第三話 大村智
上野は、司法解剖の報告書を受け取り、目を通す。
死因は窒息死。
頭部には打撲痕が認められた。
死亡推定時刻も書いている。
上野は報告書を机に置きその横に置かれた段ボールの写真を見た。
荷台から発見された遺体を入れていたものだ。
段ボールの側面には、伝票が貼られている。
宛名の欄には、はっきりと名前が記されていた。
――大村智宛。
上野は写真を手に取った。
遺体を隠すために使った段ボールに、なぜ伝票を残したのか。
しかも、伝票には宛名だけではなく、配送に関する情報も記載されている。
犯人が隠したかったのなら、わざわざ名前を残す必要はないはずだった。
「……妙ですね」
上野は小さく呟いた。
捜査員が手元の書類を確認する。
「野上さんの配達伝票には、該当する荷物はありませんでした」
「ですよね」
上野は答えた。
「野上さんが運んでいた荷物ではない。少なくとも、あの伝票が示す荷物は、配達予定の記録に存在しないということですね」
「はい。物流倉庫の記録も、これから確認します」
上野はもう一度、写真を見た。
大村智。
名前が分かっているのなら、まず本人を確認する必要がある。
「この住所の周辺を調べてください。それから、大村智という人物についても確認をお願いします」
「分かりました」
捜査員が部屋を出ていく。
上野は椅子から立ち上がった。
段ボールに貼られた伝票。
荷台に残された遺体。
そして、配達記録にはない荷物。
偶然が重なっただけなのか。
それとも、誰かが意図的に仕組んだことなのか。
まだ、判断するには早かった。
*
午後。
上野は大村家を訪ねると、幸子が玄関先にいた。
庭先を片づけているようだった。
「どちらさまでしょうか?……」
幸子は手を止めた。
「警察の上野と申します。大村智さんのことで、お話を伺いたいのですが」
女性の表情が、わずかにこわばった。
「……主人に、何かあったんですか?」
「確認したいことがありまして。少しお時間をいただけますか?」
「……はい」
女性は迷ったように視線を落としてから、扉を開けた。
上野は、家の周囲を見回した。
玄関脇の地面に、細い筋が何本か残っている。
何か車輪のついたものを引いたような跡だった。
上野が目を向けた、その瞬間――
琴が、足を動かした。
靴底で地面をこする。
一度。
もう一度。
まるで、そこにある何かを消そうとするように。
「どうぞ...」幸子は中に入るように促す。
「ありがとうございます。」
上野は靴を脱ぎ、案内されたリビングへ入った。
琴も一緒に中に入る。
上野は二人の前に座った。
「大村幸子さんと、娘さんの琴さんで間違いないでしょうか?」
「はい。なにか?」
「実は、大村智さんについて確認したいことがあります」
幸子の指が、膝の上で動いた。
「主人なら……昨日から、帰ってきていないんです」
「昨日から?」
「はい」
上野は、その言葉を聞き逃さなかった。
「最後にご主人と会ったのは、いつですか?」
「昨夜です」
「何時ごろでしょうか」
「夕方から夜にかけて……だったと思います」
幸子は少し考えてから続けた。
「私たち知人と一緒に、離婚のことで話をしていました」
「知人と離婚の話ですか?」
「はい」
幸子は俯いた。
「因みに、その知人のお名前は?」
「壱岐康太さんです」
「ご関係は?あ、答えたくなかったら答えなくても大丈夫ですよ。」
幸子は間をおいて
「よくしてくれてる知人です」
「わかりました。離婚話の時に何か揉めたりとか?そういったことはなかったですか?」
「いいえ。主人も、落ち着いていました。離婚の話も、受け入れてくれたように見えました。」
「それから、ご主人はどうされましたか?」
「私は康太さんを送りに出ました。そのとき、主人は家にいました」
「お戻りになったときは?」
「……いませんでした」
「どこへ行ったか、心当たりは?」
「ありません。どこかへ出かけたのだと思っていました」
上野は手帳に記録した。
「そのあと、連絡は取れましたか?」
「スマホを置いたままだったので」
幸子は、不安そうに顔を上げた。
「……主人に、何かあったんでしょうか?」
上野はすぐには答えなかった。
隣で、琴が膝の上の手を強く握っている。
母親とは対照的に、彼女は一度も上野と目を合わせようとしなかった。
「琴さんにも、お聞きしたいことがあります」
上野が声をかけると、琴の肩がわずかに揺れた。
「……はい」
「お父さんがいなくなったことについて、何か知っていることはありませんか?」
「……何も」
返事が早すぎた。
上野は、琴の顔を見つめた。
「昨日、お父さんと会いましたか?」
「……家にいました」
「そのとき、何かありましたか?」
琴は口を閉じた。
幸子が娘を見る。
「琴?」
「……何もない」
琴は、それきり黙り込んだ。
上野は無理に追及しなかった。
「大村さん」
上野は幸子に向き直った。
「この方に見覚えはありませんか?」
ジャケットの内ポケットから一枚の写真を見せる。
「主人です!」
幸子は戸惑いながらも、棚の上に置かれた家族写真を手に取った。
そこには、幸子と琴、そして大村智が写っていた。
上野は写真を受け取ると、智の顔を確認した。
「昨日、トラックの荷台で発見されまして、その時にはもう息は引き取られていました、死因は窒息死です。頭部には打撲痕もありました。死亡推定時刻は、昨夜ご主人がいなくなったとされる時間帯です。」
幸子が口元を押さえる。
琴は何も言わなかった。
ただ、その目が一瞬だけ、家の外へ向けられた。
上野は、その視線を見逃さなかった。上野は琴の顔を見つめた。
「琴さん。昨夜、この家で何かあったんですか?」
琴は答えなかった。
幸子が、娘の顔を見た。
「琴……?」
琴は唇を噛み、俯いた。
その沈黙が、上野には何よりも気になった。
まだ、何も断定はできない。
しかし、大村家には、警察に話していない何かがある。
そして琴は、その何かを隠そうとしているように見えた。
事件の輪郭は、少しずつ見え始めていた。
だが、真相はまだ、誰の目にも見えていなかった。




