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美咲のオヤジの配達記録簿  作者: 空雨 素志


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第十二話 夫婦の難しさ



 数日後の夜。


 いつもの居酒屋。


 店の奥の、いつもの席に圭司と上野が並んで座っていた。

 テーブルには焼き鳥と刺身、それから二人分の酒。

 店内には、仕事帰りの客たちの笑い声が響いている。


「やっと終わりましたね」


 上野がグラスを傾ける。


「ああ」


 圭司もグラスを合わせた。


「今回は、かなり振り回されましたよ」


「俺のせいだな」


「最初の誤配ですか?」


「それ以外に何がある」


 圭司は苦笑した。


「まさか、あの荷物一個から、こんなことになるとは思わなかった」


「私もです」


 上野も笑った。


 そのとき、店の入口の方から声がした。


「ごめーん!」


 美咲だった。


 少し急いできたのか、息を切らしながら席へやってくる。


「遅かったな」


「大学からそのまま来たから」


 美咲は椅子に座ると、すぐに料理へ手を伸ばした。


「で?」


「何が?」


 上野が笑う。


「今回も私のお手柄でしょ?」


 圭司と上野が顔を見合わせる。


「たまたまだよ」


「ですね」


 二人の声が重なった。


「何それ!」


 美咲が頬を膨らませる。


「熊の右目にカメラがあるなんて、普通は気づかないでしょ?」


「たまたま触っただけだろ」


「可愛いと思って抱き上げただけだけどね」


 美咲が笑う。


 そのとき、牧田が遅れて店に入ってきた。


「悪い、遅くなった」


「牧田、遅いぞ」


「仕事だよ、仕事」


 牧田は空いている椅子に座ると、店員を呼んだ。


「とりあえず、コーヒー」


 圭司が笑う。


「酒飲みに来てコーヒーかよ」


「今日はな」


 四人が揃う。


 しばらくして、料理と飲み物が運ばれてきた。


 牧田は四人の顔を見回した。


「で、事件はもう終わったのか?」


「終わりました」


 上野が答える。


「今回は、本当にいろいろありましたよ」


 圭司も頷いた。


「最初は単純な誤配だったんだけどな」


「それが大ごとになった」


 牧田が笑う。


「圭司らしいな」


「俺のせいにするな」


 美咲が笑った。


「でも、今回も私のお手柄でしょ?」


「はいはい」


 圭司が手を振る。


「たまたまだよ」


「またそれ!」


 美咲が頬を膨らませる。


 四人の笑い声が、小さく店内に混ざった。


 少しして。


 ふと圭司が思い出したように口を開いた。


「そういや、上野さん」


「はい?」


「俺が誤配して、拓郎さんが301号室に届けた荷物……中身、何だったか分かりますか?」


「荷物ですか?」


「そう」

 圭司が笑う。


「衣類じゃなかったけ?」牧田が箸で指す


 上野は少し間を置いてから答えた。


「ええ」


 そして、静かに続ける。


「赤ちゃん服でした」


「……」


 圭司の顔が止まった。


 美咲も箸を止める。


「赤ちゃん服?」


「はい」


「なんか……」


 美咲が少し考える。


「皮肉だね」


「皮肉?」


 圭司が聞き返す。


美咲はテーブルの料理を見つめながら言った。

「事故で子供を亡くした親がさ」


 一度、言葉を切る。


「その事故を起こした人の息子が住んでる部屋に、赤ちゃんの服を届けるんだよ」


 圭司は黙った。


 上野も何も言わなかった。


「……確かにな」


 圭司が、ぽつりと言った。


 今回の事件を知ってから聞くと、あまりにも皮肉な偶然だった。


 もし、最初の誤配がなければ。


 あの荷物が310号室へ届いていなければ。


 拓郎が301号室へ届けに行くこともなかった。


 事件の流れそのものが、変わっていたかもしれない。


「でも」


 上野がグラスを置いた。


「拓郎さんは、あの男が唐津大吾さんだったとしても、助けるつもりだったんでしょうね」


 圭司が頷く。


「倒れてる人を見た瞬間は、助けようとしてた」


「そこに、あの髪留めが落ちていた」


 美咲が言った。


「順子さんの髪留めに似てたやつね」


「そうだ」


 圭司は考えるように言った。


「そして、夕食のときに順子さんが言った」


 少し間を置いて、圭司が続ける。


「『まだ許せない』って」


 上野が頷く。


「その言葉と、あの髪留め」


「それに、目の前に倒れてる男が大吾だと思った」


 圭司はグラスを見つめた。


「全部が、拓郎さんの中で噛み合ったんだろうな」


 牧田が静かに聞く。


「でも、全部間違ってたんだよな」


「ああ」


 圭司は頷いた。


「髪留めは咲さんのもの」


「死んでたのは大吾じゃなくて神崎」


 美咲が続ける。


「順子さんも、拓郎さんが殺したと思った」


 圭司は頷いた。


「だから、順子さんも……」


 一瞬、言葉を止める。


「『私がやったのかも』って言ったのかもしれないな」


 上野が顔を上げた。


「拓郎さんを、かばおうとした」


「ああ」


 圭司が答える。


「自分が犯人だと思われれば、拓郎さんを守れると思ったのかもしれない」


 牧田がグラスを置く。


「お互いに、相手を守ろうとしたわけか」


 美咲が小さく息を吐く。


「でも、お互いに相手がやったと思ってた」


 四人の間に、しばらく沈黙が流れた。


 やがて、牧田がぽつりと言う。


「夫婦って……難しいな」


 美咲が頷く。


「うん」


 圭司も笑いながら、グラスを持ち上げた。


「本当に、難しい」


 上野もグラスを上げる。


「では、今回の事件が無事に終わったことに」


「乾杯」


 四つのグラスが、静かにぶつかった。


 カチン、と小さな音がした。


 居酒屋の喧騒に、その音はすぐに消えていった。


 それでも――


 今回の事件で起きた「誤解」の話だけは、四人の中にしばらく残り続けていた。

 人を思う気持ちがあっても、言葉にしなければ伝わらない。


 伝わらなければ、そこに誤解が生まれる。


 家族であっても、夫婦であっても。


 圭司は、空になったグラスを見つめながら思った。


 ――人と人との間では、いつだって誤解が生まれる。


 だからこそ、話さなければならない。

 そのことを、今回の事件は教えてくれたのだった。


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