第8話 怠け者がランキングに載る
冒険者ギルドの広大なロビーは、月に一度の熱気に包まれていた。
壁面の高い位置に設置された大型の晶板――魔力で遠隔映像や文字情報を映し出す板――に、最新の『新人冒険者ランキング』が発表される日だった。
「おい、今年のトップ争いはどうなってる?」
「ダリオ・ケインの班が一番稼働してるはずだ。あいつら、三日連続で夜通し狩りに出てただろ」
予想に挙がるのは、決まって稼働時間と討伐数だった。三日続けて夜の森へ出たダリオ組が本命なのも、その基準なら当然だ。
ファンファーレのような魔導音が鳴り、晶板に上位十名の名前が浮かび上がる。
だが、その結果を見た瞬間、ロビーのあちこちから当惑の声が上がった。
「……は? なんだこの順位」
「五位……レン・アルヴァ? 誰だそいつ」
「待てよ、あいつは毎日午後十時に帰る『九時間睡眠』の怠け者だぞ! 俺より稼働時間が短い奴が、なんでこんな上位に食い込んでるんだ!?」
ざわめきが波のように広がる。
当然の反応だ。俺の総稼働時間は、ここにいるどの新人よりも圧倒的に短い。
だが、晶板はすぐにその疑問に対する『答え』を提示した。順位の横に、スコアの内訳と短い記録映像が再生され始めたのだ。
《レン・アルヴァ。総稼働時間:D。討伐総数:C》
《依頼成功率:一〇〇%。負傷率:〇・一%以下(特S評価)。特殊加点:迷いの森における夜間孤立パーティー四名の完全救助(特S評価)》
晶板には、昨日の早朝、俺とセレナが迷いの森に飛び込み、魔獣の包囲網を的確にこじ開けて新人たちを救出する数秒間の映像が流れた。
俺の足運びは無駄がなく、最短距離で退路を確保している。
その淀みない動きと、負傷率の異様な低さに、野次を飛ばしていた冒険者たちも徐々に口を噤み始めた。稼働時間の短さを、質の高さと救助実績が完全に覆したのだ。
「ちっ……目立ちやがって」
不意に背後から声をかけられ、振り返る。
そこには、首や腕に真新しい包帯を巻いたダリオが立っていた。昨日の救助から一日が経ち、傷の治療は終えたようだが、まだ顔色には疲労が残っている。
「ダリオ。身体はもういいのか」
「ああ。治癒術師に高い金払って塞いでもらったよ。だが、筋肉の奥の痛みまでは完全に抜けねえ。覚醒薬で無理をしすぎたツケだ」
ダリオは自嘲気味に笑い、晶板のランキングを見上げた。
彼の名前は俺より下の八位にランクインしていた。
「討伐数だけなら俺の圧勝だ。お前なんかの倍以上は魔獣の耳を切り落とした。……だが、あのまま森で全滅してたら、俺たちのスコアはゼロどころかマイナスだったわけだ。生き残るための戦術も、仲間を助ける力も、今回はお前の完全な勝ちだ」
「俺一人じゃ助けられなかった。セレナの剣があったからだ」
「謙遜すんな。あの絶望的な状況で、お前が一歩も間違えずに退路を指揮したのを、俺はこの目で見てるんだ」
ダリオは包帯の巻かれた拳を軽く握り、俺の胸元へ軽く突き当てた。
出会った初日のような、睡眠を削らない俺を「怠け者」と見下すような嘲笑はもうない。そこにあるのは、純粋に負けを認め、次は勝つという対等なライバルとしての光だった。
「だが、これで勝ったと思うなよ。この痛みが引いたら、次はもっと賢く稼いで、必ずお前をランキングから引きずり下ろしてやる」
「お手柔らかにな。その前に、今日はちゃんと寝た方がいいぞ」
「うるせえよ」
悪態をつきながらも、ダリオは背を向けてギルドの出口へ向かっていった。おそらく、今日は無理に訓練をせず、休息を取るつもりなのだろう。
俺はダリオを見送った後、受付窓口へと向かった。
今回のランキング上位入賞と、昨日の救助実績に対する特別報奨金を受け取るためだ。
「レン・アルヴァさんですね。こちら、前回の討伐報酬と特別報奨金になります。素晴らしいご活躍でしたね」
受付嬢がにこやかに差し出してきたのは、ずっしりと重い革袋だった。
中を開けると、銀貨だけでなく、鈍く光る金貨が数枚混じっている。新人冒険者が手にするには破格の金額だ。
俺はその重みを掌で確かめながら、ロビーの端に貼り出されている掲示板へと歩み寄った。依頼書が並ぶ中、一枚の鮮やかなポスターが俺の目を引く。
『王都《静穏区》――誰にも邪魔されない安らぎの夜を。完全防音・防犯結界完備住宅。分譲・賃貸受付中』
高級住宅街の不動産広告だ。
夜中に酔っ払いが騒ぐことも、隣の部屋の冒険者が素振りをする音も聞こえない、完全なる安眠が保証された特区。
俺は広告の下に小さく書かれた価格設定と、手元の革袋の重さを脳内で比較した。
(……まだ頭金には届かない。だが、桁は確実に近づいてるな)
最初は遥か彼方だった夢が、明確な数字を持った目標として輪郭を持ち始めた。
ランキングの順位や、誰かに認められること自体はどうでもいい。俺が冒険者として強くなるのは、稼いで、あの静かな家を買い、毎日午後十時に邪魔されずに眠るためだ。
その欲望の火が、俺の中で静かに、だが確固たる熱を持って燃え上がった。
「レン・アルヴァさん」
声をかけてきたのは、白衣じみた簡素なローブの女性だった。丸眼鏡の奥から俺を見て、手元の晶板と何度も見比べている。
「治癒術師のフィア・エルデン。ギルドで稼働記録も調べているわ」
彼女は晶板をこちらへ向けた。俺の討伐数は日ごとに階段状に伸び、睡眠時間の直後だけ動作精度が上がっている。
「普通はもっと緩やかに伸びるか、疲労で落ちる。あなたの波形は、休息のたびに段ができている。次の依頼から、記録を取らせてもらえる?」
「邪魔にならない範囲なら」
フィアが満足そうに眼鏡を押し上げた、その時だった。
ギルド内の全ての大型晶板が、けたたましいファンファーレの音と共に特別ニュースの画面へと切り替わった。
『速報です! S級冒険者であり《時間拡張法》の提唱者、レグルス・クロウ氏が、未踏破迷宮での新記録を樹立して帰還しました!』
ロビーの空気が一変した。
歓声が上がり、冒険者たちが晶板の前に殺到する。
そこに映し出されたのは、燃えるような赤い髪と、極限まで鍛え抜かれた鋼のような肉体を持つ男の姿だった。
『覚醒王』レグルス・クロウ。
彼は迷宮の深部で、息一つ乱さずに巨大な魔獣をねじ伏せ、爽やかな笑顔で晶板の記録用魔導具へ向かって手を振っていた。
「すげえ……! 丸十日間の遠征中、一日九十分しか寝てないってのに、あの異常な動き!」
「さすがは覚醒王だ。人生を起きている時間に全振りした究極の成功者だよ!」
その名前だけで、ロビーの空気が熱を帯びた。
俺もまた、晶板に映るその男を見上げた。
九十分の睡眠で実戦に必要な集中を戻し、常人の何倍もの時間を活動に費やすことができるという、短眠文化の頂点に立つ男。
(一日九十分、ね)
俺の《休養》とは完全に対極にある存在。
彼が本当にそれだけの睡眠で万全のパフォーマンスを発揮しているのだとすれば、それは彼自身の持つ並外れた適性によるものだろう。
だが、彼のその極端な『成功例』が、この街の「誰もが睡眠を削るべきだ」という歪な常識をさらに強固にしていることも間違いなかった。




