第八話 崩れるアリバイ
薄暗い取調室。
無機質なパイプ椅子に座る大学院生の吉田澪は、その整った顔立ちをわずかに強張らせながらも、どこか冷ややかな余裕を保っていた。
対面の席に腰掛けているのは上野刑事だ。
その厳つい相貌とは裏腹に、非常に穏やかで、まるで大学のゼミの教授のように丁寧な口調で語りかけた。
「吉田さん。ご協力いただきありがとうございました。今回は、少しだけ建物の構造的な側面から補足をしておきたくてですね」
上野は手元の資料を優しくめくり、机の上に一枚の大学構内の見取り図を置いた。
「事件当日、中庭で警備員を発見し、ご自身のスマートフォンで救急車を呼んだこと。その素早い対応に感服しています。ですがね……」
上野の目、すっと細められた。
「なにがいいたいんですか?」
「証言通りであれば、あなたは正面入り口から研究室へ向かい、途中で異変に気づいたということになる。しかしあの部屋には、一般には知られていない『特別な構造上の秘密』が隠されていたのですよ」
吉田の眉が、わずかにピクリと動いた。
「秘密……ですか?」と、吉田は少し驚いた声で聞き返す。
「ええ。作り付けの本棚の裏には、隣の備品倉庫へ通じる扉がありました。そこから階段を伝えば、一階、正面玄関の防犯カメラに見られることなく、隣の棟へと行き来できるルートが存在するのです」
上野は続けて話す
「正面入り口の防犯カメラに姿を残さず、隠し扉と屋上ルートを使えば……あの間に、あなた自身が静かに侵入し、誰にも目撃されることなく犯行に及び、再び何食わぬ顔で中庭へ戻ってくることは、物理的に可能です」
「そんなの……! 知るわけないじゃないですか!」
吉田の声が、わずかに上ずった。
完璧だと思っていたのか動揺の色を隠しきれない。
「知らなかった、とは言わせませんよ」
「……ねえ、吉田さん。あなたにとって、教授は単なる指導教官以上の存在だったのではないですか? だが、教授があなたから離れようとしたか、あるいはデータの件であなたを切り捨てようとした。その結果としてあのようなことになった……違いますか?」
「ふざけないで……! そんなの、全部あなたの勝手な妄想よ!」
吉田は少し上ずった声で言った。
「そうでしょうか?パスワードは変えられてたと国分さんは言ってました。あなたが書き換えたんじゃないですか?実は、あのパソコンの中にデータとは違う秘密が隠されてるとか」
「パスワードが?あのパソコンには研究以外のものは入ってないわ。」
上野が顔を上げる
「やっと上から許可がおりまして、今そのパソコンを解析中です。」
別の刑事が上野に耳打ちし、その資料を置いて出ていく。
上野が口を開く
「残念ながらパソコンからは、データ以外何も見つかりませんでした。ですが書き換えられた時間から国分さんが容疑から外れました。教授が書き換えた線もなくなりました。ちょうど配達員の野上さんが荷物を持ってきた時間です。ですが、野上さんとは考えにくい、もしいるとしたらあなた以外いません。」
何かを言おうと吉田は立ち上げり、ゆっくりと座りなおした。
そして、俯いたまま何かを悟ったように黙り続けた。
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