第十一話 星座がもたらす真相
封鎖が解かれたばかりの研究室。
夕闇が迫る薄暗い部屋の中に、上野刑事、圭司、美咲、そして大学院生の吉田澪と平川唯の五人が集まっていた。
「……ご協力感謝します。この事件の裏で何があったのかを明確にするために集まってもらいました。」
上野はいつものように丁寧で、どこか思いやりのある声で静かに切り出した。
「まず、教授の転落は事故ではありません。そして、パソコンのパスワードは事件直前に書き換えられていました。当初疑われていた国分准教授のアリバイも証明され、彼が犯人ではないことが確定しています」
上野の言葉に、部屋の空気はピンと張り詰めた。
「では、教授が転落の瞬間に大事そうに抱えていた『箱』は一体何だったのか。それは、このプラネタリウムです」
上野が机の上に置かれたプラネタリウムのスイッチを入れる。
モーターの小さな駆動音とともに、薄暗い研究室の壁や天井いっぱいに、無数の星々が映し出された。
静寂の中、星空を見上げていた平川唯が「何で?」と呟き、ふいに両手で顔を覆い、その場に泣き崩れた。
「……事件当日、野上さんのトラックのドライブレコーダーには、二人の人物が映っていました」
上野は泣き咽ぶ平川を見つめながら、静かに続ける。
「一人は、正面入り口から研究室へ向かう吉田さん。そしてもう一人……隣の棟の屋上へと駆けていっていた人物。……平川さん、あなたですよね? 美咲さんが、屋上から降りてきたあなたとぶつかっています」
その言葉に、隣に立っていた吉田は何か知っていたかのように
「何で。 あんなことを……」
心配そうに声を掛ける吉田に対し、平川は涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、憎しみを込めて叫んだ。
「あなたのせいよ!」
鋭い声が響き、吉田は弾かれたようにうつむいた。
張り詰めた沈黙の中、上野が静かに口を開く。
「……平川さん...吉田さんは、幼い頃に生き別れになった、あなたのお姉さんですよ」
平川がハッと顔を上げた。
「幼い頃、家庭の事情もあり、あなた達は別々の道を歩むことになった。吉田さんは大学であなたを見た時、すぐに妹だと気づいたみたいです。でも、幼い頃のことだったので、あなたから『自分を置いて行った』と恨まれているのではないかと恐れ、言い出せなかった。……教授は、あなた達と話しているうちにその事実に気づいたんです」
上野はプラネタリウムの星空を見上げながら語り続ける。
「吉田さんは、平川さんが教授と親しい間柄なのではと気づき、妹を心配して教授と話す機会が増えた。……あなたは、それを誤解していたみたいですが」
「唯、ごめんね……」
吉田が、震える声でぽつりとこぼした。
平川は信じられないものを見るように、ゆっくりと吉田を見つめた。
「……澪、姉さん?」
「うん」
涙をこぼしながら吉田が頷く。
そして、部屋いっぱいに広がる星空を見渡した。
「このプラネタリウムは……?」
美咲と圭司が、静かに平川を見た。
平川は床に座り込んだまま、嗚咽を堪えながら話し出した。
「……覚えてる、姉さん。昔、よく星を見に、高台にある公園に行ってたことを」
「覚えてる。あの時は、あの家族から逃げ出したくて……口実に『星を見に行こう』って言って、唯を連れ出してた」
吉田は懐かしむように微笑む。
平川が小さく頷く。
「私は、姉さんと見た星が好きで……教授とも見に行ったりした。その時に『横にいてくれたらいいのに』って、つい言ったの。星座の中だけでも、私のさそり座の横に、教授の乙女座がいてくれたらって思って……。その時、教授は『横にいるよ』って言ってくれたけどね……」
その言葉を聞いた美咲が、ハッとして天井の星を指差した。
「それで、この配置に……。てことは、もしかして」
美咲は、不自然に並んだ星々を指でなぞる。
「オリオン座、さそり座、乙女座……。オリオン座は、澪さんじゃないですか?」
吉田澪と平川唯は、ハッとしてお互いの顔を見つめ合った。
決して並ぶことのないオリオン座とさそり座を繋ぐように、乙女座が寄り添っている。
それは、離れ離れになった姉妹を再び結びつけ、三人で一緒にいようという、教授からの不器用なメッセージだったのだ。
「……これを届けたとき、教授の顔は本当に嬉しそうだったよ」
圭司が、あの日の教授の穏やかな笑顔を思い出しながら呟いた。
「事件当日の事を話してもらえませんか?」
上野が優しい声でといかける。
そして、事件当日のことを平川唯は話し出した――。
***
あの日。研究室には、重苦しく刺々しい空気が漂っていた。
「どうして……どうしていつも吉田さんのことばかり庇うの!」
平川は涙目で教授に詰め寄っていた。何も知らない彼女にとって、教授が吉田を特別視しているように見えることが我慢ならなかった。
「唯、違うんだ。澪くんのことは……」
教授が何かを言いかけたその時、廊下から台車を押す重い足音が近づいてきた。
配達が来たのだと察し、平川は慌てて部屋の奥に身を潜めた。
そこに目に飛び込んできたのは、デスクの上で光る教授のパソコンの画面だった。
ロック画面には、いつもパスワードの入力欄が表示されている。
パスワードは二人が出会った、大切な記念日。
教授がしてくれた。
だが、嫉妬で心がひどく濁っていた平川には吉田澪も知っているパスワード。
「……あの女も知っている....」
教授にも、吉田にも無性に腹が立った。
少し困らせてやろう。怒りに任せて、平川はキーボードを叩き、パスワードを勝手に書き換えた。
やがて、配達員――圭司がサインをもらい、部屋を出て行く足音が聞こえた。
隠れた所から出てきた平川は、わざと冷たい声で言い放った。
「パスワード、変えたから」
「……なんだって? 一体、何てことするんだ!」
血相を変えた教授の姿に、平川はさらに苛立った。
だが、彼女の視線はすぐに、教授が大事そうに胸に抱え込んでいる箱へと向けられた。
圭司がたった今、届けていったものだ。
「なにそれ? ……吉田へのプレゼント?」
「違っ、これは……!」
必死に弁解しようと歩み寄る教授。
その焦ったような顔を見て、平川の頭に血が上った。
来ないで。言い訳なんて聞きたくない。
平川は反射的に、言い寄る教授の胸をドンッと強く突き飛ばした。
「あっ――」
バランスを崩した教授の背後には、換気のために大きく開け放たれた窓があった。
大きく傾く体。手からこぼれ落ちそうになる箱。
教授は、自分を守るためでも、窓枠を掴むためでもなく――彼女に渡すはずだったその箱を、落とすまいと必死に両手で抱きしめようとした。
その結果、体勢を立て直すことができず、教授は箱を抱えたまま、窓の外へと真っ逆さまに転落していった。
「え……?」
鈍い、嫌な音が下から響いた。
平川は恐る恐る窓から下を見下ろし、一気に血の気が引いた。
教授が死んでしまった。私が、突き落とした。
しかも、あの女へのプレゼントを、あんなに大事そうに抱えたまま……。
嫉妬の腹立たしさと、人を殺してしまった恐ろしさで、平川の頭はパニックになった。
彼女は震える手で隠し扉を開け、備品倉庫から階段を上り、屋上に行き隣の棟へと走った。
息を切らして階段を降りた先で、一人の女性――美咲とドンッとぶつかった。
「あ、すみません!」
美咲の声に、平川はビクッと肩を震わせた。
だが、必死に深呼吸をし、震える声帯を抑え込んで、口角を無理やり引き上げた。
「……外が騒がしいけど、何かあったんですか?」
平然を装ってそう問いかけた彼女の心臓は、破裂しそうなほど早鐘を打っていた。
***
「……ああ、あああああっ……!」
平川は、話し終えた後プラネタリウムの星空の下で、獣のように泣き叫んだ。
自分が突き落とした相手が、死の直前まで命懸けで守ろうとしたもの。
それは、自分を裏切った証拠などではなかった。
「ごめんなさい……! 教授、お姉ちゃん……ごめんなさい……っ!」
研究室に広がるオリオン座、さそり座、そして乙女座。
もう二度と現実でも並ぶことのない三人の星空の下で、平川の慟哭だけが、いつまでも悲しく響き渡っていた。
---




