第四話 准教授 国分隼人
パイプ椅子が軋む嫌な音が、窓のない取調室に響いた。
「もう一度聞きます、国分准教授。あなたが末吉教授の部屋に入った時のことを、最初から正確に話して下さい。」
上野は、机の上に置かれた防犯カメラのプリントアウト写真を見せながら、目の前の男を鋭く睨みつけた。
写真には、圭司が入口から出た後、一階の入り口に入っていく国分の姿がはっきりと写っている。時刻は『10:16』。野上圭司が出た直ぐだ
国分は神経質そうに銀縁眼鏡を押し上げ、額に浮かんだ汗をハンカチで拭った。
優秀な研究者特有のプライドの高さと、追い詰められた焦燥感が、その青白い顔でせめぎ合っている。
「……だから、何度も言っているでしょう。私が部屋に入った時、教授はすでにいなかったんです。窓が開いていて。私はただ……」
「ただ、なんだ?」
「教授のパソコンを確認しようとしただけです! 決して、突き落としたりなんかしていない!」
国分は机に身を乗り出し、血走った目で叫んだ。
「動機は十分すぎるほどあります。研究室のデータとか」
上野が冷酷な事実を突きつけると、国分はギリッと奥歯を噛み締めた。
「勿論、研究データは私も携わってたから大事です。次の教授にもかかってる。だがそれだけで殺しはしない」
「部屋には荷物を届けに来た宅配ドライバーがいた。彼が部屋を出た後、あなたが来た。教授は中庭に転落していた。あなたがデータのことで教授と口論になり、カッとなって窓から突き落とした。そう考えるのが一番自然です」
「違います!!」
国分は声を荒らげた。
「確かに私は部屋に行きました。ですが、部屋には誰もいなかった。外から、悲鳴が聞こえたんです。外を見たら教授が倒れてた。私はデータが心配になり教授のパソコンを開こうとしましたが、パスワードが変更されてて開かなかった。仕方なく部屋を出ました。」
上野は目を細め、国分の証言を吟味した。
部屋に入った時には、すでに教授はいなかったという主張。それが真実ならば、教授は国分が入室する直前、つまりわずか数分の間に、自ら飛び降りたか、何者かに突き落とされたことになる。
「本当に、誰もいなかったんですか?」
「い、いませんでした。信じてください!」
国分は縋るような目で上野を見た後、ふと何かを思い出したように顔を上げた。
「……そうだ。教授を殺す動機がある人間なら、他にもいますよ」
「誰です?」
「吉田澪です。あの女……」
国分の口から、吐き捨てるように同じ研究室の大学院生の名前が出た。
「吉田は、教授の『特別なお気に入り』でした。研究の手伝いと称して、夜遅くまで二人きりで教授室に残っていることも多かった。……ですが最近、二人は様子がおかしかったんです」
「というのは?」
「はい。吉田もまた、次の論文で研究員に一歩近づくと話してました。ただ少し揉めてました。あれは、何かあったんではないかと思うんです。」
上野は手元のメモ帳に『吉田澪』と書き込んだ。
自己保身のために他人に罪をなすりつけようとしているのか、それとも真実か。どちらにせよ、末吉研究室が「論文のデータ」を巡って、欲望と愛憎の渦巻く伏魔殿になっていたことだけは間違いない。
「……今日のところはこれで終わります。だが、まだ容疑が晴れたわけじゃありません。勝手に遠出とかしないで下さい。」
上野が立ち上がると、国分はどっと疲れが出たようにパイプ椅子に深くもたれかかった。
取調室を出た上野は、廊下で待機していた部下に声をかけた。
「吉田澪の行動確認とアリバイを洗ってください。」
上野は、複雑に絡み合った事件の糸を解きほぐすため、現場の空気を誰よりも正確に嗅ぎ取る違う視点が必要だと感じていた。
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