第十話 証拠品
その日の午後。
病院の個室で、上野は小城咲と向かい合っていた。
「小城さん」
「はい」
「事件当日のことで、何か不自然なことはありませんでしたか?」
「不自然なこと……ですか?」
「はい。何でもいいです。事件とは関係ないと思うことでも構いません」
咲はしばらく考えた。
事件当日のことを、頭の中でゆっくり辿っていく。
コンビニ。
301号室。
神崎二郎。
逃げたこと。
スマートフォンを忘れたこと。
そして――
「……あ」
上野が顔を上げる。
「何か思い出しました?」
「髪留め……」
「髪留め?」
咲は自分の髪に触れた。
「いつも使ってる髪留めが、なくなってるんです」
「事件当日は?」
「つけてました」
「確かですか?」
「はい……たぶん」
咲は少し考える。
「神崎ともみ合ってるとき、髪に手が当たったんです」
「そのとき、落ちた?」
「……そんな気がします」
「301号室の中で?」
「たぶん」
咲は俯いた。
「でも、私が戻ったときには、なかった。」
「なるほど」
上野は頷いた。
咲は少し考えてから言った。
「でも……私の勘違いかもしれません」
「どうして?」
「事件当日は混乱していたから。最初からつけてなかったのかもしれないし……」
「分かりました。何か思い出したら、教えてください」
「はい」
上野は病室を出ると、すぐに捜査員へ連絡した。
「上峰家のゴミを調べてください」
『310号室ですか?』
「そうです。小城さんの髪留めが紛れ込んでいる可能性があります。上峰家は何かを隠してるそんな気がします。」
『分かりました』
「見つかったら、すぐ連絡してください」
*
そして、
圭司と美咲は、上野の前にいた。
「お願いします」
美咲が頭を下げる。
「301号室、見せてください」
「まだ捜査中ですよ」
「分かってます」
「証拠品もそのままです」
「触りません」
圭司も頷く。
「俺も触らない」
上野は二人を交互に見た。
「前にも聞いた気がしますね」
「今回は本当だって」
「野上さん。本当に?」
「本当」
美咲が両手を合わせる。
「上野さん、お願いします」
上野は大きく息を吐いた。
「……分かりました」
「やった!」
「ただし!」
上野が指を一本立てる。
「証拠品には絶対に触らない」
「はい!」
「勝手に物を動かさない」
「はい!」
「写真を撮るときは、私に確認する」
「はい!」
上野は圭司を見る。
「野上さんもですよ」
「分かってるって」
「本当に?」
「本当に」
上野はため息をついた。
「……では、短時間だけです」
*
三人は301号室へ入った。
事件のあと、一度整理された部屋。
家具は整っている。
だが、どこか落ち着かない。
美咲はゆっくり部屋を見回し何かに気づく。
「やっぱり……」
「何だ?」
圭司が聞く。
「なんか変」
美咲の視線が部屋の隅で止まった。
そこに、一体の熊のぬいぐるみが置いてあった。
茶色い小さな熊だった。
「熊?」
圭司が首を傾げる。
「うん」
美咲は近づいた。
「この部屋に、これ?」
301号室はシンプルな部屋だった。
そこに熊のぬいぐるみだけが妙に浮いている。
「確かに、ちょっと合わないな」
圭司が言う。
美咲は熊を見つめた。
「でも……可愛いけどね」と少し笑いながら
ひょい、と熊を抱き上げた。
「美咲さん!」
上野の声が飛んだ。
「証拠品に触らない!」
「あ……」
美咲は固まった。
「ごめんなさい」
「すぐに元の位置へ戻してください」
「はい」
美咲は熊を元の場所へ戻そうとした。
だが、その途中で――
ふと、熊の顔を覗き込んだ。
丸い目。
小さな鼻。
愛嬌のある顔。
美咲は熊とじっと見つめ合った。
「……これ」
圭司が振り向く。
「何だ?」
美咲は熊の顔を見たまま言った。
「右目がおかしい」
「右目?」
「うん」
美咲は顔を近づけた。
「左目と違う」
上野も熊を見る。
「どこがです?」
「右目だけ……妙に光ってる」
美咲はさらに覗き込む。
そして――
表情が変わった。
「……え?」
「どうした?」
圭司が聞く。
美咲は熊から顔を離さない。
「これ……」
「何だ?」
「目じゃない」
「え?」
美咲は上野を見る。
「カメラのレンズ」
上野の表情が変わった。
「……カメラ?」
「うん」
美咲は確信を持って言った。
「これ、隠しカメラだよ」
圭司も熊を見た。
普通のぬいぐるみ。
しかし、その右目の奥には、小さなレンズが埋め込まれている。
「まさか……」
上野はすぐに捜査員を呼んだ。
「これは触らないでください」
「はい」
美咲はすぐに手を離した。
上野が周囲を見渡す。
「神崎か……」
圭司が呟いた。
「神崎が仕掛けたのか?」
「その可能性が高いです」
美咲は部屋を見回した。
「でも……」
「まだある?」
「たぶん」
「何が?」
「盗聴器」
美咲は壁や棚、家具の周囲を見る。
「隠しカメラを一つだけ置くなら、それだけでもいい。でも、ストーカーだったなら……」
美咲が調べ始める。
「盗聴器も置いてる可能性がある」
上野は捜査員に指示を出した。
「念のため、室内を調べてください。証拠品として扱います」
しばらくして――
「ありました!」
捜査員の声が響いた。
一つ。
さらに一つ。
別の場所からも見つかる。
小さな機器が、いくつも出てきた。
美咲が呟く。
「……何個あるの?」
圭司は黙っていた。
上野も表情を変えない。
だが、全員が同じことを考えていた。
神崎が、301号室に侵入していた目的は隠しカメラと盗聴器の設置と回収
「もしかするもっと前から咲を監視してたのかもしれない」
上野が眉間をよせて言った
「あの日、神崎は咲が一人だという事を知っていた。」
部屋が静まり返る。
誰も口を開かない。
やがて、美咲が言った。
「神崎の部屋を調べれば全てがわかるかも」
上野が頷いた。
「そうですね」
圭司も頷く。
その答えは――
神崎の残したものの中にあるかもしれない。
「神崎二郎の自宅を調べます」
圭司は、もう一度だけ熊を見る。
その右目のレンズは、もうこちらを映してはいない。
だが圭司には――
まるで事件そのものをずっと見ていた目のように思えた。




