↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
美咲のオヤジの配達記録簿  作者: 空雨 素志


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

38/48

第二話 唐津大吾


 マンションの前に、赤色灯を回したパトカーと救急車が何台も停まっていた。


 警察官が慌ただしく出入りし、規制線が張られていく。


 救急隊員が運び出した担架は、途中で何度か止まった。

 そのたびに、周囲の警察官が何かを確認している。


 圭司は301号室の玄関先に立ったまま、その光景をぼんやり眺めていた。自分が何をしているのか、よく分からなくなっていた。


 ただ荷物を届けに来ただけだった。

それなのに、目の前で人が死んでいる。


「野上さん」


 背後から声がした。

 振り返る。


 そこには、見慣れた顔があった。

「……上野刑事」


「また野上さんですか」

 上野は深いため息をついた。


「いやいや、俺だって好きで事件に遭遇してるわけじゃないですよ」


「それは分かっています」


 上野は301号室の中を見渡した。


「美咲さんはいないみたいですね」


「今日は大学です」


「そうですか」


「何です?」


「いえ。現場にいたら、また話がややこしくなるところでした」


「俺だけでも十分ややこしいですよ」

 圭司がぼやくと、上野は苦笑した。


「それは同感です」


 警察官たちが室内に入り、現場検証が始まった。


 床の状態を撮影する者。


 ベランダを確認する者。


 部屋の中に残された物を、一つずつ記録していく者。


 圭司はその様子を眺めながら、小さく息を吐いた。


 部屋の隅には、あの段ボール箱がある。


 自分が間違えて310号室へ届けた荷物。

 どうして、ここにあるのか。


 考えても分からない。


「野上さん」


「はい?」


「少しお話を聞かせてもらえますか」


「……やっぱりですか」


「第一発見者ですから」


 圭司は観念して、近くの壁際に立った。


「まず、お名前を」


「野上圭司です。配送の仕事をしています」


「今日、この部屋へ来た理由は?」


「荷物の配達です」


「誰宛てですか?」


「301号室」


 上野が手帳に書き込む。


「小城さんとは知り合いですか?」


「いえ。今日が初対面です」


「では、どうして部屋の中へ?」


「ドアが開いていたんです」


「鍵が開いていた?」


「そこまでは分かりません。ただ、数センチ開いていました」


「それで?」


「声をかけました。でも返事がなくて……」


 圭司は言葉を切った。


 あの時の光景が蘇る。


 床に座り込んでいた小城咲。


 震える手。


 焦点の合わない目。


 そして、ベランダ。


「中に入ったら、彼女がいました」


「小城さんですね」


「はい」


「彼女は何か言っていましたか?」


「まともには話せる状態じゃありませんでした」


 圭司は小城咲へ目を向けた。


 救急隊員が付き添っている。


 咲はまだ震えていた。


 口元がかすかに動いている。


「……いない……」


「何か繰り返しているんですか?」


「はい」


「何と言っているんでしょう」


「それが、よく分からないんです」


 圭司は少し考えた。


「『なんで』とか……『いない』とか。そんなことをずっと」


 上野は小城咲を見たあと、再び圭司に視線を戻した。


「下に倒れている男性については?」


「ベランダから見ました」


「近づきましたか?」


「いいえ」


「顔は?」


「見てません」


「誰だと思いました?」


 圭司は少し迷った。


「……唐津さんかな、と」


「なぜ?」


「ここ、唐津さんの部屋ですよね?」


「そうです」


 上野は淡々と答えた。


「301号室は唐津大吾さんの部屋です」


 圭司はベランダを振り返った。


「だから、あの男性が唐津さんなのかなって……」


「現時点では、その可能性が高いと考えています」


「身元が分かるものは?」


「今のところありません」


 上野は手帳を閉じた。


「財布も、身分証も、携帯電話も確認できていません」


「そうなんですか」


「はい」


 圭司は黙った。


 301号室。 唐津大吾。

 ベランダから転落した男。


 そして、部屋の中で震えている婚約者。

 これだけなら、婚約者との間に何かあったのかもしれない。


 だが、圭司には一つ気になることがあった。


 あの段ボール箱だ。


「上野さん」


「はい?」


「あの荷物……」


 圭司が部屋の隅を指差す。


「俺が間違えて310号室に置いた荷物なんです」


「聞いています」


「え?」


「先ほど310号室の方から話を聞きました」


 圭司は目を見開いた。


「……上峰さんから?」


「はい、」


「何て?」


 上野は少しだけ間を置いた。


「ここに置いた荷物知らないですか?て言う怪しい配達員がきた。しつこく回収したいとか言うんで荷物は受け取っていない、と言いました。そもそも荷物も置いてなかったし、受け取ってもいないですからと言ってました」


「……」


 圭司は言葉を失った。

 確かに310号室の女性は、そう言っていた。


 何も置いていない。

 何も受け取っていない。


 なのに荷物は301号室にある。


「俺、絶対に310号室に置いたんですよ」


「分かっています」


「じゃあ、誰が……」


「それを今、調べています」


救急隊員が小城咲を担架に乗せようとしていた。


「大丈夫です。ゆっくりでいいですよ」


咲は何度も首を横に振っていた。


「違う……違うんです……」


「何が違うんですか?」


刑事の上野が、少し離れたところから声をかける。


咲は震える指で、窓の外を指した。


「……あの人……」


「落ちた男性のことですか?」


咲は答えない。


上野は一度、圭司のほうを見た。


そして、301号室の表札に目をやる。


「ここは……唐津大吾さんの部屋ですね?」


その言葉に、咲の肩が大きく震えた。


「唐津……」


声にならない。


「唐津大吾さんですか?」


咲はぼんやりと上野を見る。


その目には、恐怖しかなかった。


「……唐津大吾?」


「はい」


「……はい……」


小さな声だった。


上野はそれ以上、何も聞かなかった。


「分かりました」


救急隊員に目配せする。


圭司はそのやり取りを見ていた。


――今の「はい」は、本当に本人だと確認した「はい」だったのか。


それとも。


ただ名前を聞かれて、反射的に答えただけなのか。


圭司には分からなかった。


だが、警察にとっては十分だった。


301号室の住人は、唐津大吾。


そして、その部屋の下で倒れている男。


身元を示すものは、まだ何もない。


それでも現場では、一つの名前が動き始めていた。


**唐津大吾。**


圭司は、玄関脇に置かれた自分の配達荷物を見つめた。


本来なら、ただの誤配だった。


それが、どうしてこんなことになったのか。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。