯いたままだった。
「琴さん。何か、話しておきたいことはありませんか?」
「……ありません」
短い返事だった。
「お父さんのことで、何か覚えていることでも?」
「……何も」
それ以上、琴は口を開かなかった。
上野は無理に追及しなかった。
彼女が何かを隠しているように見えるのは確かだった。しかし、沈黙だけで犯人と決めつけるわけにはいかない。
*
大村家の周辺では、近隣住民への聞き込みも進められていた。
そこで分かったのは、大村智の怒声が、以前から何度も近所に聞こえていたということだった。
夜になると、幸子や琴を呼ぶ大声。
物がぶつかるような音。
ガラスが割れる音。
そして、ときには女性の叫び声。
近所の住民が心配して、警察に通報したことも一度ではなかった。
智の暴力は、少しずつ激しくなっていたらしい。
その話を聞いた美咲は、表情を曇らせた。
「毎晩そんなことがあったなんて……」
圭司も何も言わなかった。
上野は一度息を吐いてから、幸子に尋ねた。
「大村さんの私物を、確認させていただいてもよろしいですか?」
「主人のものですか?」
「はい。交友関係や、最近の生活について何か分かるかもしれません」
幸子は少し迷ったあと、頷いた。
「分かりました」
「ありがとうございます。必要なもの以外には触れないようにします」
上野がそう言うと、横から圭司と美咲もついていこうとした。
「……野上さんたちもですか?」
「まあ、気になるじゃないですか」
圭司が答えた。
上野は呆れたように二人を見た。
「いいですか。何でも勝手に触らないでくださいよ」
「はーーい」
美咲が、妙に素直な声で返事をした。
「本当に分かっていますか?」
「分かってますって、上野さん」
圭司が苦笑した。
上野は小さくため息をついた。
*
智が使っていた部屋には、衣類や書類、小物類が雑然と置かれていた。
特別に親しい友人がいた形跡は、あまり見当たらない。
「交友関係は、それほど広くなかったようですね」
上野が書類を確認しながら呟いた。
机の引き出しには、何枚かの名刺が入っていた。会社関係のものがほとんどだったが、その中に一枚、病院の名刺が混じっていた。
上野はそれを手に取った。
――時津クリニック。
泌尿器科・腎臓内科と記されている。
「病院の名刺……」
上野は、名刺の記載を手帳に控えた。
それから、幸子に尋ねた。
「ご主人は、どこか患っていたところがあったんでしょうか?」
幸子は少し考えた。
「いいえ。そんな話は聞いたことがありません」
そう答えてから、視線を落とした。
「ただ、最近はあまり話もしていませんでしたから……。もしかしたら、どこか悪かったのかもしれません」
「そうですか。分かりました」
上野はそれ以上、追及しなかった。
病院に通っていた理由は、まだ分からない。
しかし、智が家族にさえ伝えていなかったことがあるのかもしれなかった。
そのとき、美咲が棚の上に置かれた家族写真に目を留めた。
幸子と琴、そして智が並んで写っている。
写真の中の三人は、穏やかな表情を浮かべていた。
「琴ちゃん、お母さんに似てるね」
美咲は写真を眺めながら言った。
「この写真を見てると、智さんがDVをしていたようには見えないな……」
「バカ」
圭司が短く言った。
「えっ、何が?」
「写真一枚で、人間が分かるわけないだろ」
圭司は写真に目を向けた。
「外から見ただけじゃ、分からないことだってあるんだよ」
美咲は少し考えてから、黙って頷いた。
幸子は家族写真を見つめていた。
「はい……。以前は、家族思いの良い夫だったんです」
その声には、かすかな寂しさがあった。
「でも、ここ最近は、だんだん変わっていって……」
幸子は、それ以上続けなかった。
上野も、無理に聞き出そうとはしなかった。
人が変わったのか。
それとも、今まで見えていなかった一面が表に出ただけなのか。
その答えは、写真には写っていなかった。
*
美咲は、琴の部屋を見せてもらっていた。
机の上には参考書が置かれ、棚には小物が並んでいる。
美咲は部屋を見回してから、ふと首を傾げた。
「あれ?」
琴が顔を上げた。
「琴ちゃんって、枕いらないタイプ?」
ベッドの上には枕がなかった。
琴は少しだけ視線を動かした。
「……あったんだけど」
「あった?」
「うん。お父さんが捨てたのかもしれない。いつの間にか、なくなっていたから」
美咲は琴の顔を見た。
「お父さんが?」
「……分からない。でも、お父さんならやりそうなことだから」
琴の声は平坦だった。
幸子が部屋の入口から口を挟んだ。
「主人は、琴のものをいろいろ探っては文句を言っていましたから。そうかもしれません」
「へえ……」
美咲は、もう一度ベッドに目を向けた。
枕がない。
ただ、それだけのことだった。
父親が娘の持ち物を勝手に処分したのなら、特に珍しい話でもないのかもしれない。
けれど、美咲はなぜか、その話が気になった。
居間では、上野が時津クリニックの名刺をもう一度確認していた。
そして、琴の部屋から戻ってきた美咲の話を聞くと、ふと顔を上げた。
「……枕が、なくなっていたんですか?」
「うん。琴ちゃんが言うには、お父さんが捨てたかもしれないって」
美咲は何気なく答えた。
上野は、しばらく黙っていた。
大村智の死因は窒息死。
頭部には打撲痕があった。
そして、琴の部屋からなくなった枕。
もちろん、今の話だけで何かが分かったわけではない。枕がなくなった時期も、どこへ行ったのかも分からない。
それでも、上野の中で、何かが引っかかった。
「……少し、調べたいことができました」
上野は手帳を閉じた。
「野上さん、美咲さん。私は先に失礼します」
「何か分かったんですか?」
圭司が尋ねた。
「まだ、何も。確認しなければならないことができただけです」
上野はそう答え、幸子に軽く頭を下げた。
「今日はありがとうございました。また、お話を伺うことがあるかもしれません」
「……はい」
幸子は不安そうに頷いた。
圭司は、玄関の裏に段ボール箱が積まれてることに不思議に思う。
「これは、荷造りようの箱ですか?」
「いや、それは、、、主人宛のもので。」
上野はそれに目をやる。
「これは?何がはいってたんですか?」
「いや、多分、それは、近所の嫌がらせかと、ゴミとか、クレームのハガキとかが入ってました」
これ以外にも何個か来てたらしく、琴がハガキを持ってくる。
そこには、辛辣な言葉が並んでいる。
「これも少しお預かりしてもいいですか?」
「もう、捨ててもらってもいいです。」
上野は玄関を出ると、ハガキを袋にいれ歩きながら手帳を開いた。




