第二話 疑惑
取調室の空気は、まるで冷たい水で満たされているかのように重かった。
パイプ椅子のきしむ音が、静けさの中にやけに大きく響く。
圭司はテーブルの上の写真——窓枠の向こう、地面に横たわる影と、その横に転がった見慣れたダンボール箱を見つめていた。
「……抱えた荷物って、何が入ってた?」
圭司の問いに、上野は手帳を閉じ、組んだ手の上に顎を乗せた。
「伝票の品名欄には、何と書いてありました?」
「『雑貨』としか。それ以上は書いてなかった」
荷物の受取人に中身を問いただすことはあっても、配達員が中身を知っていることなんて滅多にない。精密機械なのか、書籍なのか、衣類なのか。割れ物注意のシールすら貼られていなかったただの「雑貨」だ。
圭司がまっすぐ上野を見つめ返すと、上野は少しだけ視線を逸らし、取調室のドアの向こうへ気を配るような素振りを見せた。
そして、身を少し乗り出し、声を一段落として囁いた。
「……家庭用プラネタリウムです」
「……は?」
思わず拍子抜けしたような声が出た。
「プラネタリウム……? 星を天井に映す、あの?」
「ええ。市販されている、箱型の据え置きタイプです」
圭司の頭の中に、いくつもの疑問が渦巻いた。
末吉教授。白衣を着た、いかにも難しそうな研究をしている男。あの男が、なぜ配送されたばかりの家庭用プラネタリウムを抱きかかえるようにして窓から落ちたのか。
「研究で使うはずだったのか……それとも講義の教材か?」
「そこまでは分かりません。個人の趣味で購入した可能性もあります」
「そんなものを抱えて……落ちるか?」
「だから、我々も首を傾げているんです」
上野はため息をつき、ポケットからフリスクを取り出そうとして、思い出したように手を止めた。
「末吉教授が自ら飛び降りたのか、誰かに押し出されたのか。あるいは……足を滑らせた事故なのか。現場には争った形跡はありませんでした。だが、荷物を抱えたまま落ちているという事実の不自然さと目撃者がいないということが複雑化してます」
圭司は腕を組み、記憶をさかのぼった。
自分が荷物を手渡した時、教授は確かに両手でそれを受け取った。だが、それは単に受け取りの動作であって、大切そうに抱え込んでいたわけではない。デスクの端かどこかに置くのが普通だ。
「……第一発見者は?」
圭司が尋ねると、上野の目つきが瞬時に刑事のそれに戻った。
「野上さんでもそこまでは教えられないですよ」
冷ややかな声だった。上野はゆっくりと首を振る。
「あなたはまだ、事件に関与していないと決まったわけじゃない。教授が亡くなる直前、最後に接触した人物の一人なんです。捜査情報をこれ以上話すわけにはいきません」
「俺は荷物を渡して、すぐに部屋を出た、 大学の防犯カメラとかあるだろ?」
「カメラの映像は現在確認中です。だが、あなたが部屋を出てから教授が転落するまでの時間は、ほんのわずかだ」
上野は写真を指で叩いた。
「もし、あなたが荷物を渡した直後に教授と口論になり、突き落としたとしたら? 教授は渡されたばかりの荷物を庇おうとして、そのまま巻き添えで落ちた……警察がそう見立てても、おかしくはないでしょう」
圭司は歯を食いしばった。
上野は悲しげな目を向けた。
「分かっています。私だって、あなたをただ、疑ってるわけではないです」
上野は椅子から立ち上がった。
「ですが、状況が甘くないことだけは理解してください。今日はもう遅い。参考人聴取は一旦ここまでとしますが……しばらくは身辺を警戒し、連絡が取れるようにしておいてください」
取調室を出て、警察署の長い廊下を歩く圭司の足取りは重かった。
署の自動ドアが開くと、夜の冷たい空気が頬を撫でた。
街灯の下に、ひとつの影が立っていた。
コートのポケットに手を突っ込み、白い息を吐きながら圭司を待っていた人物。
美咲だった。
「……圭司」
美咲が走寄ってくる。その顔には隠しきれない不安と、そしてそれ以上に強い決意が浮かんでいた。
「遅いから、心配したんだよ」
「お前……ずっと待ってたのか? 寒かったろ」
「平気。それより……圭司、何て言われたの?」
圭司の胸が一瞬温かくなり、同時に締め付けられた。
「……荷物だ」
圭司は美咲の目を見て言った。
「教授は、俺が届けた荷物を抱えたまま落ちたらしい」
美咲の目が丸くなった。
「荷物……? 中身は何だったの?」
「家庭用プラネタリウムだ」
「プラネタリウム……?」
美咲は首を傾げ、記憶を掘り起こすように視線を上に向ける。
「末吉教授の研究室って……確か、海洋生物学のラボだよ? 星なんて、全然関係ないはずなのに」
夜風が二人の間を吹き抜けていった。
第一発見者は誰なのか。なぜ海洋生物学の教授がプラネタリウムを抱えて死んでいたのか。
大学の闇の中に消えた真実とは




